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昔は「痛快」だった落合博満が最近はそうではなくて残念だという話

豊浦彰太郎Baseball Writer
選手、監督として成功した落合博満。GMとしてもそうなら野球人の三冠王だ。(写真:ロイター/アフロ)

まず初めに断っておきたいのだが、ここでの目的はGMとしての落合博満の業績や能力を云々することではない。あくまで一ファンとして、彼が「痛快な人物」ではなくなったことを残念に思う気持ちを綴たいだけだ、ということ理解してほしい。

そう、かつて落合博満は「痛快」だった。若いファンは彼のことを、感情を表に出さず、口数の少ない陰気な人物として認識しているかも知れない。その印象の中での彼は、表舞台に姿を見せることが稀で、数少ないそのような機会においても移動時には、(風邪を引いていなくても、花粉が飛ぶ季節でなくても)マスクを着用しているかも知れない(あくまでイメージだ。ぼくは熱心な竜党ではないので、日々彼の一挙手一投足を追いかけてはいない。ご了承されたし)。要するに、陰で暗躍する実力者のネガティブな要素を具現化したものだ。

しかし、昔はそうではなかった。

80年代から90年代にかけて、落合博満は僕の憧れだった。当時、すでに成人していたぼくにとって、それは少年時代に盲目的に王貞治を崇拝するように応援していたときの「憧れ」とはやや異質なものだった。他の同年代の若者同様に、世の中に対し言いようのない閉塞感を感じていたぼくにとって、「こんな風に生きて行けたらいいなあ」と思える「憧れ」だった。

出る杭は打たれる日本社会の中にあって、彼は明らかに異質だった。抜群の素質に恵まれながら、体育会特有の理不尽さが嫌いで、高校では野球部をすぐに辞め大学も中退してしまう。そんな、長いものに巻かれないところに惹かれた。プロ入りしてからも、超一流の実力者でありながら、活躍の舞台はうらぶれた川崎球場であることも判官贔屓なぼくの心に響いた。謙虚さを持って尊しとする風潮の中で、「今年も目標は三冠王です」とか「カネのためにやってます」とかぶっきらぼうに公言して憚らないところがカッコよかった。

カッコ良いと言えば、当時は外見も、いわゆるイケメン風とは異なるが、ハードボイルドなパ・リーグのスターという雰囲気満載でカッコ良かった(ドラゴンズ・ファンよ、許せ)。契約更改において、納得できる条件が出てこないと遠慮なく年俸調停を申請したり、FA制度が導入されると即座にその権利を行使するところも、「自分は一生懸命プレーするだけっス」というようなステレオタイプなスポーツ選手のイメージとは異なっており、好きだった。

しかし、そんな彼も現役を引退してからは少しづつ変わって行ったように思う。ギラギラした精悍さがなくなり髪の毛も減ったのは致し方ないとしても、饒舌ではなくても言いたいことは遠慮しなかった彼が、監督になってからは貝のようにダンマリを決め込むようになった。唯一、監督時代でも彼らしいなあと思ったのは、2004年の労使紛争の際に「遠慮せずに戦ってこい」と選手を励ましたことだ。

痛快さはGMの座に就いて一層なくなってきたように思う。大減俸の嵐となったオレ流更改や大ベテラン達への引退勧告も、それはそれで彼のある種の実績だとは思うが、自らその狙いや必要性をメディアに向かって語りかけないから、経営陣からうまく憎まれ役の肩代わりをさせられているようにも見えてしまう。また、現場に対しても(あくまでもイメージの問題だが)、谷繁監督を傀儡化し陰で操っているのも、表には決して出ずに院政を敷く一昔前の自民党の政治家みたいで好感が持てない。

結局、GMという要職にありながら表にはほとんど姿を見せず、ファンに自分の言葉で語りかけないところが「痛快さ」を欠く根源だと思う。昨年暮れにFA制度に触れ、「宣言なくても自動的にFAとなるべき」という意見をメディアに語ったことがあった。これからはこれに倣い、「まず語る」(ぶっきらどうでも)ことから始めてほしいと思う。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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