【連載】暴力の学校 倒錯の街 第4回 走り書きされたカルテ
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走り書きされたカルテ
元春が駆けつけたとき、知美はCT室でCTスキャンを終え、再度、救急処置室に移されるところだった。元春の記憶によれば、そのとき、棚町は知美が倒れた理由について「私はその場にいませんでしたが、その場にいた先生の話では、何かこう(知美を)押した」というようなことを元春に話しかけている。元春は「ちょっと注意して、押したら(知美が)倒れたちゅうような言い方」だと受け取った。
医師が元春のところに来た。
「お父さんですか」
「はい」
「(知美は)若いので一時間半くらいがんばりましたが、もう、ちょっと……」
顔には諦めの色が濃かった。
「時間が経っているので、脳のほうが心配なんですよ」
「ええっ!?先生、何とかして助けてください!助けてください!」
元春は医師にしがみついて懇願するのだった。
元春はいてもたってもいられず、知美の収容されている救急処置室の中をのぞき込んだ。とっさに妻を呼び、吸い込まれるように中に入った。娘は心臓マッサージを受けながら、喉に管を通され、エアポンプで人工呼吸をしていた。
治療のため制服は切断され、裸同然だった。骨が折れてしまうのではないかと思えるくらいの、胸を押し潰すような勢いとリズムで、医師が交代で両手で心臓マッサージを続けていた。見ているだけで辛くなる。
夫婦は必死の形相で蘇生治擦を施している医師らの間から、横たわった娘の脇に寄り添った。続いて知美の兄も入ってきた。そして、家族で必死に呼びかけた。一生懸命、名前を呼んだ。
「トモミ!トモミ!がんばれIがんばれIお父さんぞ!眠ってしもたらいかん!」
明美は「ともちやーん!ともちやーん!」と叫び、兄は「ともみ!ともみ!」と耳元で呼びかけつづけた。三人の眼からは涙が溢れだしていた。
すると、五時五五分、奇跡が起こった。知美の左首のところがピクピクと動いたのである。
それを見た医師は言った。
「あっ、奇跡やな。お父さん、お母さんが呼びかけたら、心臓が動きだした。自律神経の部分が生きているかもわからん。もう少しがんばってみます!」
心臓マッサージは続行された。
「ですが、脳死の状態です。頭は助からないでしょう。いまからすぐICU(集中治療室)に入れます」
元春ら家族が知美のあとをついて行くと、「処置しますから控室の方で待つとってください」と看護婦に言葉で制止された。
ICUでは、先生に殴られたという情報から、首の骨が折れている疑いがあったため、首のX線搬影をおこなったが、骨折は認められなかった。そして、人工呼吸器を取り付け治療を続けたが、そのかいもなくまもなく心臓が停止、血圧も上がらなくなっていた。
元春に時間が経過した感覚は残っていない。だが、深夜だったことは間違いない。医師が「陣内さん、来てください」とICUに呼んだ。知美はおびただしい数のチューブにつながれ、人工呼吸器で強制的に呼吸をしていた。テレビモニターには、血圧と脈拍が映し出されていた。しかし、それは自力呼吸ではなく、人工呼吸の機械的な動きがモニターに映し出されていたにすぎなかった。血圧六○。脈拍四〇。通常の人間の半分以下の数値だった。
医師がカルテを広げる。
「お父さん、いま心臓を薬で動かしています。呼吸は人工でやっています。とにかく、もう厳しい状況です。一番最初にここへ連れて来られた時点で、もう死んだ状態だったんです。もし息を吹き返しても、脳の九○パーセント以上がダメだから、相当の障害が残ることは覚悟してください」
元春は「もう、植物人間でもいい」と思い、言った。
「いいんです。とにかく息だけはさせてください、命だけでも助けてください」
そのとき、元春はカルテの走り書きを見た。「殴られて」という字が目についた。
「ここ、なんて書いてあるんですか」
「これは救急隊員の方の走り書きです。はっきり断定できませんが、先生に殴られて意識不明になって入院ということです」
そうか、殴られたんやな。元春はこのとき初めてはっきりと認識した。殴られてこんなんなるんは、よっぽどひどい目にあったのだな。
再び、家族三人は知美に呼びかけ続けた。血圧や脈拍がそれ以上さがったら、もう機械でも維持できない。少しでも多く血液を脳へ送り込み脳内の血圧を上げるために、毛細血管へは血が行かないほうがいい。だから、毛細血管への流入を薬で止めていた。元春らが知美の手を握ると冷たかった。
再び医師は、家族にICU専用の控室で待つように告げた。
「面会時間が決まっていて、あまり長くは入れんから控室のほうでお待ちください。(知美の)様子がまた変わったら対応しますから」