独立球団では異例の“2軍”を来季発足か。佐賀インドネシアドリームズが描く未来図とは
インドネシアなど東南アジア諸国の代表選手らを中心にチーム編成した異色の球団「佐賀インドネシアドリームズ」がチーム創設1年目のシーズンを終え、9月28日に佐賀県嬉野市内でシーズン報告会を行った。
「ファーム育成機関を来季から」GMが構想
その中で球団の山下翔一GMが次のような構想を明かした。
「来年はもっともっと多くの国の方々に関わっていただきたいと思っています。今季が7か国。来季は14、5か国に。また、我々の球団は勝つことも手段として重要ですが、一番の目的は世界中で野球を志す方々の希望の光になること。もっと沢山の選手に来ていただいて、1軍(独立のリーグ戦)で活躍する選手だけでなく、これから伸びていく選手を育てるのも我々の大きな使命。ファーム育成機関を来季から作って、中長期的に選手を育てていくことも描いていきたい」
独立リーグも選手の成長の場であることは間違いない。しかし、一般的には1年でも早いNPB12球団入りを目指してそこに入団してくる。あくまでアピールの場。中長期的な視点を持つ選手は決して多くないし、球団側も経営的な面から選手保有数も含めてその余裕はない。
だが、独自路線を進む佐賀インドネシアドリームズだ。
東南アジア諸国の野球はまだまだ発展の入り口付近。今季はヤマエグループ九州アジアリーグの準加盟球団としてシーズンに臨んだものの公式戦は16戦全敗に終わった。4月13日の開幕戦(宮崎サンシャインズ戦=ひぜしんスタジアム)は0-17で大敗し、6月9日の火の国サラマンダーズ戦(ひぜしんスタジアム)は1人の走者も出せずに完全試合で敗れた。
「出来ない」じゃなくて「知らない」
初代監督の香月良仁監督(元千葉ロッテ)も「最初は正直、これで戦えるのかという思いもありました。開幕2戦目はスコアこそ7-9でしたが、10回やっても1度も勝てないと感じました」と振り返る。ただ、香月監督をはじめ首脳陣は己を見つめなおした。
「私もそうですが、日本で生まれ育った我々はプロを目指して小さな頃から野球に打ち込んできた。でも、彼らの国にはプロ野球はない。野球でメシを食うという概念がない。周りから反対され、お金にならない野球を頑張ってきたんです。たとえばプロの自覚を求めてもそれは難しい。僕らの当たり前は彼らの当たり前ではない。出来ないじゃなくて知らないのです。一から向き合うことで、徐々に変化が見られるようになりました」
公式戦は未勝利に終わったが、8月3日の大分B-リングスとの練習試合で引き分けに持ち込むと、9月4日には今季の九州アジアリーグを制覇した北九州下関フェニックスとの練習試合に7-4で勝利を果たした。
東南アジア諸国から好反応
今年は日本国内のメディアの取材もそれなりの数があったようだが、東南アジア諸国での反応がかなり良かったという。インドネシア、スリランカ、シンガポールの大手メディアが佐賀まで足を運び、さらに球団公式の配信なども約9割が海外からのアクセスだという。
球団は来季も、九州アジアリーグの準加盟球団としてシーズンに臨む。正式加盟すれば今季の4倍程度となる約76試合を戦わなければならず、それをやり抜く選手層も選手たちの体力や経験もまだ満たしていないと判断したようだ。また、香月監督は「現場としては独立リーグの試合は多すぎるのではと感じることもあります」と話す。NPBは試合興行を中心としたマーケットを確立しているが、独立リーグの観客動員数などを鑑みれば苦しいのが現実だ。
「試合で喜んでもらうのも大切ですが、地域に必要不可欠な球団や選手であることも大切。幼稚園訪問もそうだし、地域のお祭り、農家の草刈りとかも。過疎化高齢化などで、地域の手の足りていないところに野球選手が行ってお手伝いをするのでもいい。来年度も、今季と同じような活動をしていければ」と香月監督。
将来的にはこの球団からNPBやMLBへ移籍するレベルの選手を生み出す夢もあるが、野球を通じた地域貢献、さらには野球途上国への競技振興や普及、さらには雇用促進など経済的なプラスアルファも含めて、佐賀インドネシアドリームズは球団名のごとく「夢」をもって次なるシーズンへと突き進んでいく。
(※写真はすべて筆者撮影)