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阪神淡路大震災から19年、阪神鳴尾浜球場の歴史と同じです。

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター

阪神淡路大震災から17日で19年となります。前年の1994年秋に、総工費17億円をかけて室内練習場と合宿所を備えた阪神鳴尾浜球場が完成しました。12月には寮生たちが、甲子園球場東側にあった先代の虎風荘から引っ越したばかり。きれいな部屋、大きなお風呂や食堂、トレーニングルームなど、真新しい施設に選手たちの顔も明るく輝いていました。2年目を迎える平尾博司選手が、大宮東高校時代に持ち帰った甲子園の土を部屋に置いていたことを覚えています。

それまでの阪神ファームは甲子園球場か、もしくは尼崎市の浜田球場で試合をしていました。浜田球場は今もまだあるそうですね。グラウンドをぐるりと金網が取り囲み、その外で見るしかなくて大変だったんですよ。また先代の虎風荘もなかなか年季の入った建物で…選手たちは新居が本当に嬉しかったみたいです。なお余談ですけど、交通の便は先代の方が圧倒的に有利でした。

ライフラインを断たれた寮で缶詰状態

新しい部屋での暮らしを思い描きながら、年末年始を実家で過ごした寮生たちが鳴尾浜に戻り始め、新人選手(この年のルーキーは山村宏樹投手、北川博敏捕手、田中秀太内野手、川尻哲郎投手、矢野正之投手の5人)も入寮を済ませて合同自主トレが始まった頃に、あの大地震が起きたのです。

できたばかりの建物に亀裂が入り、まだ本格的に使っていないグラウンドは液状化現象、しかもライフラインを断たれた状態ですから練習どころではありません。選手は再び親元へ帰ることになったものの交通がマヒしていて2日間は動けず。寮にいた10人ほどの選手のために寮長だった梅本正之さんは、寮のまかないをしている方が自宅で作ってくださった大量のカレーを運んだそうです。大きな鍋を抱え、自転車と電車を乗り継いで。

やがて何とか地元へ戻り、不安を抱えながらも各自でトレーニングを続ける寮生たち。しばらくして様子を聞こうと選手の実家へ電話をした時、親御さんから「そちらはどうですか?もう寮に戻れますか?キャンプは行けるんでしょうか?」と矢継ぎ早に質問されました。当時は現役だった真弓明信さんも鳴尾浜で自主トレをしていて、地震後は自宅から通うことが困難になり半年くらい虎風荘で生活したと聞きます。

熟考の末に春季キャンプ決行

あの頃は1軍、ファームとも高知県の安芸市で春季キャンプをしていた阪神ですが、開始まで半月もない状況。それに自宅が全壊した選手、親戚や友人の安否もわからない選手もいます。たとえ被災を免れた選手でも不安だらけの家族を残して行けるのか。何度も何度も話し合いを重ねた結果、予定通り安芸で行われることになりました。

まだ電車も道路も全面開通にはほど遠く、行きかう人々も重苦しい気持ちを抱えていた2月初旬、私はキャンプ取材へ出かけました。高知へ向かう飛行機の窓から見えた神戸の街を、そして無数に広がる青い屋根を今も忘れられません。よく見ると、それは青い屋根ではなく、被災した家々を覆うビニールシートでした。苦しみや絶望を包み込み、陽光をはね返す鮮やかなブルーが目にしみて…ただ泣くことしかできなかったのを思い出します。

野球ができる喜び、それを見られる幸せ

キャンプが終わり、引き続き行われたオープン戦も日生球場などに場所を移しての開催でした。被災地の復旧にはまだまだ時間のかかる状況で、野球をやっていていいのかという声もあったそうですが、打ちひしがれた地元の方々を少しでも元気づけられればと決断されたもの。修復作業が済んだ阪神鳴尾浜球場でのウエスタン公式戦にも、すぐ近くにあるグラウンドを埋め尽くした仮設住宅から多くの方が観戦に訪れました。野球ができる喜び、それを見られる幸せを、それぞれ噛みしめていたように思います。

「若い子がこうやって駆け回る姿を見て元気がもらえた」

「ここにいる時だけは、余震や先行きの不安から解放される」

この言葉ひとつひとつが決して他人事ではなかった日々。ようやく恐怖感や悲しみの記憶が薄らいできた頃に、今度は東日本大震災がありました。癒えたと思っていた傷が、かさぶたの下にまだ痛みを残していたのでしょうか。再び不安がよみがえります。もう大丈夫、これで終わりと誰かが言ってくれたらいいのに。そんな時、逆境に立ち向かい日本一となった東北楽天が力をくれたのです。東日本だけでなく、日本全国に大きな力をくれました。

あらゆることに感謝できた気持ちを忘れない

阪神淡路大震災から19年―。鳴尾浜臨海公園のグラウンドに立っていた仮設住宅はなくなり、鳴尾浜球場は当時の倍以上のお客様で賑わっています。プロ野球の世界にも、あの年に生まれた選手たちが入団してきました。タイガースの横田慎太郎選手の誕生日は1995年6月9日です。これから阪神淡路大震災を知らない世代が増えていくのですね。

いま振り返ると、あの時は「電話で家族の声を聞ける」「暖かいご飯が食べられる」「電車に乗れる」といった、当たり前だと信じて疑わなかったことが本当にありがたいと感じました。もちろん野球を見られることも。つらい記憶は消してしまって構わないけど、すべてのものに感謝することができた、あの気持ち…それだけは忘れずにいようと思います。

※2009年1月17日にスポニチ夢阪神『岡本育子の小虎日記』で掲載した「1月17日に思うこと」に加筆したものです。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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