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企業は郵便テロにどう備える! 製薬会社らに青酸カリと脅迫文

中澤幸介危機管理とBCPの専門メディア リスク対策.com編集長
アメリカの炭疽菌事件で、懸賞金が掛けられた情報提供を呼びかけるポスター

 1月26日の正午、「東京都内の複数の製薬会社に、脅迫文とともに、白い粉の入った封筒が送りつけられたことがわかり、警視庁が捜査を始めた」との速報が流れました。ニュースによれば、前日の25日午後、製薬会社6社に、白い粉末と脅迫文が入った封筒が郵送され、脅迫状には「青酸カリを入れたニセモノの薬を流通させる。ことしの2月22日までに3,500万ウォンをビットコインで送りなさい」などと記され、いずれも透明なポリ袋に入った状態の白い粉末が同封されていたということです。警視庁が簡易鑑定したところ、粉は猛毒のシアン化カリウム(青酸カリ)の可能性が高いということです。

アメリカ炭疽菌事件での白い粉

 この事件を見て、「アメリカ炭疽菌事件」のことを思い出しました。2001年の米同時多発テロの直後に起きたもので、2001年9月18日と10月9日の2度にわたり、アメリカ合衆国の大手テレビ局や出版社、上院議員に対し、炭疽菌が封入された容器の入った封筒が送りつけられました。この炭疽菌の感染により、5名が肺炭疽を発症し死亡、17名が負傷しています。

 アメリカの炭疽菌事件は、その解決までに10年近い歳月がかかりました。FBIが、科学者だったブルース・イビンズの単独犯行であると宣言したものの、本人は自殺。最終的に米司法省がイビンズの単独犯行であると結論付けたのは2010年のことでした。

 しかし、2001年の炭疽菌事件以降、愉快犯による「白い粉事件」が相次ぎました。イギリスに本社を持つテロ対策の専門誌の編集長から聞いた話ですが「炭疽菌事件後は、人々は奇妙な白い粉を見るや否や当局に電話をするようになり、当局は、その電話を受けると、地域を閉鎖して関係者を除染し、分析のためにサンプルをラボに送らねばならないため、会社の場合、結果が出るまでは、そのオフィスは閉鎖となった」ということです。このような白い粉事案の対象になったのは、銀行から結婚式まで幅広いそうです。連邦政府から地方の消防、ビジネスに至るまで、このコストは膨大であったと考えられます。

アメリカの炭疽菌事件で、懸賞金が掛けられた情報提供を呼びかけるポスター
アメリカの炭疽菌事件で、懸賞金が掛けられた情報提供を呼びかけるポスター

 さて、今回の「白い粉」がもし、炭疽菌で、透明なポリ袋に入っていなくて、封筒を開けたとたん、飛び散ったら、どのような事態になっていたでしょう? 炭疽菌は感染すると死亡率が高くテロに用いられることが懸念されています。

 警察は、おそらく全員オフィスを出して別の部屋で待機させ、サンプルを取り調べることになるため、もし炭疽菌ではなかったとしても、オフィス内にいた従業員全員が数時間は家にも帰れなくなるかもしれません。仕事もできない状況でしょう。仮に炭疽菌が本当に入っていたら、微量でも感染のチェックが必要になり、オフィスの機能は完全にとまってしまいます。まったく違う菌で単なる悪戯犯だったとしても、小麦粉でもない限りは、調査に時間を要することになります。さらに、もし封筒を開けた途端、オフィス内が大騒ぎになって皆が外に逃げ出したら、だれが白い粉を浴びたのかもわからない状況になり、対応はさらに複雑になります。

 こうイメージを膨らませると、封筒を開けてしまってから対応を考えたのでは遅い、ということがわかっていただけるかと思います。あやしい封筒が届いた場合の対処方法、通報体制、社員への周知、対応方法などを事前に整備しておくことが重要です。

 ちなみに2001年のアメリカ炭疽事件を受け、国交省では、総合政策局複合貨物流通課などが以下の文章を発表しています。

米国において、郵便物に炭そ菌を含有・付着させる方法によるテロの疑いがある事件が発生しておりますので、宅配便の利用者の皆様にも、受け取った宅配貨物に不審な点があった場合、次の点に御留意を御願いします。なお、以下は米国厚生省疾病管理・予防センター(CDC)及び米国連邦捜査局(FBI)が米国在住者に対して行っている呼びかけの内容に基づくものです。

不審箇所の特徴の例

(1)送り主の氏名・住所等に覚えがない

(2)受取人の氏名・住所等の記載に誤りがある

(3)送り主の住所と関係ない地域から発送されている

(4)貨物の表面から白い粉等の異物が漏れている

(5)内容物の記載に対し実際の形状、重量が不自然である、又は異臭がある

 

不審な宅配貨物を受け取った場合の対処

まず、「パニック」にならないで下さい。

 炭そ菌は皮膚、胃腸内、又は肺に感染症を引き起こす可能性がありますが、傷口等にすりこまれるか、飲み込むか、又は細かい霧状の状態で吸い込まなければこのおそれはありません。また、早期の治療によって、炭そ菌の芽胞(細菌の胞子のようなもの)が付着した後でも発症を防ぐことができます。さらに炭そ菌は人から人へ伝染することはありません。

貨物を開封、開梱していない場合

 (1)当該貨物を振ったり、揺すったり、開封・開梱したりしない

 (2)内容物が漏れないよう当該貨物をビニール袋又は他の種類の容器に入れる

 (3)もし、そのような容器が手近になければ、衣服、紙、ごみ箱など何でもかまわないので当該貨物を何かで覆い、その覆いをはずさない

 (4)その後、部屋を離れドアを閉めるか、できるだけ近づかないようにする

 (5)手を石鹸と水でよく洗う

 (6)最寄りの警察署又は宅配事業者営業所に通報する

貨物を開封、開梱するなどして、粉が床などにこぼれた場合

 (1)その粉を掃除しようとせず、こぼれた内容物を衣服、紙、ごみ箱など何でもかまわないので、直ちに何かで覆い、その覆いをはずさない

 (2)空調装置が作動している部屋で粉が霧状になった場合は、空調装置を停止する

 (3)その後、部屋を離れドアを閉めるか、できるだけ近づかないようにする

 (4)粉が顔に広がるのを防ぐため、直ちに石鹸と水で洗う

 (5)最寄りの警察署又は宅配事業者営業所に通報する

 (6)粉の付着した衣服はできるだけ早く脱ぎ、ビニール袋か密閉できる容器に入れる

 (7)石鹸と水でできるだけ早くシャワーを浴びる。この場合、漂白剤や他の殺菌剤を皮膚に使わない

出典:国土交通省

相次ぐ爆弾郵便物 日本テレビ郵便爆弾事件

 日本テレビ郵便爆弾事件を覚えている方はどのくらいいらっしゃるでしょう? 1994年の年末、日本テレビに郵送された俳優の安達祐実(当時13歳)宛の封筒が爆発した事件です。封筒を手で破って開封した安達祐実の所属事務所の社員が左手親指を失う重傷を負い、近くにいた関連会社の社員も軽症を負いました。この事件は犯人が捕まることなく時効となりました。しかし、その後も、1995年には、東京都庁舎で当時都知事だった青島幸男宛に送られた小包が爆発し、開封した男性職員が重傷を負った事件が起きたり、1997年には、やはり日本テレビで、同局アナウンサー宛に届いた郵便物が爆発し、開封したアナウンス部の部長が負傷するなど、郵便物によるテロ事件はかなりの頻度で起きています。

 マスコミや大企業ならば郵便物を仕分けする部門はあるでしょうが、こうした過去の教訓を生かし、担当部門だけでなく、経営者をはじめあらゆる従業員が、郵便物を開ける際には不審な個所がないかを確認することが大切だと思います。これはサイバーセキュリティにおいて、不審なメールや添付ファイルを不用意に開かないのと同じことです。

危機管理の教科書ともいわれる「タイレノール事件」

 青酸カリを使った企業の脅迫といえば、グリコ・森永事件が有名です。1984年に兵庫県や大阪で相次いだ食品会社を標的とした企業の脅迫事件です。実際に小売店で青酸入り菓子がおかれ、全国を震撼させました。こうしたテロが発生した場合に、どう対応するか企業は日ごろから考えておく必要があります。

 危機管理の好事例として取り上げられることが多い「タイレノール事件」を振り返ってみたいと思います。1982、製薬会社ジョンソン・エンド・ジョンソンの子会社が製造するタイレノール薬を服用したシカゴ近郊の住民7人が、混入されていたシアン化合物によって死亡しました。ジョンソン・エンド・ジョンソンは「タイレノールにシアン化合物混入の疑いがある」とされた時点で、迅速に消費者に対し、12万5000回に及ぶテレビ放映と、専用フリーダイヤルの設置、新聞の一面広告などの手段で回収と注意を呼びかけました。その結果、およそ3100万本の瓶を回収するにあたり約1億USドル(当時の日本円で約277億円)の損失が発生しましたが、事件発生後、毒物の混入を防ぐため「3重シールパッケージ」を開発し発売。この徹底した対応策により、1982年12月(事件後2ヶ月)には、事件前の売上の80%まで回復したとされています(Wikipedia参照)。

 ジョンソン・エンド・ジョンソンには「消費者の命を守る」ことを謳った「我が信条」(Our Credo)という経営哲学があり、社内に徹底されていて、迅速で適切な対応が取れたのはそのためだと同社の社史にも書かれています。

 テロなどの脅威は未然に防ぎようがない場合もあります。しかし、もし未然に防ぎきれずに事件や事故が起きてしまったときに、どのような価値判断をし、意思決定をするかは経営者の最も重要な役割です。自社の事業やブランドのことだけを考えれば、「弊社では関係ない」「事実関係はない」などと言い切ることもできるでしょう。しかし一方で、市民の命が危険にさらされているとしたら、一時的な売り上げが落ちたとしても、何らかの注意喚起をすべきなのかもしれません。

 26日午前に入ったニュース速報を、そのまま「何もなくてよかった」で終わらせてしまうのではなく、我がことのようにかかげ、明日からの自社の危機管理に生かすことが大切ではないでしょうか。

※参照:Wikipedia アメリカ炭疽菌事件, 日本テレビ郵便爆弾事件,タイレノール

危機管理とBCPの専門メディア リスク対策.com編集長

平成19年に危機管理とBCPの専門誌リスク対策.comを創刊。国内外500を超えるBCPの事例を取材。内閣府プロジェクト平成25年度事業継続マネジメントを通じた企業防災力の向上に関する調査・検討業務アドバイザー、平成26年度~28年度地区防災計画アドバイザー、平成29年熊本地震への対応に係る検証アドバイザー。著書に「被災しても成長できる危機管理攻めの5アプローチ」「LIFE~命を守る教科書」等がある。

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