全国旅行支援は公正か?
コロナ禍で実質的に旅行、そして観光業界、関連産業は厳しい制約を受けた。そうした状況を踏まえたという体で、全国旅行支援が始まった。報道の論調も総じて肯定的か、制度やサービスの使い勝手等を中心に関心が向いていて、そもそもなぜ約5600億円もの予算を投じてこの事業が行われるのか、それは妥当かということは十分論じられている印象に乏しい。
それだけにあえて問うてみたい。「全国旅行支援は公正か?」と。コロナ禍で大きなダメージを被ったのは観光業界だけではない。そうである一方で、なぜ観光業は集中的に支援されるのだろうか? そしてそれは公正な政策といえるだろうか?
直近でいえば東京都は対象になっていなかったこともあってあまり話題にならなかったが、「県民割」事業も実施されている。こちらの予算は3300億円規模だった。また「GO TOトラベル事業」には、本稿執筆時点までに度々の補正予算もあり総額で約3兆円事業が計上されたことになる(当初、GO TO4事業総額約1.7兆円、内、トラベル事業約1.4兆円、詳しくは、眞子和也(2022)「Go To トラベル事業の経緯と論点」等、参照のこと)。
「観光支援は地域全般の支援になるのでは?」という声もある。しかし、そうだとすれば、なぜ地域の飲食業や小売業が直接支援されるか、地方自治体の裁量予算等の支援にならないのだろうか? コロナの感染が落ち着くにつれて、旅行に行きたいという人は増えていると考えられるし、ビジネス利用も認められているが、余暇支援の性質が強い(ビジネスホテルや各種交通の混雑、価格高騰によりビジネスにとってはデメリットが大きい)。その意味では観光需要はもとより存在しているともいえる。人手不足も言われるなか、果たして国が過剰に介入するべきなのだろうか?
「観光は日本の中心産業だ」という声もある。観光立国推進基本法を制定するなど政府も旗を振ってきたが、これは現状では端的な「誤解」である。コロナ禍以前の2019年時点以前で、GDPへの貢献は直接で総じて3%以下、間接でも10%程度以下、雇用も直接で100万人程度、間接で450万人程度以下、そして旅行消費の7割が日本人国内旅行によるものとされている(観光庁『令和3年版観光白書について(概要版)』等)。ちなみに情報通信産業は概ね10%程度、雇用者400万人程度、雇用誘発数で850万人程度(建設業も雇用誘発数は概ね同程度)とされている(総務省『令和3年版情報通信白書』)。
また規模、政策の偏りが顕著である。予算額5500億円、1.3兆円、3兆円などと言われると生活感覚から乖離しているが、参考がてら政策の規模感を列挙してみると、恒常的な予算でいえば、所得制限がつく児童手当の予算総額は約1.3兆円。全国約80の国立大学の運営費の4〜5割程度を占める運営費交付金総額が1兆円程度で、コロナ関連でいえば住民税非課税世帯に10万円の現金を給付した「住民税非課税世帯に対する臨時特別給付金」の予算が1.5兆円である。異例ともいえる政策規模であることがわかる。
産業支援の基本は、幅広い業界への支援か、高額設備への投資促進、リスク性の高い分野への支援等ではないか。その意味では、この間のガソリン補助金や小麦の政府売渡価格据え置き等の物価高騰対策はそれらにあたるが、自然な需要が相当に期待できる観光支援は該当しない。また設備改修等を条件にするわけでもないから、将来に渡る観光産業全体の底上げにすらならないし、むしろ施設やサービスの現状維持のインセンティブにあたる。半導体やスパコン開発等のように巨額の開発コストが必要となる産業ともいえない。
こうして概観するだけでも全国旅行支援はいったい何のためになされている政策なのかよくわからなくなってくる。かつて筆者は『コロナ危機の社会学』などにおいて、コロナ禍における「耳を傾け過ぎる政治」の課題を指摘した。要するに民意を聞くフリをして、効果が明確ではない政策を実施することで、政権浮揚につなげようとする政治のことだ。観光業界の業界団体である全国旅行業協会の会長が令和3年時点(最終更新日)で自民党の二階俊博氏であることはよく知られている。そのことと本件が関係するかは明確ではなく、もちろん政権と行政にも裁量があるが、政治と業界の事情で巨額の予算が投じられているとしたら問題だ。今からでも全国旅行支援の期待される効果と意味は明確にされるべきではないか。
(追記)
政権が掲げるリスキリングとも相性が悪い。リスキリングは本来的には労働者の学び直しによる労働技能の向上と成長産業への労働力移行による生産性向上が期待する政策である。全国旅行支援は、賃金水準が相対的に低く、労働集約的な観光産業に雇用と労働力を貼り付けることに繋がるという意味において、アクセルとブレーキを同時に踏むような政策といえるからだ。