【連載】暴力の学校 倒錯の街 第6回 途絶した人生
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途絶した人生
陣内知美の命の灯がまさに消えかかろうとしているころ、近大付属では、午前八時四○分すぎに校長の山近博幸が経過を手短かに説明、「非常に残念としか言いようがありません。今の段階では双方から事情を聴くことができないため、事件当時の状況はわからない。だが、これを機に暴力などがない明るい学校にしてくれるようにお願いしたい」と教職員に話した。この日は、生徒と保護者、担任教諭が進路などについて話し合う三者面談がおこなわれることになっていた。
時は刻々と過ぎていく。七月十八日の昼十一時をまわったころだ。
医師が控室の扉を開けた。
「お父さん。もう今日一日、もちそうにありません」
「そんな……どうにかして……息だけさせてくださいよ」
錯乱寸前だった。そして、午後一時三○分ごろ再度呼ばれた。元春たちは、目を閉じたまま動かない知美のところへ行って、名前などを一生懸命呼んだ。血圧は下降したままで、脈も止まりかけている。二時すぎになるとモニターに映し出される脈拍の間隔が次第に長くなった。医師が近くに来て静かに言った。
「逝かれますよ」
元春はその時間だけははっきり覚えている。二時三七分。
「ご臨終です」
目の前がまっ暗になって、そこからは記憶がない。覚えているのは、臨終の直後、看護婦が「きれいにしますから、待っていてください」と告げたことだけである。元春はそのまま親類の者に抱えられるようにして部屋を出た。
明美は、「知美、目を覚まして!昨日、元気でお弁当を持っていったじゃない!」と遺体にすがりついて号泣した。点滴を受けていた兄は、妹の臨終に立ち会うことはできなかった。
知美が霊安室に運ばれるとき、「もう家に帰れるとよ。ようがんぱったね」と遺体にやさしく声をかけたのは祖母だった。
「元春さん、しっかりしなさい。まだ奥さんと息子がいるやろう。しっかりしないと」という親戚の声で、元春が我にかえったのは控室の畳の上だった。
三者面談を終えた知美の同級生らは、続々と病院に駆けつけた。知美が通っていた中学校の教員の姿もあった。知美の死を知らされた友人たちは「いやあ!どうして死ななければならないの!」と泣き叫んだ。
元春は、とぎれとぎれの記憶をこうつなぎ合わせる。
「十八日は、親戚の人たちがいろいろ気づかってくれて、遺体を運ぶ六人をどうしようかとか、葬儀屋さんはどこに頼もうかちゅう判断をしてくれたですよ。家内が葬祭の互助会に入っていたから、その責任者に頼んだのかな。霊柩車とかの手配は親類の者がしました。霊柩車で(知美を)自宅へ連れて帰ったのは、午後四時ごろだったと思います。たくさん友だちも、来てました。私は夢を見とるような気持ちでね。周りもワァワァ騒ぐだけでしよ。どこで、どういうふうにしていたかは、はっきり覚えていないです。知美は居間に寝せて、そこに友だちもたくさん上がっていました。同級生から中学生のときの友だちまで、たくさん来て、遺体にすがりついて泣いてました」
自宅に帰ったばかりで遺体はまだ枢にはいっていなかった。病院から連ばれてきたままの白い布団に、浴衣姿で寝かされていた。それはICU専用の浴衣だった。顔はきれいに拭いてあり、白い布が被せてあった。元春はそれを、そっと取った。
「みんなが顔を見たい言うから見せてあげました。ずっと付けてた管の痕が、唇にハッキリついとりました」