ニクソン・ショックから50年、ニクソン・ショックって何?
26日付の日本経済新聞の経済教室のタイトルは「国民生活改善への転機に ニクソン・ショック50年」とあった。ニクソン・ショックから50年なのかと思ったが、当時の私は13歳。ニクソン・ショックということが起きたことはニュースなどで知ったが、それが具体的に何だったのかを理解したのはだいぶ後になる。
「50年前の1971年8月16日朝(米国時間8月15日夜)、ニクソン米大統領は、金とドルの交換停止、10%の輸入課徴金賦課、90日間の賃金・物価凍結などを骨子とする新経済政策を発表した」(26日付の日本経済新聞)
これがいわゆるニクソン・ショックであるが、どうしてショックなのか、当時を振り返ってみたい。
1969年1月に成立したニクソン政権は大幅な財政拡大政策を取り、連邦予算は1969年の30億ドルの黒字から、1971年には230億ドルの赤字を出すまでに膨張した。1971年春には猛烈な投機により外国中央銀行にはドルが溢れ、米国の金準備は大量に外国に流出した。
その年の8月15日、ニクソン大統領は、テレビとラジオで全米に向けて声明を発表した。主な要点は、税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入などであった。
この中で特に注目されたのが「金とドルの交換停止」。これによって第二次大戦後の通貨の枠組みであったブレトン・ウッズ体制が崩壊し、為替市場は新たな展開を迎えた。
これにより人類の歴史上、長く続いた金を中心とした貴金属と通貨の関係が完全に切り離され、通貨は通貨間の相対価値が基準になるという、現在に続く変動相場制へと移行することになる。このニクソン大統領による声明は世界に大きなショックを与え、ニクソン・ショックやドル・ショックと呼ばれた。
ニクソン・ショックの同年12月に、ワシントンのスミソニアン博物館で開かれた10か国蔵相会議では、ニクソン大統領が発表した米国の新経済政策をうけて、通貨に関するいくつかの措置が合意された。これがスミソニアン合意である。
ドルを切り下げ、為替の変動幅を従来の上下1%から暫定的に2.25%に拡大された。円レートは16.88%切り上げられて308円に変更された。
しかし、スミソニアン体制でも為替相場は安定せず、ドル売りは止まらず、さらに1973年には第4次中東戦争の勃発による原油価格の急騰によるいわゆるオイル・ショックによるインフレ圧力も追い討ちをかける格好となった。
米国や英国の国際収支は改善されず、英国をはじめ各国がスミソニアン体制を放棄したことにより、1973年に主要先進国は変動相場制に移行し、スミソニアン体制はわずか2年で崩壊となった。