政府債務削減の歴史
政府の債務残高がGDP比で200%を超えたのはそれほど例がない。終戦後の日本と現在の日本、そしてナポレオン戦争後と第二次大戦の後の英国にその例がみられる。
巨額の政府債務を削減するには、穏やかな政策としては財政再建と景気回復、金利の抑制などをミックスさせた財政健全化、やや思い切った手段として半ば強制的に国民から税として吸い上げる手段、さらにデフォルト、そしてインフルによる債務削減等がある。
英国はナポレオン戦争後の1821年に政府債務のGDP比は288%に達した。これを1914年までかけて29%まで低下させている。このときにはデフォルト等もなく、それほど極端なインフレも起きていない。このときの債務削減の主たる方法は経済成長とされる。金本位制のもとでの均衡財政政策、軍事費の削減とそれにともなう国債発行の減少、長期債への借換えなど各種の国債管理政策による金利負担減少、1875年に導入された減債基金法などが債務削減の背景にあったとされる(日銀金融研究所の金融研究、藤木裕氏の「財政赤字とインフレーション」より一部引用)。
第二次大戦後の英国については、公的債務の利払い費抑制や長期債利回りを超低水準に誘導する国債価格支持政策が導入された。イングランド銀行による短期債の無制限購入も行っていたが、成果はあまり上がらなかったようである。それでも高いインフレ率に対して長期金利が人為的に抑制されていたこともあり(金融抑圧)、政府債務は徐々に削減されていた。名目GDPそのものが拡大したことで、政府債務のGDP比が低下した面も大きかった。
第二次大戦後の日本は、対外債務は実質的なデフォルトとし、対内債務についてはハイパーインフレでかなり目減りしていたが、最終的には預金封鎖と新円切り替えで国民の財産を差し押さえ、財産税により徴収した資金でそれを返済した。戦時中に国民や国内企業に対して約束した補償債務については、戦時補償特別税の課税というかたちで相殺したのである。
現在の日本は政府債務削減が主目的ではないものの、結果として日銀の異次元緩和による大量の国債買入により、長期金利が抑えられ、第二次大戦後の英国に近い政策が取られている。ただし、物価に関しては低迷が続いている。国債の新規発行額は抑えられつつあるが、それでもすでに政府債務残高は1000兆円を超えている。債務総額というよりも政府債務のGDP比をいかに抑えることができるのか。ハードクラッシュではない手段を選択する必要があるとすれば、少なくとも財政再建の手を緩めるべきではない。