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リトアニア、ホロコースト時代にユダヤ人らがスプーンで堀ったトンネルを最新技術で発見

佐藤仁学術研究員・著述家
(Courtesy of Yad Vashem)

第2次大戦時にナチスに占領されたリトアニアでもユダヤ人の大量虐殺は行われた。リトアニアはユダヤ人らにビザを発行した日本人外交官の杉原千畝氏がいた場所。杉原氏の行動は日本でも書籍や映画で広く紹介されているのでお馴染みだろう。

スプーンと手で3か月かけてトンネル採掘

そのリトアニアにユダヤ人らが大量に虐殺されたポナリの森という場所がある。ポナリではユダヤ人約7万人と、ポーランド人やソ連兵捕虜などを合わせて10万人ほどが殺害された。そのポナリで捕えられていたユダヤ人労働者らが、スプーンや手で堀ったトンネルが2016年に発見された。トンネルを掘っていたユダヤ人らは殺害されたユダヤ人の死体処理 などを行っていた人々。彼ら自身もナチスによる証拠隠滅のために殺害されるのは時間の問題だった。そこで生死をかけてスプーンや手で約35メートルのトンネルを掘って脱出を試みた。昼間は強制労働でくたくたになるまで働かされた後、夜になってからトンネルを掘っていた。その作業は約3か月かかった。さらに足枷をやすりなどで切断する必要もあった。そして1944年4月15日に40人の囚人がトンネルから脱出。だが多くのユダヤ人がすぐに見つかってしまい、戦後まで生き延びることができたのは10数人だったそうだ。

トンネルをレーダーで特定

そのユダヤ人らが掘ったトンネルがイスラエル考古学庁などの研究チームの地中レーダー探査システムによって発見された。ナチスは欧州中でユダヤ人の虐殺を実施。当初は銃殺されたユダヤ人らはそのまま土に埋められていたが、証拠隠蔽のためにユダヤ人らを使って掘り起こして焼却していった。さらに証拠隠蔽のために、殺害して焼却した後に植樹などをしたので、どこが殺害現場だったか精確な場所が不明なところが多い。そのため当時の生存者や目撃者の証言などを元に探索が行われていた。当時を知る人々の数はホロコーストから70年以上が経過し、毎年減少している。そして殺害場所が特定できたとしても、掘り返して確認することができない場合がある。ユダヤ教の教えでは「死者の眠りを妨げてはいけない」そうだ。また学習院女子大学の武井彩佳准教授によると「ポナリでは、地中から死体を焼却した灰が出てくると、灰の層より下は掘ることができない。そのため学術調査も中止しないといけない」とのことだ。

イスラエルなどメディアの報道によると、トンネルの場所の特定作業は数十年前からイスラエルやリトアニアなど欧州の団体を中心に進められてきたが、精確な場所を特定することは困難だった。そして地中探査レーダー(Ground Penetrating Radar:GPR) と地中の電子抵抗を感知する比抵抗トモグラフィー(Electrical Resistivity Tomography:ERT)の発達によって、地表をスキャンして地層の乱れを感知し、地中構造を3Dで可視化できるようになった。技術の発展によって数十年間探していたトンネルの場所を、発掘することなく特定することができた。

トンネル発掘調査チームのリーダーでリトアニア出自のユダヤ人であるJon Seligman博士は「トンネルの発見には感動した。人間が生きることへの希望がホロコーストの恐怖と絶望に勝利したことの証だ。当時の人々の生きることへの熱い思いを感じる」とコメント。

現在のポナリの様子。死体焼却のベルトコンベアはレプリカ
現在のポナリの様子。死体焼却のベルトコンベアはレプリカ
レーダーによってトンネルの場所を精確に特定(Paul Bauman/Alistair McClymont)
レーダーによってトンネルの場所を精確に特定(Paul Bauman/Alistair McClymont)
学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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