高橋財政に対する岩田日銀副総裁との見方の違い
日銀の下関支店における「高橋是清翁顕彰シンポジウム」の講演で、岩田日銀副総裁は「高橋是清という人は、大河ドラマの主人公にしても良いのではないかと思えるほど、実に波乱万丈な生涯を送った方です」と語ったが、まさにその通りだと思う。幸田真音さんの「天佑なり」を原作に是非、大河ドラマ化してほしい。ただし、高橋財政の評価については、私は岩田副総裁とは意見を大きく異にする。
1931年の末に成立した犬養毅内閣で再び大蔵大臣に就任した高橋是清が行った、財政政策と金融政策を組み合わせた景気刺激策のパッケージがいわゆる「高橋財政」であることは確かである。
「為替相場は実態にあわせた変動が可能となりました。財政面では、積極的な政府支出を行うことで、需要面の下支えを図りました。金融政策面では、公定歩合引き下げと国債の日銀引き受けによる金融緩和政策を推進しました。」(岩田副総裁の講演より)
金輸出再禁止により縛りが解かれたことから円安を放置するとともに、緊縮財政から積極財政に移行できた。政策金利も高くしておく必要がなくなり、公定歩合の引き下げも実施されて金融緩和策が可能となった。ただし、国債の日銀引受による金融緩和策ということについては補足説明が必要である。高橋是清が日銀の国債引受方式による国債を発行せざるを得なかったのには理由がある。別にレジーム・チェンジとかを意識したものではなく、そもそも金融機関の引受、いわゆるシ団引き受けが銀行側の事情、政府と銀行との険悪ムードなどで難しくなり、大蔵の預金部引受を除いてほかに国債発行手段がなかったことで日銀引受方式の国債発行をさぜるを得なかった。しかも、日銀の国債引受が実施されたのは、高橋財政がスタートして約1年後であり、この際には銀行に向けての売りオペを同時に行ったことで、実際の緩和効果は限定的と言えた。
「こうした財政・金融・為替政策の適切な組み合わせによる「高橋財政」によって、それまでの過度な円高が是正されるとともに、物価水準の方向が下落から上昇に転じ、わが国は、欧米主要国との比較においてもいち早く、景気の回復とデフレからの脱却に成功しました。」(岩田副総裁の講演より)
いち早く景気の回復とデフレからの脱却に成功したことは確かではあるが、「高橋財政の成功は、経済政策のレジームを井上財政のデフレ・レジームから高橋財政のリフレ・レジームへ転換させることによって、人々のデフレ予想を覆して、インフレ予想に変えたことにあります。」(岩田副総裁の講演より)というが、この場合のインフレ予想とは何か。このときの背景をみて、インフレへの予想を高めたとの表現は適切なのであろうか。
高橋是清による金輸出禁止はレジーム・チェンジとされたが、高橋財政が実施されてすぐに状況が好転したわけではない。高橋是清による金輸出再禁止により、株価は急騰し、円安放置策もあり、円安も進む。しかし、これは思惑的な動きであった。世界経済は大恐慌の影響から不況の最中にあり、満州事変の勃発、英国の金本位制停止などにより、先行きの不透明感も強い状態であった。外為市場では急ピッチの円安に対する警戒も強まり、株式市場も1932年3月あたりから調整局面を迎えた。
日銀が1932年3月と6月に公定歩合の引き下げた際にはあまりその効果は出ず、市中金利の低下は限定的となった。ところが、8月の第三次公定歩合の引き下げで、公定歩合の水準は日銀創設以来の最低となる。本格的な低金利時代を迎えたことが意識されたことに加え、政府による積極的な財政政策が打ち出された(満州事件費や時局匡救費)。財政面からの大規模な需要拡大・景気刺激策と呼応し、金融面から金融緩和・金利低下を本格的に推進しようとする政府の意向も浸透してきたことで、景気回復への期待を強めることになる(拙著「聞け! 是清の警告 アベノミクスが学ぶべき「出口」の教訓」より引用)。
これをインフレ期待と評するべきなのか。物価上昇への期待ではなく、景気回復への期待の強まりとの表現が適切であるように思われる。ちなみにこれには時期的な背景も忘れるべきではない。財政面では満州事変費など軍事費が大きな割合を占め、景気拡大の背景には軍需産業の拡大も寄与していた。重化学工業が主力となる時期と重なるように、成長の余地が存在していた。
岩田副総裁の高橋財政に関する見方で最も疑問とされるのは、日銀の国債引受が当時の国債市場における事情が影響していたことや、銀行への売りオペに関する点についてあまり触れていない点にある。日銀が国債を引き受ければ、インフレ期待が高まる、との見方がリフレ派に多いが、高橋財政はそれを意図したわけではない。手段として使わざるを得なかった。その結果については高橋財政後を見る必要があるが、岩田副総裁と私の見方もここで大きく異なるのである。