【守口市】語り部ガイドマイスターと「東海道五十七次 守口宿」 高札場から五ヶ荘用水路跡を歩く
守口宿を知り尽くした語り部ガイドマイスターが、楽しく分かりやすく宿場町の京街道「文禄堤」(ぶんろくつつみ)を案内してくださいました。
今回「東海道五十七次 守口宿」 高札場から歩きます。
文禄堤から下の桜町商店街に続くこの道は、十三夜坂と呼ばれます。
文禄堤から下る坂で、この坂が中高野街道の起点となります。
以前、スーパー玉出があった桜通商店街の道へと繋がります。
こちらが高札場です。2017年に当時の高札場を再現し作られました。
人目に付く場所にあり、幕府が出した法令などを書いた高札を掲げている場所です。
今はパソコンやスマホなどが普及していますので情報がすぐに見られますが、昔は各宿場町にこのような高札場があり情報を知らせていました。
1926年(大正15年)に建てられたBUNROKU 文禄堤薩摩英国館です。
江戸時代から文禄堤で酒屋と米屋を営まれていて、現在は憩いの場のティールームとなっています。
奥には江戸時代の古井戸が現在も残されています。
みよし写真館です。趣のある建物が残っています。
外から見て虫籠(むしかご)に似ている火災や泥棒対策用の虫籠窓(むしこまど)もあります。
袖壁の卯建(うだつ)、雨除けや火災防止、防犯のためだそうです。
うだつを上げるには費用が必要だったので、一人前に出世した者が卯建を上げるの語源となりました。
旧市役所が見えるところです。
船着き場への階段が所々にあります。
来迎坂のところに、東海道と奈良・大東市野崎への街道に分岐する道標が残っています。
のざき、という道標は野崎参りで知られる野崎観音の慈眼寺へ続く道です。
江戸川乱歩や司馬遼太郎が居住されていた跡地などもあり、歴史的偉人たちが居住されていたというのは守口にとっては誇りですね。
歴史好きな地元の方々は興味津々です!
淀川からの水を生活用水としてここから通していたそうです。五ヶ荘用水路跡です。
少しずつ昔の建造物や道などがなくなっていきますので、現在あるものを後世に画像や文字で残していきたいですね。
※撮影許可をいただきありがとうございます。
【文禄堤】
大阪府守口市本町2丁目1