岩田日銀副総裁の高橋是清に関する講演より
10月27日に日銀の下関支店において、「高橋是清翁顕彰シンポジウム」が開催された。
高橋是清は森有礼の友人で農商務省次官の前田正名が持ち込んだペルーの銀山開発の話に乗って無一文になってしまったあと、さすがに責任を感じていた前田は高橋に第三代日本銀行総裁の川田小一郎を紹介した。こうして是清は日銀に入行したが、本人による丁稚奉公から仕上げていただきたいとの希望で、日銀本店新設工事の建設事務主任となったのである。
このときの監督は安田財閥の祖である安田善治郎、技術部監督はのちに東京駅も手掛けた建築家の辰野金吾。辰野金吾は唐津の洋学校での高橋是清の教え子でもあった。日銀本店工事では高橋是清の力が存分に生かされ、大幅に遅れていた工事はほぼ予定通りに進捗し、この実績が高く評価された。このため日銀入行の翌年には全国二番目の支店となった日銀西部支店の初代支店長となったのである。それが現在の下関支店である。
この高橋是清翁顕彰シンポジウムの主賓が岩田日銀副総裁で挨拶を行った。その挨拶要旨が日銀のサイトにアップされた。岩田副総裁は「昭和恐慌の研究」という本の著者・編集者でもあり、高橋財政にも詳しい。拙著「聞け! 是清の警告 アベノミクスが学ぶべき「出口」の教訓」を書く際にも購入し参考文献とさせていただいたが、高橋財政の見方については見方の違いもあった。
高橋財政とよばれる政策が行われた背景には、その前の昭和恐慌について見ておく必要があるが、それについて岩田副総裁は下記のようにコメントしている。
「当時の経済状況を振り返りますと、1920年代は、第一次大戦による好況期の反動や関東大震災(1923年)、昭和金融恐慌(1927年)などが相次いで起こる、慢性的な不況の時代でした。1930年には、浜口雄幸内閣の下で緊縮的な政策を進めていた井上準之助蔵相が、大戦中に停止されていた国際金本位制への復帰(金輸出の解禁)を断行します。 しかし、金本位制は、当時の日本のような経常収支赤字国にとっては、緊縮的な財政金融政策によって物価の下落を強いられるデフレ・レジームです。それに加え、井上蔵相は、金と円の交換比率、すなわち為替レートを実態よりも円高な旧平価に設定して金本位制に復帰しました。そのため、日本はたちまちデフレ不況に陥りました。 このような状況に加えて、1929年に始まった世界的な大恐慌が国内に波及したことが、昭和恐慌の発生の背景にあったと考えられます。」(岩田副総裁の高橋是清翁顕彰シンポジウムにおける挨拶より)
これについては時間の関係上、詳しい説明ができなかった面もあるかもしれない。ただ、井上蔵相はデフレを目指していたわけではない。金と円の交換比率を実態よりも円高な旧平価に設定して金本位制に復帰した背景についても、拙著「聞け! 是清の警告」では次のように解説した。
「1928年にフランスが金解禁を行うと主要国でこれを行っていないのは日本だけとなりました。日本国内でも1920年頃から金輸出解禁の是非が議論されるようになったものの、第一次大戦後の不況や1923年には関東大震災とその後の1927年の金融恐慌などがあり、金本位制への復帰が遅れたのです。金解禁を行って為替相場を安定させることを望む声が上がり、1929年7月に金輸出解禁の方針を掲げた民政党の浜口雄幸内閣が成立し、蔵相に元日本銀行総裁の井上準之助を起用しました。緊縮財政への転換と国民への倹約の呼びかけを行い、1930年1月に旧平価により金輸出を解禁しました。これには高橋是清は反対しましたが、無理な旧平価による金解禁を行えば、正貨流出を招くことが予想されたためです。旧平価ということは、明治30年に制定された貨幣法による100円は49ドル82セントとするものですが、金解禁前の日本経済は関東大震災などの影響が残り、円の価値は下落していました。その円相場を意識して金解禁をする新平価の解禁を求める声もあったのです。ところが、第1次世界大戦を通じて日本は米英に次ぐ第3の強国となっていたこともあり、国際信用を落としたくないとの配慮がありました。また、新平価を採用するとなれば、貨幣法を改正する必要があります。ところが、当時の議会でそれを通すことが難しい状況にあったことで、旧平価のままで金解禁に踏み切ることになったのです。」(拙著「聞け! 是清の警告」すばる舎)
為替レートを実態よりも円高な旧平価に設定したことは、デフレを意識して行われたというよりも、与野党の攻防が激しい状況等、当時の事情が許さなかった面もあったのである。
「このような状況のもと、1931年の末に成立した犬養毅内閣で5度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、財政政策と金融政策を組み合わせた景気刺激的なマクロ経済政策のパッケージを推し進めました。これがいわゆる「高橋財政」です。」 (岩田副総裁の高橋是清翁顕彰シンポジウムにおける挨拶より)
「高橋財政」に関する岩田副総裁のご指摘と私の高橋財政の見方の相違については、少し長くなりそうなので、明日の牛熊コラムにてあらためてご紹介したい。