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GWの畑でインドネシア人チーム大忙し 茨城名産「干しいも」農家の期待担い

米元文秋ジャーナリスト
サツマイモの苗植えに取り組むインドネシア人チーム=米元文秋写す

 「連休は取らずに働く」。コロナ明けムードで多くの人が行楽地に繰り出したゴールデンウイーク(GW)期間中、名産品「干しいも」で知られる茨城県ひたちなか市のサツマイモ畑には、最盛期を迎えた苗植えに汗を流すインドネシア人たちの姿があった。

 高齢化と後継者難が進む日本の農業。既に外国人が農家と共に日本の「食」を担っている。首都圏に隣接する北関東の農業地帯を行くと、多くの外国人たちに出会う。あなたの食卓にも、彼らが作った野菜や果物、加工食品が並んでいることがあるはずだ。

真夏を思わせる日差しの下

 海岸からほど近い高台、真夏を思わせる日差しが照りつける昼下がりの畑、乾いた風に土ぼこりが舞い上がる。軽トラックなどに分乗したインドネシア人の男女10人のチームが農道から現れ、畑に降り立った。

 畝(うね)に張ってある黒いフィルム(生分解性マルチ)の上に、女性が刃の付いた道具で切れ目を入れていく。同僚たち数人がその付近にサツマイモの苗を並べ、別の数人が苗を切れ目に手早く植えていく。

「親方」もインドネシア人

 サツマイモ畑約21ヘクタールを抱え、干しいもを製造する農場「オカベファーム」。「今はとても忙しい時期。ハウスで育てた苗を切り取ると4日以内に植えなければいけない。天気がよければ(日曜以外は)毎日畑に出る。サツマイモ作りにはGWの連休はありません」。「親方」の男性デッキー・レンコンさん(57)が話す。インドネシア・北スラウェシ州の港町ビトゥンから日系人の妻と共に来日して23年。今は、この農場で働くインドネシア人を束ね、トラクターの作業も任されている。

苗植え作業をするインドネシア人女性。腰を曲げた姿勢が続く=米元文秋写す
苗植え作業をするインドネシア人女性。腰を曲げた姿勢が続く=米元文秋写す

「両親に送金」「店を開く資金に」

 植え付け作業をしているのは「特定技能」や「技能実習」の在留資格の20~40代だが、汗ばむ陽気の中、腰を曲げた姿勢が続く、かなり体力が必要な労働だ。仕事への思いを聞いてみた。

 ビトゥン出身者が多い。マルチに切れ目を入れていた女性ラニさん(28)に「暑いですね」と声を掛けると、「大丈夫。ビトゥンはもっと暑い。太陽が二つありますから」と冗談が返ってきた。GWに働くことについては「働くのがここへ来た目的なので、どうってことありません」。給料から両親に送金しているという。

 腰は痛くないかと聞くと、男性アグスさん(32)は「少し痛いけれど慣れました」。ビトゥンでは米国や日本に輸出するマグロの加工工場で働いていたという。「この農場は『社長(経営者)』も『ママさん(同夫人)』もいい人。仕事を教えてくれます」

 女性ノフィタさん(27)は「古里でも畑仕事をしていたので慣れています」と微笑む。「お金を貯めて帰国して、日用品の店や養鶏場を開くこと」が夢だ。女性(20)は「仕事は朝7時から夕方6時ごろまで。疲れるけれど頑張ります。将来は古里に化粧品店を開きたい」

「子どもの学費に」「技術学びたい」

 北スラウェシ州の山間部トモホン出身の人もいる。男性ステファンさん(43)は「ここの気候はトモホンと同じ感じ。古里ではパパイヤを作っていました」と話す。「稼いだお金は子どもの学費に充てます。子どもは3人。1人がもうすぐ大学に入ります。あと2人はまだ小学生です」。男性アディさん(33)は「農場が休みの日は出歩いています。東京にも行きました。友だちがたくさんいます」

 男性ルフティハキムさん(33)は中ジャワ州スマラン出身のイスラム教徒だ。ことしは4月下旬までが断食月。日中は仕事中も一切飲食しなかった。「断食明けの日は仕事の後、県内のモスクに行ってタクビラン(アッラーをたたえる唱和)に加わりました」「ここのインドネシア人の大半はキリスト教徒ですが、みんな友だち。宗教や種族が違ってもインドネシアのきょうだいです」。実家はトウモロコシと米、野菜を作る農家。「イモ作りの技術を学び、古里で活用したい」

インドネシア人を束ねるデッキー親方がトラクターを運転=米元文秋写す
インドネシア人を束ねるデッキー親方がトラクターを運転=米元文秋写す

「干しいも産地を守りたい」と新規就農

 「ここ、ひたちなか市阿字ヶ浦地区には130軒ほどの干しいも農家があります。午後に吹くミネラルを含んだ海風。霜が降りにくい気温。土や砂の質。干しいもに向いたサツマイモができます」と経営者の岡部洋治さん(65)が話す。実は2004年にサツマイモ作りを始めた「新規就農」だ。実家は干しいも問屋だったが、自身は農業とは直接関係のない会社を営んでいた。

 「あのころ、高齢になって農業をやめる人がポツポツ出始めていました。農家の子どもたちは近隣の企業などに就職。人に任せようにも請け負う人がいなくなると予想できました。干しいも産地を維持しようと思い、農業を始めました」

日本人従業員が集まらない

 畑は当初4ヘクタールで、地元の日本人5、6人を雇った。畑を増やしていく中で岡部さんは「若い日本人従業員が集まらない。就労環境を整えるのが難しい時期もあり、年間通しでは働いてもらえない」という問題にぶつかった。農業は作物の生育カレンダーに合わせて働く仕事だ。週の半分が休みの時期もあるが、多くの人が連休を取るGWに「サツマイモ農家が休むという感覚はない」

 岡部さんの妻の美保さん(61)は「外国人にお願いできないかとデッキーさんに相談した」と当時をふり返る。今では従業員18人のうち13人がインドネシア人、5人が日本人だ。「インドネシア人の仕事ぶりは日本人とそう変わりません」

 岡部さんは「私が6年前に体調を崩したときから、デッキーさんに実質的な親方をやってもらってます」と語る。「私が大まかな指示をすれば彼は自分で工夫してやる。明日は雨との天気予報だと、彼が皆に号令をかけて頑張って作業の決まりをつけたり、作業内容を変更したりと臨機応変に対応してくれます」

干しいもの袋詰め作業を行う日本人の従業員=米元文秋写す
干しいもの袋詰め作業を行う日本人の従業員=米元文秋写す

農家を継ぐインドネシア人も

 政府は外国人労働者の家族帯同や永住を可能にする在留資格「特定技能2号」を農業などの業種に拡大する方針だ。事実上の新たな移民受け入れ政策につながる可能性もある。

 美保さんは「日本の人口減を見て舵を切ったのでは。うちの子(インドネシア人従業員)にも『できれば永住したい』という人はいます」と話す。岡部さんは「内外の問題を見ると、誰でも入れちゃっていいのか見極めが大切です。日本社会になじめる人なら入れてもいいのでは」と考えている。「既に日本人と結婚して農家を継いでいるインドネシア人もいます」

 前出のルフティハキムさんの在留資格は「特定技能1号」だ。「6月に2号拡大が決まりそうですね。具体的な条件を見て今後のことを考えたい」と注目する。古里に残した妻と息子(4)を呼び寄せて一緒に暮らす選択肢も生まれる。「まずは(2号の)試験に通らなければ」と微笑んだ。

ジャーナリスト

インドネシアや日本を徘徊する記者。共同通信のベオグラード、ジャカルタ、シンガポールの各特派員として、旧ユーゴスラビアやアルバニア、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを担当。こだわってきたテーマは民族・宗教問題。コソボやアチェの独立紛争など、衝突の現場を歩いてきた。アジア取材に集中すべく独立。あと20数年でGDPが日本を抜き去るとも予想される近未来大国インドネシアを軸に、東南アジア島嶼部の国々をウォッチする。日本人の視野から外れがちな「もう一つのアジア」のざわめきを伝えたい。

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