【三原市】JR三原駅の北隣の三原城跡をご紹介します。
戦国時代の武将・毛利元就は数々の戦いを経て中国地方を制覇しましたが、その過程で自身の毛利家と同じ中国地方内にある別の武家に息子たちを送り込んで当主とさせることで、盤石な政治体制をつくりあげました。三男の隆景は沼田小早川家(三原市)の当主となり、分派だった竹原小早川家(竹原市)を統合して小早川家を発展させていきました。後に隆景は四国や九州でも領土を得るだけでなく豊臣秀吉の五大老に就くなど活躍しました。
その隆景が瀬戸内海の河口に整備したのがこの三原城です。彼は1597年に城内で死去しました。城は、関ヶ原の戦いの後に、福島正則の統治となった広島藩の支城になりました。1619年に正則が「広島城無断改修」を理由に江戸幕府から改易(他藩への異動)を命じられた後は、新たに広島城主に就いた浅野氏の支城となり、幕末まで続きました。
明治時代に入ると新政府の用地となり、また鉄道建設の用地となったため、残念ながら建造物は全て取り壊されました。現在はJR三原駅の新幹線ホームのすぐ北隣に、天守台などの壮大な石垣・水堀が残されています。天守台はとても広く、何と広島城天守閣が6つも入る程の面積だそうです!
※天守台の上にはさぞかし5階ぐらいの壮大な天守閣があった…、と思いきや、実際には天守は建てられず、複数の櫓が建っていたそうです。
天守台は三原駅構内から接続されていて(改札口を通る必要は無く、無料で入れます)、気軽に登ることができます。頂上からは見晴らしの良い風景が広がります。(入場時間は午前6時30分~午後10時00分です。)
三原市の代表的なお祭りである「やっさ祭り」(毎年8月)はこの城の築城を祝ったことが起源とされています。また11月には「三原浮城まつり」が開催されて、戦国武将の甲冑姿の人々が城跡周辺を練り歩いて盛り上げます。城跡は正に三原のランドマークです!
なお、「建造物は全て取り壊された」と前述しましたが、正確には別の場所に移築された門が二棟残っています。市内糸崎町の神社と西町のお寺の門です。(詳細はこちらに記載されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%9F%8E)
(了)
文・写真 中本祥二
三原城跡
広島県三原市城町(JR三原駅北隣)
入場時間:午前6時30分~午後10時00分
入場料:無料
お問い合わせ先:0848-64-2137(三原市役所生涯学習課)