2014年ツール・ド・フランス第6ステージ 痛みを乗り越えて
第一次世界大戦は、フランスにとって、100年たった今でも悪夢だ。
ドイツとフランスの国境の地、アルザス・ロレーヌ地方で育った知人から、かつてこんな話を聞いたことがある。
「とても、とても、とても、たくさんの人が死んだ。家族で日曜日にピクニックに行くと、あちこちに塹壕跡や広大な墓地が広がっていた。ひどく陰鬱な気持になったものだ」
2014年、ツール・ド・フランスの道を辿りながら、おそらく誰もが、胸が押しつぶされそうな気分を味わったに違いない。今年のツール・ド・フランス大会前半戦は、1914~18年にフランスの北東部を荒廃させた激戦地めぐりでもあった。国の公式記念行事にも指定されており、フランスTV局はレース中継に時おり戦地の空撮を混ぜてくる。
美しき緑の牧草地に、突然、無機質な何万もの白い十字架が現れる。険しい岩山の影に、かつての激戦を偲ばせる記念碑が、寂しそうに建っている。すぐ脇には、清涼な小川が流れている……。
この日、フランス共和国大統領フランソワ・オランドは、シュマン・デ・ダムに青い矢車菊の花束を捧げた。3度の激戦で、77万5000人もの死傷者を数える地だ、翌第8ステージで通過したヴェルダンでは、300日に渡って昼夜戦いが繰り広げられた。13万もの無名戦士の遺骨が、現地の納骨堂には納められている。
第一次世界大戦の犠牲者は970万人。そのうちの170万人が、フランス人だった。ツール・ド・フランスの総合覇者も3人命を落とし、50人近い無名選手たちも戦場に散って行った。