【神戸市】勝海舟も坂本龍馬もこの地を歩いたはず…。海軍操練所跡の現地説明会に行ってきました(≧▽≦)
再開発進む、神戸市中央区新港町で、2023年春ごろより、「発掘調査中につき きけん です。立ち入らないでください。神戸市」の貼り紙が…。土器が出土したのか? と、思っていたら時代が全然違いました。今回、発掘調査をしていたのは、約100年ほど前の幕末~明治時代のもの。
2024年1月14日に開催された、「海軍操練所跡第1次調査現地説明会」に参加してきました。
説明会に参加が出来るのは、事前に予約をした人のみ。受付を済ませると、詳しい資料が手渡されました。
時間になり説明がスタート。
それによると、今回訪れた場所。遺構場所は、旧生田川の河口で明治時代初期の神戸港開港時に第一波止場と称された場所だそうです。
遺構は、幕末期から明治時代にかけての神戸港の開港・築港の変遷に伴うものでⅣ期に分けて案内板が表示されていました。
第Ⅰ期=開港以前(1868年の開港以前)の遺構(海軍操練所)
第Ⅱ期=開港時の築港遺構(初期神戸港第一波止場の港湾施設)
第Ⅲ期=明治時代中期以前の道構(神戸港第一波止場の修築整備)
第Ⅳ期=明治時代中期以降の遺構(神戸港第一波止場の拡張整備)
今回の遺構では、陶磁器などの遺物が出て来ていないので、時代を決める決め手の1つが、石の削り方。
日本山海名産図案(国立国会図書館デジタルコレクションより)にも描かれていた手法で削ったものは、神戸港開港以前の幕末期ということが特定できるそうです。
この遺構が、幕府による海防強化の目的などから、1864(元治元)年に、勝海舟により建設が進められた海軍操練所跡。さらに、同じ場所で、違う時代のものが検出されており、これにより、幕末期に築造された防波堤を利用して、その上に新たな防波堤を築き港を拡充させていったことが推測できるそうです。
ちなみに、幕末期に開港した五都市(神戸・函館・横浜・新潟・長崎)において、幕末期から明治時代にかけての築港に伴う遺構が重層的に検出できたのは初めてのことだそうです。
今まで絵から想像するしかなかった港が、この遺構の検出により時を越えて現実にあったものとして、私たちに姿を見せてくれたということなんですね…。
説明会は30分刻みの入替制。学芸員の方の説明を聞いたり写真撮影をして、ほとんどの方が、時間いっぱいまで滞在されていました。
水族館アトア(átoa)に向かう少し山側で、阪神高速はすぐ側。車で訪れる方なら、近くをよく通る場所です。
今回のイベントは、「海軍操練所跡第1次調査現地説明会」だったので、2次説明会も実施されるのかなぁ? さらなる調査を楽しみに待ちたいと思います(≧▽≦)
神戸海軍操練所と考えられる遺構を発見~神戸港発展の礎~(神戸市HP)