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妬みも迷いも噛みしめてmisonoがたどり着いた「今が一番」の境地

中西正男芸能記者
今の思いをストレートに語るmisonoさん

奔放を絵に描いたようなキャラクターで、バラエティー番組でもオンリーワンの輝きを見せていたmisonoさん(39)。先月、大阪・心斎橋にラーメン店「人類みなウチのラーメン」と焼き鳥店「ウチのヤキトリ」を相次いでオープンさせました。今、なぜ飲食店経営に乗り出したのか。夫との関係。目指すべき方向。今の思いをストレートに語りました。

飲食店経営の理由

先月末、大阪・心斎橋、アメリカ村にラーメン店と焼き鳥店をオープンさせました。

なぜ今、飲食のお店なんだ。最近、バラエティー番組にも出ていないけど、いったい何をしているんだ。何の稼ぎで生活しているんだ。ダンナと別居しているというニュースを見たりもしたけど、夫婦仲は今どうなっているんだ。

いろいろと今のmisonoに関する疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんし、そもそも、自分に関して何の興味もない人もたくさんいらっしゃると思いますけど(笑)、お店もスタートしたし、お話をさせてもらうには良い機会だとも思ったので、今の思いを正直にお伝えできればと思って、この場でお話をさせてもらっています。

そもそも、何かしらお店を経営するきっかけになったのは新型コロナ禍でした。コロナ禍をきっかけに京都の実家に戻ってきたんです。

京都は地元なんですけど、中学を出てからは沖縄アクターズスクールに通うために沖縄に行き、さらにそこからは東京で生活をしていたので、久々の京都での生活でもあったんです。

ずっと母親が姉(倖田來未)とmisonoのケアをするために10年以上前から始めてくれていたエステサロンがありまして、ありがたい話、多くのお客様に支えられてもらってきたんですけど、母親ももう年齢的にそこを続けるのがしんどいとなりまして。

ただ、せっかく母親が頑張ってきたお店だし、そのまま閉めるのはもったいないと思ったんです。自分も関西に住むことにしたし、娘が引き継ぐ形で、2021年に大阪店をオープンさせました。そこが私が何かしらお店に関わることの第一弾になったんです。

エステサロンをやりながら、自分が本当に良いと思ったお茶なんかもチャリティー活動の一環として販売したりもしてたんです。そのお茶が売れれば売れるほど、動物愛護の団体や福祉施設に寄付ができる。

微々たるものですけど、そんなことも考えながらやっていて、周りの実業家のお友達や飲食のプロの方々と話をするうちに、自分の店をしっかりと持ったら、もっとこのチャリティーの流れもさらに強くできる。そして、自分の人間関係を使ってよいお店を作って、多くの人に喜んでもらえたら、みんなが少しずつ幸せになれる。そんな場ができたらなと思うようになって、今回の2軒の飲食店につながったんです。

3人のお兄ちゃん

じゃ、なぜ、そこまでチャリティーに思いを持ったかなんですけど、ここはきれいごとみたいに聞こえてしまうかもしれませんけど、本当の思いとして、今は心の中に感謝しかないんです。この感謝を何とか形にする。それがチャリティーに目を向けたきっかけで、30歳あたりから力を入れ、今に至るという流れなんです。

15年ほど前からバラエティー番組に出していただくようになったんですけど、それまではアーティストとして音楽の世界で何とか結果を出そうとしてきました。

ただ、なかなかうまくはいかない。そこを経てのバラエティー。結果を出すしかない。最初は頑張り方もよく分からない世界だったんですけど、それでも頑張るしかない。だから、何があっても自分、自分。「ウチが!ウチが!」というスタンスで何とか前に出ようという自分でやっていた時期でもありました。

さらに、30歳を機にバラエティーで〝炎上クイーン〟みたいなキャラクターになり、話題にもなったけど、たくさん悩んだ時期でもあったんです。

頑張るしかない。周りで支えてくださる方々のためにも、やりきるしかない。でも、その中で疲弊していく自分が確実にいたんです。

「自分がこれだけ身を削ってやっているのに、あの人はポッと出てきて、あんなに良い扱いを受けている。許せない」

そんな妬みみたいなものも正直ありました。本当に人にだけは恵まれているので、誰かに裏切られたとか、ひどい目にあったとか、そんなことはなかったんです。でも、自分で独り相撲をとるというか、それでしんどくなっていったんです。

そんな中でも、ずっと変わらずに一緒にいてくれた3人の〝田村のお兄ちゃん〟がいるんです。それがたむらけんじさん、「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さん、「麒麟」の田村裕さんなんです。

アーティストとしてなかなか結果が出ない頃から今に至るまで何も変わらず3人ともかわいがってくれて。今でも細かいこところまで本当に気にかけてくれています。

こちらのことなんかを気にかけても、正直、何のメリットもないと思いますし、何のお返しができるわけでもないんですけど、ずっと、ずっと、ずっと、気にしてくれていて。

その3人がいつも言うことが一致していて。「オレらのことはいいから、他にお返しをしてあげて」ということなんです。

その3人からの言葉を受けて、自分なりにできることを探していた結果、自分の中で「これだ」と思えたのがチャリティーだったんです。

自分は周りからの言葉に打たれ弱いというか、何か言われたら、すごく心に刺さるタイプでもあるんですけど、チャリティーだけは何と言われようがやめる気もないし、これこそが自分のやるべきことと心から思えたんです。

だからこそ、何と言われようが今でも続いているし、これからも自分の身の丈でやっていけたらと思っています。それを安定的に、できればもう少し出力高く。やっていく場としても飲食店はすごく有効だと思ったんです。

今の心のカタチ

今、主には歌う仕事をやらせてもらっていて、収入の軸になっているのもそこです。これまでの人間関係もあって、ありがたいことに、バラエティー番組からお話をいただけたりもしているんですけど、以前のような〝炎上〟的な出方ではなく、そこでも歌を歌ったりとか、そういう出方で呼んでいただいています。

これも、今の事実として、いろいろなことを経て、今の自分は誰かを攻撃するようなバラエティーでのやり取りができなくなっていて。

今までだったら、言葉のプロレスというのか、相手から攻撃されたら、こっちも言い返す。当たり前のように、そんなやり取りをしてきたんですけど、今の自分の心のカタチとして、たとえバラエティーという場でも、それをやるのがしんどくなっています。せっかくそういう場に呼んでもらっても、それができない自分がそのリングに上がったらギャラ泥棒みたいになってしまう。

それならば、最初からそんなリングには上がらないほうがご迷惑をおかけしない。これまでのそういう流れに、これも疲れてしまったのか。今の新しい自分ができたのか。そう感じる自分がいるのも今のリアルなところなんです。

なので、本当にありがたい話、これまでのアーティストとしての活動に価値を見出してくださる企業さんなどから歌うお仕事をいただいて、お金を頂戴する。これが今のメインの収入で、そこから身の丈に沿った寄付などをさせてもらっています。

あと、夫のNosukeとは今も別居婚というカタチで生活をしています。

一言でいうと「お互い自由に生きよう」と決めたことなんです。だったら、結婚している意味がないんじゃないかという声も当然あるんですけど、互いに相手への思いはある。ただ、一緒にいることによって生まれる〝しなくてもいい争い〟を避ける。そういった思いで今のカタチを選んでいます。

もちろん、ここに関しても誰かにこのカタチを押し付けるものでもないですし、たまたまウチはそういうカタチを選んだというだけの話なんです。

「いつ死んでもいい」

本当に嘘みたいに人に恵まれて、なんとかここまでやってきました。周りから見ていたら理解できないことも、理解しにくいこともたくさんあったと思いますけど、それでも、本当にありがたいことに常に誰かが助けてくれて、気づけば、もう来年40歳になります。

さすがに、もういい歳にもなってきますし、3人のお兄ちゃんを含め、恩返ししないといけない人がたくさんいるので、周りの人が自慢できる自分でありたい。40歳を前にそこは強く思っています。

今でも、ウチのおばあちゃんは誕生日でも何でもないタイミングで「これで、靴買いや」と1万円渡してくれるんです。お姉ちゃんとの対比で、misonoは大変な生活を送っていると思っているようで、何かにつけて1万円を渡してくれるんです。

おばあちゃんの思いは純粋にうれしいんですけど、まずは近いところに、そう思わせない。言葉で言わずとも、おばあちゃんが「あ、この子はもう大丈夫なんや」と思ってくれるような姿を見せる。それをいろいろな場でやっていくことが、おばあちゃんに対しても、3人のお兄ちゃんに対しても、そして、自分を見てくださっているすべての人に対する恩返しにつながっていくのかなと考えているんです。

おばあちゃんのみならず、昔からこれでもかとお姉ちゃんと比べられてきました。お姉ちゃんは歌一本でやってきている。これは本当にすごいことだし、尊敬しかありません。そんな状況の中「お姉ちゃんの足を引っ張らないでください」みたいなコメントをネット上なんかでももらうことが多々ありました。

そんなコメントを書く方を否定するのではなく、やっぱり自分がもっと頑張って、お姉ちゃんとは違うカタチで皆さんから認めてもらう。それがさっきの話じゃないですけど、皆さんへの恩返しにもまたなるんだろうとも考えています。

姉は歌一本ですごいのに、妹であるmisonoは歌も歌って、バラエティーにも出してもらって、今は飲食もやっていて「何をしている人間なんだ」というコメントもよくいただきます。これまで本当にいろいろなことをやらせてもらってきて、今、思うのは「これが自分なんだな」ということなんです。

なんでもやる。なんでもやれる自分でいる。それがmisonoなんだろうなと。なので、マルチタレントという言葉に対いて、自分としてはすごくしっくりくるんです。その道を全力で全うする。それが自分のカタチなのかなと思っています。

正直、どれも結果は出し切っていないし、ある意味、中途半端だったと思います。でも、いろいろなことをやってきた。今後は、いろいろなことをやることに全力で生きる。

こういうことを言うと、また妙な炎上をするかもしれませんけど、本当にいつ死んでもいいと思っているんです。今は。もしタイムマシンがあったとしても過去にも未来にもいかず、今を生きると思います。

それくらい、今が幸せだし、家族がいて、友だちがいて、お仕事があって、美味しいものが食べられて…。これ以上何を望むものがあるのか。そう思うんです。

なんか最後だからカッコいいことを言いにかかっているみたいですけど(笑)、いろいろなことを経て、本当に迷いがなくなった。それが今の自分だと思っています。

(撮影・中西正男)

■misono(みその)

1984年10月13日生まれ。京都府出身。2002年、音楽ユニット「day after tomorrow」のボーカルとしてデビュー。「day after tomorrow」活動休止後の06年からはソロとして再スタートを切る。テレビ朝日系「ロンドンハーツ」など数多くのバラエティーに出演し、炎上キャラとしても認知される。17年にドラマーのNosukeさんと結婚。先月、大阪・心斎橋にラーメン店「人類みなウチのラーメン」と焼き鳥店「ウチのヤキトリ」をオープンさせた。「人類みな―」はグルメサイトで大阪1位を5年連続で獲得したラーメン店「人類みな麺類」がプロデュース。「ウチの―」は大阪市内に約25店舗を展開する焼き鳥店「炭火焼とりだん」グループと共同で手掛けている。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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