なぜ、ネパール定食「ダルバート」を出す店が、東京に300店もあるの?
ネパールの国民料理、「ダルバート」(※1)。今や東京では、ダルバートを出す店が、300軒を超えています(※2)。
ためしに食べログで「東京 かつ丼」で検索してみると、389軒がヒット。親子丼だと、265軒。もちろん検索に引っかからない店もあるでしょうが、大まかにいえばダルバートというエスニックなマイナー料理が、店数の上ではカツ丼や親子丼レベルの身近さになっているのです。
そこで今回は、『日本のインド・ネパール料理店』などの著書があるインド・ネパール専門家、アジアハンター 小林真樹さんに、ダルバートスポットの異様な多さの理由を尋ねてみました。見えてきたのは、バブル期の前から始まる、日本のネパール料理店の数奇な道のりでした。
※1 豆のスープとご飯がセットになった定食で、ネパールの定番料理。カレー、野菜炒め、漬物、生野菜などとあわせて食べる
※2 東京ダルバートMAP調べ
バブル期の高級インド料理店がルーツ
田嶋:今日はぜひ、東京にダルバートスポットが300店もある理由を教えてください。
小林さん:一つの理由ではなく、いくつかの事象がからみあっての結果だと考えています。
それをつかむ上でまず目を向けたいのが、日本のネパール料理店の歴史です。国内のネパールレストランのはしりと言えるのが、1970年代後半に長野県でネパール人によって始められた「クンビラ」です。
一方、それとは別系統のネパールレストランも登場し、その後今日までに店数を大きく伸ばすことになります。それが、ネパール人経営のインド料理レストラン「インド・ネパール料理店」、通称インネパ店です。
インネパ店のルーツは、1980年代頃から人気となった、高級路線のインド料理店にあります。たとえば、モティ、ラージ・マハル、サムラートといったお店ですね。
田嶋:当時は、家カレーとは違うスパイシーなインドカレーをナンで食べるという行為がとても新鮮で、めちゃくちゃエキゾチックに感じました。
小林さん:そうした店では、インド人だけでなく、真面目で器用なネパール人も次第にコックとして呼ばれるようになっていきました。そうしたネパール人たちが、後に独立して自ら手がけたインド料理店が、インネパ店の起こりだと考えられます。
ただし、そうした初期のインネパ店では、ダルバートがメニューに入ることはほぼなかったでしょう。
田嶋:ネパール人の店なのに、ネパールの国民食は置かなかったのですね。
小林さん:理由は、ダルバートの立ち位置にあります。
もともとネパール人にとってダルバートは、家庭を中心に食べられる、日常的な料理です。だから、インド料理のプロコックからすれば、レストランでお客に出すようなものではないとの意識があります。そんなものを日本人に出したって、売れるはずがない。インドレストランたるもの、もっとリッチで非日常的なごちそうであるインドカレーやナンを出すべきであると。
田嶋:そうすると80年代や90年代は、日本人がお店でダルバートにありつくのは、相当難しかったんでしょうね。
小林さん:1997年開店の吉祥寺 ナマステカトマンズや1999年開店の小岩 サンサールなど、早くからダルバートを出していたネパールレストランはありましたが、それも90年代後半以降の、ごく一部の店でした。
インネパ店の激増で、後の“下地”ができる
小林さん:その後2000年代以降、まさにインド人もびっくりなほど、インネパ店の数は飛躍的に伸びていきます。
田嶋:その辺りの経緯と背景は、小林さんにもお話をうかがったYahoo!ニュースの記事でも書きました。
ざっくりまとめれば、以下になるでしょうか。
「日本のインネパ店オーナーは、ネパール本国からコックを呼び寄せる際に、勤務先を提供するかわりに、150万円前後をコックから受け取ることが商習慣になっている。結果、呼び寄せ自体がビジネスとなり、呼び寄せられた人もまた独立してインネパ店を開き、同様に呼び寄せを行うことで、連鎖的にインネパ店が増えていった」
「ネパールでは、多くの人が他国へ出稼ぎにいく。日本のインネパ店のコックでは十分に稼げないことも多いが、コックは家族を日本に呼び寄せることができ、夫婦で働いて稼ぐことを見越して日本への出稼ぎが人気になっている」
「2001年に4081人だった在留ネパール人の数は、2022年に34倍超の13万9393人に激増。インネパ店の数も、ここ15年ほどで5倍前後になっている模様で、全国に少なくとも2000店ある」
こうしてインネパ店が激増したことが、後にダルバートスポットがたくさん登場する下地になったのかなと。
小林さん:それと実は、昔から同胞が集まる場でダルバートを出すインネパ店は、ありました。たとえば新生児のお食い初めや、ヒンドゥー教徒のお祝い・ダサインなどに際し、一緒にお祝いをしようとネパール人たちが知り合いのインネパ店に集まる。そこでは、メニューにないローカルなネパール料理が供される。そして、しめにダルバート的なセットもふるまわれる…。
私自身も90年代後半や2000年代に、そうした集まりに参加させていただき、ダルバートが出されるのを見てきました。そのような同胞向けのネパール料理が、後に店の正式メニューになったケースもあると思います。
新大久保が現地式ネパール料理の聖地に
小林さん:一方2010年代に入り、現地仕様のネパール料理をメインに出す「ネパール料理専門店」が、ついに登場します。その重要な嚆矢となったのが、2010年に新大久保に生まれたネパール料理店「モモ」です。
それまでは多くのネパール人が「ネパール料理をメインに出しては、店としてやっていけるはずがない」と考えていたところに、「人と違うことがしたい」という店主のパイオニア精神から、ローカルなネパール料理を出す「モモ」が誕生。結果、まずは同胞の間で人気となり、次第に日本人の好事家たちにも話題となっていきました。
田嶋:「モモ」の起こりについては、小林さんの著書『日本のインド・ネパール料理店』にも詳しく書かれていますよね。また、僕もこちらの記事で書いたことがあります。
小林さん:モモが成功してからは、ソルティーカジャガル(2013年)、ソルマリ(2015年)、ナングロ・ガル(2015年)、アーガン(2016年)等々、今も人気のネパール料理専門店が、新大久保に続々と誕生しました。
田嶋:僕が初めてダルバートを食べたのも、たしか2013年頃です。今もネパール人客が多いですが、当時そうしたネパール料理専門店では日本人の姿をほとんど見かけず、異国語を話しながらダルバートをワシワシ手食する外国人に囲まれる“異世界感”にシビれました。
今や新大久保界隈には、30軒以上のダルバート提供店がひしめくまでになっています。
小林さん:界隈でこれだけネパール料理店が増えたのには、いわゆる“承認欲求”によるところも小さくないと思います。要は、新大久保でネパール料理店をもつことが、ネパール人コミュニティの中である種のステータスになっていると。だからこそオーナーたちは、どこにでもあるようなインネパ店ではなく、メニューや内外装に独自性をもたせた店を、競うようにして出しているのかなと。
また「モモ」の成功以降、新大久保以外の場所でも、現地仕様のネパール料理を出す店が増えました。
これらの背景には、在留ネパール人の激増で、ネパール人をターゲットにした商売でも成り立つようになってきたこともあると思います。
田嶋:本当に10年代後半くらいから、ダルバートがいろいろな店で食べられるようになって、グッと身近になった感覚がありますね。
ネパール人の間で起こった「意識の転換」
田嶋:そして最近は、ネパール料理専門店ではないインネパ店でありながら、ダルバートを出すところも増えている気がします。といってもインネパ店全体で見ればまだ一部なんですが、メニューにはないけど頼めば作ってくれる“隠れダルバート”も含めると、けっこうな数にのぼります。
小林さん:今でも「日本人相手には、ナンとコッテリしたカレーじゃなければならない」と考えるネパール人経営者は少なくありませんし、それが経営判断として正しい場合も多いでしょう。一方で、新大久保などのネパール料理店の成功によって「必ずしもインド料理をメインに出さないといけないわけではない」「ネパール料理を出す選択肢もある」といった意識も、確実に広まってきたのかなと。
そうした意識は、TikTokやFacebookなどのSNSを通して、ネパール人コミュニティでどんどん共有されていきます。
田嶋:インネパ店がインフラともいえるほど各駅にある存在になったことと、ネパール人の意識の転換がかけあわさって、「東京でダルバート提供店が300軒超」の数字になっていることを実感します。
日本人の“現地料理愛”は、世界でも特別
小林さん:それと、ネパール料理を出す店が増えたのには、日本人の気質も後押ししていると思います。
田嶋:日本人のどんな気質でしょう。
小林さん:私はマレーシアやタイ、韓国、イギリスなどいろいろな国で、インドタウンやネパールタウンを訪れましたが、そうした店には基本的に同胞以外の人が食事に行くことはほとんどありません。だからネパール料理店であれば、ネパール語メニューがあるだけで、他の言語のメニューはなかったりします。
対して日本の場合、たとえ同胞向けネパール料理店であっても、たいていはメニューに日本語表記があります。それはネパール料理に限らず、パキスタン料理やバングラデシュ料理など、他のインド亜大陸料理の店でもおおむね同様です。つまり、ディープなローカル料理を出す店であっても、一定数の日本人が訪れるのです。そのくらい、日本人の探求心やオタク的な気質、新しい文物をとり入れる進取の気質といったものは、世界でも特筆すべきものだと思います。
田嶋:そうした日本人ならではの“現地料理好き”の気質があったからこそ、ディープなネパール料理店もこれだけ増えたと。
小林さん:そう思います。中には、「ダルバートを出した方がいいんじゃない?」などと、お店に進言する日本人もいるんだと思います。
田嶋:小林さん以外にも、そういう人がいるんですね。
小林さん:いやー、絶対にいるでしょう。
東京は、圧倒的な「ダルバート天国」
田嶋:個人的には、今後もダルバートスポットがどんどん増え、ダルバートがいっそう身近な存在になったらいいなと。すでにネパール人のお店はすごい数があるだけに、ダルバートスポットが増えるポテンシャルもまだ相当にあるのではないでしょうか。それこそ、オセロの石の色が何かの拍子に一気に変わるようにしてダルバート提供店だらけになるようなことが、今後あるかもしれないなと(笑)。
もちろん、リッチなインド料理を出すお店も、そちらはそちらであり続けてほしいです。
ちなみに、日本の他の都市では、どんな状況ですか?
小林さん:たとえば福岡や名古屋など、ネパール人学生が多い都市では、東京と同じようにローカルなネパール料理を出す店がだいぶ増えています。とはいえ、店の数や密集度でいえば、東京には及びません。
他の場所にいたっては、ダルバートがまだほとんど浸透しておらず、ダルバートを出す店がほぼゼロといった地域が多いのが現状です。それをふまえると、ダルバート提供店は、やはり東京に一極集中していると言えます。
田嶋:そんな小林さんの、おすすめのダルバートスポットは?
小林さん:好きな店はいろいろありますが、世界のどこを探しても換えが利かないオンリーワンな点で、巣鴨のプルジャダイニングを挙げます。店主・プルジャさんの料理に対する意識が極めて高く、自家栽培の野菜をはじめ素材にもこだわり、味もボリュームも申し分ない。そういった特別なことを、あたりまえのようにさらっとやっているところが、またすごいなと。本当になくなっては困るお店です。
田嶋:では最後に、ダルバートのどこが好きかを教えてください。
小林さん:あなたにとってダルバートとは?みたいな問いですね(笑)。
ひとくちにダルバートと言っても、500円ダルバートに代表される、ネパールの掘っ立て小屋のようなところで出される量と安さがとりえみたいなものもあります。かたや、真鍮のお皿に盛られた美しいタカリダルバートや、富裕層向けのリッチなものもある。そんなふうに、さまざまな概念が内包されているところが、ダルバートの奥深さだと感じます。
だからこそ、ひたすら現地主義的なものを追い求めるのもいいですが、一方でインネパ店の豆カレーとごはんを組み合わせた“なんちゃってダルバート”だったり、メニューの写真とはだいぶ違うダルバートであっても、できるかぎり楽しみたいなと。
「自分はこんなダルバートも楽しめたぞ」「貴重な機会を与えてもらってありがたいな」と、なるべくプラス思考で考え、ストライクゾーンを広めに取る。それが、ダルバートと長くいい関係を保つ、何よりものコツだと思います。
小林真樹さん
インド・ネパールの食器や調理器具を輸入販売する、有限会社アジアハンター代表。旅を愛する元バックパッカーで、インドやネパールへの渡航は数知れず。日本国内のインド亜大陸料理店にも精通する。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』『日本のインド・ネパール料理店』。http://www.asiahunter.com/