その”老衰死”は本当に老衰から? 何でも死因「老衰」で良いのか? 納得いくプロセスのために緩和ケアを
死因「老衰」……本当に?
先日、週刊現代にある記事が掲載されました。
83歳の父親が3週間で亡くなり、自宅で看取ったかかりつけの医師は「老衰」と診断、息子は「老衰はいい死に方」だと思っていたが、当事者になると必ずしもそうではないと実感した、そんなエピソードが掲載されていました。
経過をもう少しみてみましょう。
これは本当に老衰と言えるのでしょうか?
にわかに下がっている老衰のハードル
筆者は在宅医療にも従事しており、穏やかな自然死を迎えることにはなんら異論はなく、むしろそれ自体は肯定的に受け止めているほうです。
また雑誌の記事に書かれていない事情があることも否定はできず、あくまで記されている範囲での見解となります。
その上でですが、前述の事例は一般的な「老衰死」とは異なると考えられます。
実際、この記事が出てから複数の医師が、これは老衰ではないだろうとインターネットで発信していました。
注目されるのが、この方は「大病を患ったことすらなく、健康そのもの」「悪いところなんてどこにもなかった。ところが亡くなる3週間前から、目に見えて体力が落ちていった」という点です。
老衰は通常、背景としてすでに認知症や身体の脆弱性があり、徐々に弱っていく状態です。それがある時に、死のきっかけに至る何か(例えば誤嚥性肺炎など)を来して、死に至ります。
しかし、広く考えれば老いに伴う衰弱の一環として、誤嚥(ごえん。唾液や食物を気管に入れてしまうこと)を起こしたと考えられ、ゆえに「老衰」が広義の死因として成立するのです。
ところが、このお父さんのように3週間で死に至る場合は、必ず衰弱以外の原因が存在します。もちろん当事者ではないと確定的なことは言えませんが、この間に何らかの事象が起きて死に至ったことが推定されます。
この記事に限らず、最近類する事例をしばしば見聞し、気になっています。
安易な「老衰」は慎まねばならない
老衰死は徐々に死亡原因の順位を上げており、2018年からはがん、心疾患に次ぐ第3位となり、年間109606人(2018年)がこの原因で亡くなっています。
死因「老衰」が増えているのは、「老衰と肺炎は別のものではなく、『老衰死』の経過の過程に肺炎が含まれる、という考えに変化してきている」という状況に則した改訂が為された2017年の「成人肺炎診療ガイドライン」の後押しもあります。
老衰というのは自然死をイメージさせ、語感として良いことも無視しえません。
一方で他国では米国でも、英国でも、あるいは世界保健機関でも、死因には老衰という言葉ではなく、直接的な病名が挙げられています。
私は老衰という死因自体には賛成ですが、先述の週刊誌の記事のケースや、私の知る事例など、「先立つ衰弱が乏しく」老衰とするにはやや無理があるものまで、年齢が平均寿命以上で死因がわからないからと記載されてしまうのには違和感があります。
そして、比較的健康な状態から急転直下で死に至ったことで「『老衰』では納得できない、死の理由が知りたい」という方もいらっしゃいますが、ご遺族の立場になればそれは当然理解できる思いです。
先のガイドラインの作成委員長である河野茂先生によって語られているように
が大切です。
元気な状態からの急激な悪化を老衰死としてしまうことの問題点をまとめると次のようになるでしょう。
・検査して治療すればまた回復しうる病態かもしれない
・本人の意思と異なるかもしれない
・家族が事後に後悔するかもしれない
老衰は言葉として自然死を彷彿とさせ語感が良いですが、事例によっては上のような問題点を孕みます。
すでに衰弱が明らかな状態からのさらなる悪化に関しては、老衰として積極的な原因検索を行わないのも一つの方法です。
ただ高年齢ではあっても事前の衰弱が明らかではなく、急過ぎる経過でご家族としては納得のいかない場合もあるでしょう。
そのような際も、もちろんご本人のこれまでの意思を重視することは言うまでもありませんが、原因をしっかりと検索してもらうことが、前述の記事のように死後に納得のいかない思いが続くことから防いでくれる側面もあると考えます。
緩和ケアの担い手は意思決定支援を行いサポートしてくれる
大学病院に在籍時、(がんに限らず)「この患者さんにどこまで治療を行うか」という点に関して、緩和ケアチームに依頼を受けることがしばしばありました。
緩和ケアの担い手は、このような場合、それぞれの思いを引き出し、調整し、何が最良かをともに考える等の意思決定支援を行うのです。また医学的な見地から、総合的にみて妥当な医療に関して担当医チームに助言を行います。
納得のいくプロセスを丁寧に辿れることが、老衰も含めて一人の人間が死に至る過程を受け止めていく上で重要であり、緩和ケアのアプローチはそれに寄与するのです。
国立長寿医療研究センターのように、緩和ケアチームがエンド・オブ・ライフケアチームとも名乗って、意思決定支援を行っている医療機関もあります。なお「エンド」オブ・ライフケアチームですが、早期から介入が求められているともホームページに記載されています。
それなので、かかりつけの病院等に緩和ケアチームがあれば、相談できるかを尋ねてみると良いでしょう。
一方で、自施設以外の事例にこれまではなかなか助言を提供してくれる医療機関が少ないところが一つの問題でしたが、緩和ケアにおいて意思決定支援は大切であり、数少ない独立して助言を提供する場を私も設けています。
まとめ
現在すでに、終末期医療に携わる医療機関ごとの差異が語られています。
先日の話題「人生会議やACP」も参照頂き、丁寧なプロセスに則って対応してくれる医療機関を選ぶことが重要でしょう。
緩和ケアを実践している医療者はプロセスの大切さを良く知っているため、相談しやすいでしょう。
また(特に人生の最後に診てもらう可能性が考えられる)医療機関を決める場合は、いろいろな事態を想定した質問を行って、納得のいく答えが得られるかも確かめておくのが良いでしょう。
自分や家族の価値観も、最初から継続的に医療者に伝えてゆく必要があることは言うまでもありません。
診断「老衰」は、特に元気な状態からの急激な変化の場合は、当てはまらない可能性も高いです。
残念ながら例示したような、診断や共有の過程を欠いているようにも見える“老衰“が出て来ている状況なので、注視する必要があると考えます。