「SS旗」と旭日旗──Jリーグを揺るがせた2つのフラッグについて考える(付記あり)
■経緯も背景も異なる2つの事件だが
4月27日、Jリーグのサポーターに関連する2つのニュースが、日本のサッカーファンの間で話題になった。どちらも、応援に使用するフラッグに関するものだ。
まず、16日の大阪ダービーにて、ガンバ大阪のサポーターがナチス親衛隊を想起させる「SS旗」を掲出した事件で、当該サポーターグループの解散とメンバー全員の無期限入場禁止の処分が発表された(参照)。一方、25日に韓国・水原で開催されたACL(アジア・チャンピオンズリーグ)において、川崎フロンターレの応援席から旭日旗が掲げられたことで両サポーター同士のトラブルとなった事件に関して、AFC(アジアサッカー連盟)が川崎への処分を検討していることが報じられている(参照)。
おりしもこの日はJリーグの理事会が開催されていた。その後の会見で村井満チェアマンは、これらの問題についてJリーグとしての見解を示すとともに、記者からの質問にも答えている。ガンバの事件はJリーグ案件、川崎の事件はAFC案件。経緯も背景も異なるので、本来ならば切り分けて議論すべきなのかもしれない(とりわけ水原の事件に関しては、スタジアムでの持ち物チェックが甘かったこと、相手サポーターの乱入があったことも留意すべきであろう)。
とはいえ、両方の事件には根底で共通している部分もある。まず、それぞれのフラッグが持つ「意味」について、当事者たちの知識と認識が不足していたこと。そして、こうした問題はガンバや川崎のみならず、他のクラブにも十分に起こり得ること。以上2点を考慮するなら、われわれサッカーファンが共有すべき教訓を引き出すことは十分に可能だ。「SS旗」問題については私のウェブマガジンでも論じたが、旭日旗についてはあえて触れなかった。今回のACLでの事件を受けて、あらためて問題点を整理し、われわれに今、何が求められているのかを考えてみたい。
■「SS旗」と旭日旗、それぞれの問題点
まずはガンバの「SS旗」事件について。「SS」はナチス親衛隊(Schutzstaffel)の略。稲妻のような2つの「S」は、人種差別やホロコーストの記憶と直結する、ハーケンクロイツと同じくらい忌まわしき紋章である。SNSの書き込みには、「あれは『SS』ではなく(サポーターグループを表す)『SH』だ」との主張が書き込まれていたが、それ以前にデザインが酷似していたことが問題だったことは押さえておく必要がある。村井チェアマンも会見で「ナチズムは政治的なメッセージであり、差別的なもの。繰り返してはならない」と断じている。
では水原のスタジアムで掲げられた、旭日旗についてはどうだろうか。こちらは明治時代から旧日本軍の軍旗(陸軍)、および軍艦旗(海軍)として採用され、現在でも自衛隊旗、および自衛艦旗として使用されている。われわれ日本人にとっては、非常に馴染み深いデザインであり、国内の試合では禁止されていない。旭日旗について村井チェアマンは「政治的、差別的なメッセージを含むものではないという、政府のHPで開示されているものを前提としてJリーグは認識している」と述べている。
ところがAFCは公式サイトで、この旭日旗を掲げたことが「規律倫理規則内にある第58条の『差別行為』に抵触する」と発表。今後は、罰金や無観客試合などの厳しい処分が下されることが予想される。旭日旗がナチスの「SS旗」と同様、差別行為であると判断されたことについては、正直なところ戸惑いを禁じ得ない。「差別的なメッセージを含むものではない」とするJリーグは、AFCに対してしっかり確認しておく必要があるだろう。
ただし、それでも韓国のスタジアムで旭日旗を掲出した行為については、あまりにも軽率に過ぎたと言わざるを得ない。なぜなら、韓国人のサポーターにとっては「挑発行為」以外の何ものでもないからだ。いくら「旭日旗は自衛隊でも使用されている旗で、差別的なメッセージではないんですよ」と主張したところで、相手の感情が和らぐことはない。ここで重要なのは、こちらの「常識」と相手が抱く「感情」とは、まったくの別物であるということだ。
■「ここは日本だから」が通用しない時代
ちなみに「SS旗」に関しては、フラッグを掲げたグループが「政治的な思想のつもりはなく、デザインの一環だった」と話していたことを、ガンバの山内隆司社長が会見で明かしている。いくら「政治的・差別的な意図はなかった」とか「挑発するつもりはなかった」などと弁明したところで、サポートクラブに多大な損害を与えてしまっては後の祭りである。「サポーター」を自認する人には言わずもがなだろうが、まだまだ無頓着なファンも少なくないのが実情だ。
一方で「SS旗」の事件は、Jリーグにも課題を残すこととなった。というのも、3年前に浦和レッズのホームゲームで発生した「JAPANESE ONLY」事件と比べて、あまりにも対応が遅く感じられたからだ。会見でその理由について質問すると、村井チェアマンは「初動のところでのセンシビリティ(感受性)に問題があった。クラブにとってもリーグにとっても、大きな問題だったと認識しなければならない」とした上で、こう続けている。
「われわれの認識と世界の認識が、ずれ始めているんだと思います。これだけインターネットが発達して、国家間で人の流動性が高まって、サッカーでも国際間の試合が多い。そんな中、われわれの認識で『これならいいよな』ということが、世界でまったく認識されなくなってきている。まず、われわれ自身が環境変化を自覚して、サッカー界としてしっかり認識していくことが大事だと思います」
繰り返しになるが、AFCが旭日旗を「差別行為」と判断したことについては、個人的には強い違和感を覚えている。しかしそれとは別に、「ここは日本だから」とか「これが日本の常識だから」という理由だけで、他者が「差別」や「挑発」と受け止めるような横断幕やフラッグをスタジアムで掲出することは、厳に慎むべきである。自分の無知や思い込みが、ネットを通じて世界中に拡散され、思わぬリスクを生じさせてしまう時代──。そうした現実に背を向けるのではなく、われわれはセンシビリティを保ちながら、時代に適した所作を身につける必要がある。
【付記】このほど『サッカーと愛国』でミズノスポーツライター賞を受賞した清義明さんより、本稿に関して「AFC規約の58条は『差別行為』というタイトルが付けられていますが、もっと包括的なものです」とのご指摘をいただいた。この中の「political opinion(政治的意見)」が問題になっているのではないか、というのが清さんの見立て。AFCが最終的にどのような見解を示すのか、現時点ではまだ明らかではないが、とりいそぎ当該部分の原文を提示しておく。