「宗教っぽい会社」は悪なのか? 強い文化による組織マネジメントにはメリットも多い
■「カルトのような文化」は良い会社の特徴?
ビジネス書の古典的名著『ビジョナリー・カンパニー』(ジム・コリンズほか著・日経BP出版センター刊)は、時代を超えて生き続ける永続企業の「8つの生存の法則」のひとつに「カルトのような文化」を挙げています。
カルトとは反社会的で狂信的な宗教的集団のことを指し、一般的には望ましい意味で使われているとは言い難い言葉です。それがなぜ永続企業の特徴になりえるのかは本書をご覧いただくとして、本稿ではそういう会社は「従業員にとって働きやすいのか」について考えてみたいと思います。
■単なるブラック企業なら成長し続けられない
就活生の間でも「あの会社は宗教っぽい」という表現はよく使われるようです。共通の強い価値観が浸透しているという意味であることが多いのですが、多様性を貴ぶ昨今の時代背景からか、どちらかといえば批判的、否定的なイメージです。
ところが、そう評される会社は業績もよく、成長していることが多いように思います。もちろん企業の売り上げや規模の成長と、そこで働く人の働きやすさとは必ずしもイコールではありません。むしろブラック企業といわれる会社は、社員の働きやすさを収奪しながら換金しているところがあり、企業と社員の利害関係はむしろ対立するかもしれません。
しかし「宗教っぽい会社」が単なるブラック企業ならば、永続的な成長などできないでしょう。社員が働きにくい会社に入りたいと思う人は少なく、採用やリテンション(退職引き止め)などに悪影響を与えるからです。
そう考えると宗教っぽさは、実際にはある種の「働きやすさ」を生み出していると考えるのが自然です。共通の強い価値観が浸透しているとは、言いかえれば強い文化を持っていることですが、それが組織に対してどんなメリットをもたらすのでしょうか。
■規制や市場によるマネジメントのデメリット
ところで、組織が人を動かす「組織マネジメント」には大きく3つの方法があるといわれます。それは、(1)規制(官僚制、行動管理)によるマネジメント、(2)市場(ルール下の競争、結果管理)によるマネジメント、(3)文化によるマネジメントですが、それぞれどのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか。
規制によるマネジメントは、社員に行動を明確に指示することで、相対的に組織を確実に動かすことができます。その一方で、社員は1から10まで行動を管理されることで自律性や創造性を失っていきます。勝ちパターンがすぐに陳腐化する現代において、最前線の社員が自発的にアイデアを出さない会社は厳しいかもしれません。働く側から見ても、窮屈このうえないことでしょう。
市場によるマネジメントとは、社員に結果(ゴール)を指し示し、ルールを与えるやり方です。個別具体的な行動は強制せず、どれだけ結果を出したかで評価するので、各社員はそれぞれ自分で何をすればよいかを考える自由を与えられます。この方法では行動管理と違い、自発性は発揮されることでしょう。
ただし競争でモチベートされることは、社員の創造性には必ずしもプラスではありません。「外発的動機づけは内発的動機づけを阻害する」 という心理学の法則通り、競争という外発的な動機づけにより、創造性に関係がある内発的動機づけが下がるおそれがあります。勝つためにやるより、やりたくてやる方がクリエイティブさを生むということです。また、単なる競争は社員同士のシナジー、協働を生みにくく、下手をすると足の引っ張り合いさえ生み出すかもしれません。
■「文化によるマネジメント」は理想的なのか
この2つと比べて、強い文化を作ることによる組織マネジメントには、いろいろなメリットがあります。まずは、社員は明確な価値観には従うものの、基本的には自律的に自分で考えて動き、一つひとつ確認しなくてもよいので意思決定が速くなります。価値観が共通で考え方も似てくることで、メンバー同士の協力が促進されます。
加えて、同じ価値観の上司部下や同僚であれば、お互いに仕事の意味づけがしやすくなり、モチベーションのマネジメントもしやすくなります。やはり、強い文化によるマネジメント、すなわち宗教っぽさは「スピード」「自律性」「創造性」「シナジー」など企業経営にとって重要なものが得られる理想的なマネジメント方法かもしれません。
それならば、なぜ「宗教っぽさ」は、批判されるのでしょうか。それは強い価値観や文化が、それを共有できない人にはネガティブに作用することがあるからです。
強い共通の価値観を持つ組織の中で、自分も深く同意していれば、その価値観は空気のような存在になっているはずです。とても大事なものですが、いや、だからこそ、無意識でもそれに従って動くというわけです。あまりに当たり前すぎて意識にのぼってきません。
批判する人は、その価値観に同意できない人です。匂いと似ていますが、好きな匂いに包まれていると、いつしかその匂いは無意識の存在になりますが、その匂いが嫌な人にとっては、ずっと嫌な思いが続きます。それで、その匂い=価値観を批判的に、あまりよくないイメージの言葉として「宗教っぽい」というのでしょう。
■どんな会社も「宗教っぽい」のかもしれない
企業文化を構成する価値観には様々なものがありますが、どんな価値観であっても反対意見があるものです。例えば「人はずっと成長すべき」という人もいれば、「高い価値を出していればステイでもいいのでは」という人もいます。「協調性が大事だ」という人もいれば「競争こそがパワーを生む」という人もいるし、「仕事にこそ生き甲斐がある」という人もいれば「仕事は生きるための手段である」という人もいます。
そして、ある価値観を強く打ち出せば、それを排他的な偏った考え方であると批判的に思う人が必ず出てきます。しかも、組織が強い価値観を作ろうとすれば、そのコアな部分に対する批判者は組織的弾圧を受けるため、さらに反発は強くなるというわけです。
結局、働きやすさを考えた場合、人はどうすればよいかといえば、当たり前ですが、好きな文化の会社をきちんと選ぶということです。「成長」や「強調」など社会的に望ましいとされる文化を前にしても思考停止せず、それは本当に自分にとって価値といえるのかを考えてみましょう。
もう一つの選択肢は、文化の弱い、機械的なルールに乗っ取って運営されている無機質な会社に入ることです。文化の強い会社は行動だけではなく思想や発言だけでも批判されてしまいますが、無機質な会社では、やることをやって結果を出していれば、思想自体を咎められることはあまりありません。
もちろん、無機質といわれる官僚的な組織でも、結果主義的な組織でも、その思想に反する言動をすれば排除されるという意味では、文化によるマネジメントともいえ、誰にとっても居心地のよい組織はないのですが……。そう考えると、どんな会社でも「宗教っぽい」ですね(笑)。さて、皆さんは、どういう会社がお好きでしょうか?
※人と組織のマネジメントに関する連載を、キャリコネニュースでしています。こちらも是非ご覧ください。