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トラスノミクスは序盤でつまずく、英政府は最高税率引き下げ計画を撤回。他のプランも進めることは困難か

久保田博幸金融アナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 2022年9月6日にリズ・トラスがエリザベス2世にボリス・ジョンソンの後任として首相に任命されてトラス政権が発足した。

 9月23日にクワジ・クワーテング新財務相が大規模減税を柱とする「成長プラン」を発表。減税総額は5年間で約450億ポンド(約7兆円)で、過去50年で最大規模となる。発案したのはクワーテング財務相のようであったが、それを首相は支持した。

 トラス首相は以前、インフレ抑制に成功している他国に目を向けるべきだと主張し、日本銀行を良い例に挙げた。つまりアベノミクスを意識していた可能性がある。それはつまりアベノミクスならぬトラスノミクスを実行しようとしたともいえる。

 これを受けて市場は動揺した。

 イングランド銀行は22日に0.5%の利上げ決定を発表し、保有する英国債の市場での売却を始めると発表していた。これを受けて英国債は22日に10年債利回りは3.49%と16日の3.31%から大きく上昇していたが、トラス政権の1972年以来の大型減税と国債増発を受けて、火に油が注がれた格好となった。

 英ポンドが対ドルで過去最安値を記録。26日に一時1ポンド1.03ドル台と1985年の水準を下回り、英ポンドは変動相場制移行後の最安値を付けた。

 英国の20年債は減税策が発表される前の3%台後半から、28日には一時5%強まで跳ね上がった。市場が危惧したのは年金基金などが運用する、こうした償還までの期間が長い超長期債の利回り急騰だった。

 これを受けて9月22日に国債の「売却」を決定したイングランド銀行は、残存期間20年超の銘柄を対象に市場からの英国債の「購入」を始めたのである。10月14日まで毎営業日、市場の安定に必要と判断すれば金額無制限で実施する。

 国債利回りの上昇(国債の価格下落)に歯止めが掛からなければ、資金を捻出するために年金が保有する債券や株式など様々な金融商品の売却を余儀なくされる。それによりさらなる価格下落の懸念が強まった。これによって年金基金が破綻する懸念が出てきたのである。

 トラス政権が発表した一連の経済政策は、具体的な財源の裏付けを伴っていなかったことで市場の動揺を誘っただけでなく、国民の支持も失った。

 英調査会社ユーガブが29日発表した世論調査では、保守党の支持率は21%にとどまった。最大野党・労働党は54%で、同党のリードは33ポイントとなり、1990年代後半以降で最大に広がった。英議会下院の任期は2年以上残っているが、9月6日に発足したトラス新政権はいきなり正念場を迎えている(30日付日本経済新聞)。

 IMFもクワーテング財務相の計画を痛烈に批判した。

 大手格付け会社スタンダード・アンド・プアーズは30日、トラス英政権が発表した大型減税策は債務を拡大させるとして、英国国債の格付け(AA)の見通しを「安定的」から「ネガティブ」に変更した。

 トラス首相は10月2日のBBCとのインタビューで、国内で物議を醸す最高税率引き下げ撤回について、クワーテング財務相による決定だと発言していた。

 トラス英首相は自身が打ち出した大型減税などの「成長計画」について改めて妥当性を訴えた一方、もっと「地ならし」をすべきだったと語り、対応に拙速な面もあったと認めた。

 トラス政権は3日、所得税の最高税率を45%から40%に引き下げる案を撤回すると明らかにした。クワーテング財務相が自身のツイッターアカウントを通じて声明を発表。

 トラス首相はこの所得税の最高税率引き下げ撤回の発表を事前に知らされていなかったようであるが、減税案を堅持すると強調した。

 クワーテング財務相は減税案撤回発表と同日、ヘッジファンドのマネジャーらと保守党の支援金提供者の地元でパーティーに出席していたとも報じられていた。

 トラス首相とクワーテング財務相の辞任を求める声も強まっているようだが、今回のドタバタを見る限り、それはいずれ避けられないのではなかろうか。

 今回、市場を動揺させた経済対策のうち高所得者向けの減税を撤回しただけであったが、他の対策についても進められるのかは疑問が残る。

 高所得者向けの減税を撤回した背景に市場の動揺があったが、国民の支持も失ったことも大きい。クワーテング財務相が所得税の最高税率引き下げを撤回したのは、議会で通らないと認識したためとの見方がある。そうであれば、トラス首相が打ち出した成長計画そのものが議会を通らない可能性も高いものとなるのではなかろうか。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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