【京都市】右京区「太秦」にある国宝彫刻第一号「弥勒菩薩」がある『広隆寺』と『大酒神社』
『広隆寺』とアルカイックスマイル『弥勒菩薩』
603年に建立され、古くは「蜂岡寺」や「太秦寺」「葛野の秦寺」とも呼ばれた『広隆寺』。
京都市右京区太秦にある真言宗系単立の寺院で、山号を「蜂岡山」と称します。
日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子より賜った仏像をご本尊とする寺として建立されたのが『広隆寺』と言われてますが、聖徳太子の供養のために622年に創建されたとも、場所はもともと京都市北区平野神社付近にあったものが移転された、とも言われているので真実はわかっていません。
聖徳太子が建てた7つの寺院『太子建立七大寺』の一つとも言われています。
秦河勝が建立した「秦氏の氏寺」であることは確かです。
国宝彫刻第1号として指定された『弥勒菩薩像』(別名:宝冠弥勒)が有名ですね。
アルカイックスマイルという飛鳥時代の仏像に見られる微笑みを浮かべた表情をもつ、弥勒菩薩は右手をそっと頬にあて、思索のポーズをとっています。
ドイツの哲学者カール・ヤスパースが「人間実存の最高の姿」だと称したとか。
ちなみに、アルカイックスマイルとは、アルカイク美術の彫刻に見られるこの幸せな微笑みをした表情のことをいい古代ギリシャ彫刻に見られる特徴的なもの。
宝物殿で、秦河勝の像と共に拝見することが可能です。
宝物殿には、もう一つの国宝である彌勒菩薩像(通称:泣き弥勒)があります。
こちらの像は、聖徳太子が亡くなった際に供養として新羅から送られたものではないか、と言われているものです。
宝物殿のなかは、写真撮影できませんが絵葉書セットを買うことはできます。(600円)
また、国宝の鎌倉時代中期建築「桂宮院」は今は入れませんが、広隆寺の奥の院とされてます。
単層、檜皮葺(ひわだぶき)の和様宮殿風八角円堂で、聖徳太子の楓野別宮のあった所と伝えられ聖徳太子半跏像(秘仏)が安置されてます。
毎年11月22日には、年に一度だけ拝観できる、聖徳太子御火焚祭(おひたきさい)が行われます。
太子信仰の中心とされ、足利将軍家歴代の保護も続いたといいます。
宝物殿を出ると、白い花たちと鴨さんたちがお迎えしてくれました。
もともとは弥勒菩薩がご本尊でしたが平安京遷都前後で、薬師如来がご本尊となります。(現在は聖徳太子像(秘仏)がご本尊)
現在、寺にある薬師如来立像(重要文化財、秘仏 818年)は吉祥天の姿に表された珍しい異形像と言われてます。
広隆寺の南大門から入り、正面の赤堂の左側に『地蔵堂』があり、そこはには弘法太子空海や安産・子孫繁栄のために作ったと言われる『腹帯地蔵』が安置されています。
神々しいお地蔵様に私も手を合わせてきました。
これは、ご利益ありそうです!妊婦さん必見ですね!
『大酒神社』と「牛祭り」
広隆寺では京都三大奇祭の一つである「牛祭り」が10月12日の夜に行われてました。(今は不定期)
もともと、広隆寺の境内社であった『大酒神社』の祭礼で、ご祭神は秦の始皇帝、弓月王、秦酒公が祀られています。
『大酒神社』は356年建立といわれてますが、明治時代の神仏分離までは広隆寺の桂宮院(国宝)内に鎮座する神社で「災難除け」「悪疫退散」のご利益があると言われてます。
「牛祭り」では、摩多羅神など異形の面をかけ、風流の冠を着し、太刀を侃き、一人は幣を掲げて牛に乗り、四人は前後を囲み、従者は松明をふり立て行列をなし、祭分を読みあげ、五穀豊穣や悪魔退散を祈願します。
私は、京都府立京都学・歴彩館(京都市左京区)で開催されていた『仮面展』(2020年)で「牛祭り」の面を見ることができました。
「牛祭り」の面は富岡鉄斎がデザインを手がけたとされる不可思議な表情が特徴で、面から何やら不思議エネルギーが出てました。
私は『広隆寺』で聖徳太子のリサーチをしていた際に、広隆寺さん近くに本社を構える老舗「高津商会」とご縁をいただきました。
のちに、NHK「聖徳太子」番組制作の際に「高津商会」が小道具・装身具等を復元制作したと聞きました。
撮影所が数多く点在する太秦にある「広隆寺」の門や塀などは、ロケ地としても使われることがあるようです。
必殺仕置屋稼業のオープニングでは、和尚姿の印玄の場面撮影が「広隆寺山門」で行われたり、北塀はたびたび時代劇で登場します。
京都最古のお寺で国宝や重要文化財を一度に見られる『広隆寺』さんは、大変なパワースポットとして、今でも多くの人々を魅了しています。
広隆寺
所在地: 〒616-8162 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
拝観時間:9:00~17:00(12月~2月 9:00~16:30)
電話: 075-861-1461