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【京都市】伏見区『伏見口の戦い激戦地跡』近辺「鳥羽伏見の戦い」跡地で坂本龍馬らの幕末ロマン体験!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都の街角には何かしら歴史や文化にまつわるものが、ふといきなり出てきたりします。

先日も急に仕事の電話がかかってきて立ち止まった場所で、濠川にかかる京橋の袂に石碑が建っているのを見つけました。

比較的新しいこの石碑には、(石碑建立年2009年)『伏見口の戦い激戦地跡』とあります。

伏見のこの辺りは、幕末の志士に関係した場所がたくさんあります。

説明書きを読むと、大阪から来た会津藩兵がここ京橋に上陸し、幕府軍は淀方面に向かう時にはこのあたりに火を放ち、多くの民家が焼かれたとありました。

幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸。ここに伏見御堂を宿陣として戦いました。伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面へ敗走したので、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害を受けました。

1868年に起きた「鳥羽伏見の戦い」は会津藩、新選組等の幕府軍と薩長連盟の新政府軍の戦いです。

伏見の船宿であった「寺田屋」から西に50mほど歩いた京橋のたもとにあります。この「寺田屋」も1868年の鳥羽・伏見の戦いの際に焼失して再建されたと地元の方に聞きました。

「寺田屋」事件は、江戸時代末期に「寺田屋」に滞在していた尊皇攘夷の過激派志士が弾圧された事件のこと。「寺田屋」に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行所の捕吏たちが襲いにきたのを妻の龍が龍馬に知らせて無事に逃げることができた、という時代劇やドラマなどでもよく再現される場面です。『高津商会』の小道具たちがいつも大活躍しているドラマや映画です!w

川沿いには、坂本龍馬と龍の銅像がありました!

鳥羽伏見の戦いでこの辺り一体が焼け野原になったと言いますが、いまでは川に浮かんだ舟にのって情緒ある景色を楽しむことができます。

全国有数の酒処として知られ、また角倉了以により舟運が栄えたこのエリアでは、当時の舟が再現され、観光遊覧船として運航されています。

また近くには『長建寺』さんという弁財天さまがいらっしゃる有名なお寺さんもありますよ♪

現世利益を授けてくださる八臂弁財天がご本尊の『長建寺』にて「山科絵」に触れる♪

伏見口の戦い激戦地跡

〒612-8045 京都府 京都市 伏見区南浜町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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