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被疑者の実名を報じる週刊誌も「18~19歳」と少年法をどう考える?(前半)

藤井誠二ノンフィクションライター

【目次】─────────────────────────────────

■人を殺してみたかった女子大学生

■少年の実名報道をどう考えるのか

■少年法61条は形骸化していないか

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■人を殺してみたかった女子大学生■

名古屋大学に通う19歳の女子学生が「人を殺してみたかった」という「動機」で、宗教の勧誘に来ていた老女を手斧で殴り、マフラーで絞殺、風呂場の洗い場に死体を放置したまま宮城県の実家に帰省していた事件が発覚した。女子大学生は、ツイッターに「ついにやった。」などと犯行当日に書き込み、過去の「著名事件」の加害者に共鳴するような書き込みをしていた。

この女子大学生は、ツイッターのアカウントは加害者の本名(姓)であったが、この学生の写真と実名を「週刊新潮」が報じた。よく知られているように、少年法(61条)は未成年者の犯罪につい、保護矯正の観点から身元の特定される報道を禁じている。

一方、2000年2月には、大阪高裁で、「社会の正当な関心事であり凶悪重大な事案であれば実名報道が認められる場合がある」との判断が下され、「違法性なし」の判決が確定している。少年の実名報道に対しても司法判断も変化しつつある、と言える重要な判例だと思った。

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■少年の実名報道をどう考えるのか■

いわゆる加害者が少年の場合の「実名報道」の問題を、どのように考えればいいのだろうか。

週刊誌の未成年実名・顔写真報道はもちろん、今回が初めてではない。1998年に発覚した東京の足立区で起きた「女子高校生監禁殺人」事件では、主犯格ら4名の少年たちを「鬼畜の所業」だとして「週刊文春」が連日に渡って実名で報じた。犯行様態は女子高校生を拉致して強姦、その後も加害者宅に40日間以上にわたって監禁して強姦や虐待を加え続けた。驚いたことに、その家には加害者の家族も暮らしており、裁判では親らは「女性とは会ったが、(暴行等には)気付かなかった」という意味のことを言い続けたが、すべての公判をほぼ傍聴した私はほんとうのことを言っているとは思えなかった。

先に触れた大阪高裁の判断は、新潮社が「新潮45」で報じた「堺市通り魔殺傷事件」の加害少年の実名を報じたことに対する裁判の判例である。事件は1998年に当時19歳の少年がシンナーで幻覚状態になった状態で、通りかかった幼稚園児ら3名を殺傷したというもの。少年本人が、記事を執筆したノンフィクション作家・高山文彦氏と新潮社に対して損害賠償請求と謝罪広告を求めていた。

少年法61条は、非行(犯罪)を犯した未成年者を推知することかできる情報──実名や容貌、住所、学校名等──を新聞やその他の出版物に載せてはならないと定めた条項だ。1審の大阪地方裁判所判決は少年法61条に基づいて大筋で少年の主張を認め、「成人に近い年齢であったからといって、少年に該当する年齢であった原告を他の少年と区別すべき理由となしうるもの」ではないとし、「法的保護に値する利益を上廻る公益上の特段の必要性」も認めなかった。が、同時に「例外なく直ちに被掲載者に対する不法行為を構成するとまでは解しえない」と不法行為ではないと含みを残した。

ところが大阪高裁はこれをひっくり返し、「表現の自由とプライバシー権等の侵害との調整においては、表現行為が社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・ 方法が不当なものでない場合には、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー権等の侵害とはならないと解するのが相当である」と判断した。そして、少年法61条については、「同条が少年時に罪を犯した少年に対し実名で報道されない権利を付与していると解することはできない」とし、原告に対する権利侵害を認めなかった。また、少年の将来の更生の妨げになるという主張に対しては、地域住民は記事の出る前から知っていたであろうこと、地域住民以外の人は少年の実名をずっと記憶しているとは思えず、それが(更生の)妨げに直結することはなく、報道が更生の妨げとなる立証がされてないとも判断した。

その後、少年が最高裁への上告を取り消し、高裁判決が確定するわけだが、最高裁判決ではないので高裁の判断を重視する必要はないと主張するむきもあり、また「週刊新潮」が都合よく我田引水的な態度を取っているように見えることもあり、高裁判決については、賛否両論がある、ということになろう。それぞれの少年法の解釈により判例をどう読むかに違いが出てくるのは当然のことだ。

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■少年法61条は形骸化していないか■

しかし、61条には罰則規定はなく、啓蒙的な意味合いが強いのは事実だし、高等裁判所の判断は、少年法61条は、少なくとも18~19歳の加害者を一方的に保護してはいない、ということだ。

実名報道を行った新潮社と高山氏が敗訴した一審ですら、「例外なく直ちに被掲載者に対する不法行為を構成するとまでは解しえない」とした。これらを踏まえると、現行の少年法61条には、マスコミが一般的に遵守するほどの厳格な縛りはない、ということは言えるのではないだろうか。

しかし、高裁判決が、実名報道を基礎付ける論拠として、表現行為が「社会の正当な関心事」であることを上げている点には、私は違和感がある。曖昧だ。

被害者の命が奪われる事件が「社会の関心事」かどうかの一線を引くのは、裁判所や週刊誌ではないし、誰かが決められることではないはずだ。被害者の命が奪われた事件は本来なら、どの事件にも社会が関心を寄せるべきだ。そして、「実名報道が少年の更生の妨げとなる立証がされてない」とされるが、それも曖昧だ。

さきの女子高校生監禁殺人の加害少年のことを「鬼畜」と「週刊文春」は断罪したが、鬼畜だから実名報道をするのだという姿勢にも若干の疑問が残る。もちろん彼らのやったことは鬼畜以下なのだが、被害者の命が奪われるような少年事件の犯行様態はだいたいがどれも鬼畜的である。被害者遺族から見たら、加害者はすべてが人間とは思えない行為に決まっている。

さらに、地域が実名をすでに知っているから実名を報道しても良いという理屈も問題だ。インターネットに、加害者のあらゆるプライバシーがあふれ返る事態をどう考えるのか。インターネットの何でも野放し状態は、「ネットリンチ」とも言える。それを問題と捉え、61条により実名報道を禁ずる場合は、インターネットも包括的に規制するべき、となるだろう。ネット上に実名を投稿した者の情報をプロバイダーに提供させるなど、なんらかの法的対処をするしかなくなってくる。

次回へ続く

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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