信念を貫いた50年。小柳ルミ子を成立させた哲学と、行きついた「本領発揮」の境地
デビュー50周年を迎えた歌手の小柳ルミ子さん(68)。記念シングル「深夜零時、乱れ心」もセルフプロデュースし、さらなる高みを目指します。「わたしの城下町」などヒット曲を連発する清純派アイドルとして注目され、イメージを一変させた映画「白蛇抄」では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得しました。あらゆる顔を見せながら駆け抜けた半世紀でしたが、その道を築いたのは人知れぬ戦いと揺るがない哲学でした。
本領発揮
50周年を機に、一つのコンセプトとして「本領発揮」という言葉を使っているんです。
「わたしの城下町」や「瀬戸の花嫁」の清純なイメージを持っていただいている方も多いのかもしれませんけど、ステージではずっと今回の曲のような激しくて、情熱的なものをお見せしてきました。
なので、50周年だから新しいものをやったというわけではなく、本来のテイストを今一度強く出していこうと。その思いを「本領発揮」に込めてみました。
いろいろなイメージをお持ちの方がいらっしゃるということは、50年、それだけいろいろなことがあったということなんだと思います。思います、じゃなくて、実際にいろいろありすぎました(笑)。
月並みですけど、感無量というか、よくリタイアしなかったなと思いますね。自分のことではありますが、並大抵の精神力ではできないことがたくさんあったので、我ながら「よく頑張った」と言ってあげたいです。
これはね、誤解を生みかねない言い方になるかもしれませんけど、敵は“外”ではなく“内”にいるんです。
敵と言うと、本当に語弊がありますけど(笑)、身内のスタッフはいろいろと考えて、私という商品をどう売るかを考えてくださるわけです。
ただ、それが私の進みたい方向と同じとは限らない。問題は、そこなんです。
例えば、これまでのイメージとは違う曲を歌いたいとなっても、会社としては、その効率性とか、今後のビジネス展開を考えて、端的に言うと「こっちの方がもっと効率よく、安定してお金になる」という方を選ぶわけです。
芸能界もショー“ビジネス”ですから、お金儲けを考えることは当然のことで、むしろ、それが普通のことでもあると思います。
「これまでのイメージを覆すような大変な方向にわざわざ進まなくても」という、ある種の親心的なものもあったのかもしれません。
ただ、私は自分の中に「これがやりたい」というビジョンがハッキリとあって、そこに進みたい。そうなると、まず身内を説得しないといけない。それが難儀でした(笑)。
もちろん、同業のライバルとか、マスコミとか、いろいろな評価とか、外部との戦いもあります。でも、それはあって当然のことで、まず、その土俵に上がるまでに身内を説得しないといけない。その戦いが軸になってましたね。
結果を残す
考えてみると、まだそんな言葉が確立されてなかった時代から、私はセルフプロデュースをしてきた人間なんだと思います。
その結果、小さい頃から「こうなりたい」と思ってきた自分と、50年かけて作り上げてきた今の自分が合致しているんです。
デビューした時の私は、それこそ、日本的な純情な女の子というイメージだったと思います。でも、自分の中には「そうじゃないんだけどな…」という思いがあった。
もちろん、そういう清純な部分も実はあったのかもしれません。作家の先生方がそういう部分を見出してくださって、そこをフィーチャーした作品を作って世に出してくださったからこそ、今の私がある。それも重々分かっているんです。
でも、本来の私はカラフルで、アクティブで、セクシーで…という思いがある。小柳ルミ子を自己分析すると、和と洋、静と動、淑女と悪女…。あらゆる対義語が背中合わせになっている。そんな存在なのかなと思っています。
皆さんからしたら「わたしの城下町」の清純なルミ子が、映画「白蛇抄」に出て濡れ場を見せる。どういうことなんだと思われたかもしれません。
エロティックなシーンがこれでもかとある。正直、周囲から総スカンを食らいました。でも、それが私にとってやりたいことで、必要なことだったんです。
もし、映画として結果が出ず失敗していたら、これでもかと「それ見たことか」の大合唱になっていたと思います。
ただ、衝突しながらも、50年経って自分がやりたいものをできている。その理由は明らかです。結果を残してきたから。それしかありません。
結果を出し続けることで「ルミ子が言うんだったら…」に風向きが変わってきた。変えてきた。その積み重ねだと思っています。
今の自分だからこそ
この前、NHKで矢沢永吉さんの番組をやってたんです。
「若い奴に言いたいことは?」と矢沢さんが尋ねられて、答えてらっしゃったのが「とにかく、あがけ」でした。
「オレが教えることなんて何もない。とにかく、逃げずにあがいて、あがいて、あがきまくれ」。これって、私がやってきたことと同じだなと。
私も、昔のようには踊れないかもしれない。でも、そうやってあがき続けてきた時間が背中に68年分乗っかってるわけです。
今の矢沢さんの歌は、若い頃みたいに動き回らなくてもファンを湧かせる。感動させる。今の矢沢さんだからこそ、伝わるものがある。
きっと私にも、今の自分だからこそ表現できるエンターテインメントがある。そして、それを通じて伝えるものには、年齢を重ねることへの勇気が含まれるとも思っています。
ほんの少しの積み重ね
それでいうと、体づくりというのも、私の中ではあがくというか、積み重ねを続けてきたところだと思います。
ジムにも行かないし、食べ物の制限も一切しません。特に、私は朝までサッカーの試合を見ているので、必ず夜食を食べますし、好きなものを好きなように食べています。
でも、体型は変わらないし、ちゃんと踊れる体を作っているつもりです。これってね、本当に日々の積み重ねなんです。
トレーニングとまではいかない。生活の中での、ほんの少しの積み重ね。
一例を挙げると、イスに座っている時も、背もたれに背中はつけません。背筋を使って、体を自立させるように意識をしています。
イスから立ち上がる時も、足の筋肉だけを使って立ち上がっているんです。おそらく、多くの人はイスのひじ掛けを持ったり、上半身を起こす反動で立ち上がったりされていると思うんですけど、純粋に足の筋力だけを使う。そういう細かい意識を無数に積み重ねる。そういうことだと私は思っています。
そうやって細くてしなやかな筋肉をつける。そして、代謝のいい体をキープする。その調整をずっとやり続けてきたつもりです。
激しいトレーニングでも、3カ月だけとかなら誰でも頑張れるんです。でも、ちょっとしたことを何十年も毎日続ける。
体もそうだし、小柳ルミ子という存在も、そういう積み重ねをしてきたからこそ、50年目の今があるんだろうなと思うんです。
そんな中、新型コロナの世の中になってしまって、昔から仲良しだった志村けんちゃんのこともありました。人生って、何が起こるか分からない。本当に、本当に。
明日のことも分からないし、1年後なんてもっと分からない。だからこそ、今日をどう生きるのかを考える。そういうスタンスにもなりました。
「また今度」の「今度」があるかも分からない。だから、結局、今「本領発揮」しないといけないんですよね。
話を無理やりシングルに戻して終わらせるわけじゃないんですけど(笑)、それが今本当に思うことだし、これからも、そうやって生きていこうと思っているんです。
(撮影・中西正男)
■小柳ルミ子(こやなぎ・るみこ)
1952年7月2日生まれ。福岡県出身。プラチナムプロダクション所属。中学卒業後、すぐに宝塚音楽学校に入学。首席で卒業後、芸能界に入る。71年、作曲家・平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビュー。オリコン年間シングル売上チャート1位を記録し、日本レコード大賞最優秀新人賞も獲得する。翌年には「瀬戸の花嫁」が大ヒット。その後も「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」などヒット曲多数。女優としても活躍し、83年には映画「白蛇抄」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞する。膨大な試合観戦数に裏打ちされた知識の豊富さから、近年はサッカー解説にも活動の場を広げている。50周年記念シングル「深夜零時、乱れ心」を4月21日にリリース。ブログ、インスタグラムなどSNSも駆使し、発信を続けている。