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「3月11日を迎える前に」 原子力損害賠償の仕組み

吉川彰浩一般社団法人AFW 代表理事
賠償の合理化が進み、合意書をレターパックで送ることで賠償金は口座へ。

東日本大震災そして福島第一原発事故から6年目の3月11日を迎えるにあたって、5年経過という節目を迎えることから加熱報道がなされることが予測されます。

震災を経験された方々、原発事故を経験された方々にとって通過点に過ぎない5年ですが、日常を取り戻した方々にとって5年という時間は忘れてしまうには十分過ぎる時間です。

原子力事故賠償については、その存在は多くの方が知っていても、その内容はというと福島第一原発の状況と同じく、良く分からないというのが実情です。被害に遭われた方の思いや失ったものの代償は想像で語ることが大変難しく、当事者しか知りえない内容が多い故に、実態の問題を理解することは難しいものです。

ここでは、いくら賠償されたら足りる足りないの議論ではなく、原発賠償の在り方、仕組みに問題はないのかという視点で綴っていきます。構造仕組みの問題で、被災された方々が振り回される現在について、少しでも矛先を間違えず、救済に繋がればと思います。

賠償業務素人の東京電力が賠償事務を行っている。

原発事故を防げなかった責任として賠償を行う。これは当たり前の事ですが、賠償に関わる手続を東京電力が行っていることが、多くの賠償問題に繋がっています。原発事故による被害者数は避難生活を送られた方だけでも、最大時14万人を超えました。放射能汚染による賠償を含めれば、金額云々の前に賠償業務数はとんでもない数になります。事故当時、東京電力が賠償を始めるにあたって最大の壁は、賠償業務を日本中の保険会社が請け負ってもらえなかった。完全素人集団が賠償を行うというものでした。

冷静に見れば、保険業務を行なったことがない、一電力事業者が自ら賠償手続業務を行うことがどれだけ問題があるか想像に難くありません。それは実務だけではなく、被災された方へ向き合う姿勢態度についてもです。

約5年の中で、素人部分は大分改善されてはきましたが、福島県内にある賠償相談室には同じ被災地域出身の社員が入り(彼らも原発事故によりふるさとを失った人間です)、被災された方々目線での賠償を進めてはいます。同じ気持ちで話し合える仕組みはある事はあります。ですが、賠償センター(いわゆるコールセンター)の方は、東京電力から仕事をもらう派遣の方々、与えられた仕事を淡々とこなす杓子行儀な対応には、被災された方々の心を今も傷つけることがあります。

ここで言える根本の問題は、餅は餅屋ということです。そして原発事故が起きた際には餅屋はやらないという点。原子力事故が起きた際に賠償業務はどこで請け負うのか、また本当にそれは被災された方々にとってスムーズに心労なく行える能力を持っているのか。この二つが問われず、改善もされず今も続いています。

業務実態構造にそもそも論で問題がありますが、更に賠償内容を誰が決めているかの部分で大きな問題があります。

第三者機関が賠償方針を決めていることが根本問題

原子力事故による賠償は、東京電力と被災された方が話し合い、双方合意の上でなされているものではありません。第三者の機関として文科省の原子力損害賠償紛争審査会が事故後作られ、裁判を起こすことなくスピーディに賠償が進むよう作られたものです。こちらの指針に従うことで、賠償手続は簡略化され、本来何年もかかる問題が解消はされました。

しかし、これは大切な寄り添い型の被害実態に沿った賠償からはどうしても離れてしまうものです。一律いくらと固定型賠償が導入され、金額についてはこちらの機関が被災された方々の合意を得ず決めます。それは合理的に考えると正しいのかもしれませんが、勝手決められてしまう仕組みは、被災された方々の心を傷つけるものです。

共通に抱える被害に対しては有能ですが、個別ケースに関しては指針がなく、もめごとの原因となっています。それを解消するための仕組みがADR(原子力損害賠償紛争解決センター)と呼ばれるものです。被災された方々が裁判を起こしているのは、簡略化の中で指針にないからと断られるケースに対して裁判によって賠償を受けるものとなっています。因みにADRは紛争審査会の下で和解仲介手続きを実施する機関です。

この仕組みには大きな問題点が2つあります。

1.東京電力が指針に無いと断れる材料となった。

「指針にありません。ですのでご回答できかねません。申しわけございません。」多くの被災された方々が、問い合わせの度に聞かされた決まり文句です。東京電力にいくら言っても指針が変わらなければ、賠償の在り方は変わりません。これはうがった物の見方をすれば、加害側にとってとても都合の良い仕組みとも言えます。

2.避難解除だけを賠償基準とする指針内容。

原発事故直後、これほど避難が長引くとは誰も想像していなかったものです。それは避難させた側も。賠償の指針は避難解除を持って終わるとする方針が基本です。過去の例で見れば、避難解除後1年で賠償は打ち切りになっています。避難長期化で起きた問題「地域コミュニティの崩壊に対する、被災された方々の将来設計を描きずらくなった問題」は、その後も何十年と暮らしていく方々が自己努力で乗り越えていくしかない状態となっています。

東京電力がHPで宣言する3つの誓い1.最後の一人まで賠償貫徹2.迅速かつきめ細やかな賠償の徹底3.和解仲介案の尊重は、文科省の原子力損害賠償紛争審査会の考え方の範疇で行われるものであって、肝心の被災された方々の考える賠償では行われることは構造上ありません。

賠償内容について起きている問題は文科省の原子力損害賠償紛争審査会が起こしているものです、その内容に従い、肝心の被災された方々と向き合う形での賠償内容を決める方法を放棄してしまっている東京電力は、姿勢として改めることが求められています。

いずれにしても構造が変わらなければ、賠償問題の根幹である賠償内容は改まることはありません。

分割払い方式賠償の問題

東京電力には、原子力損害賠償を一括で払える能力はありません。これまで支払われた賠償額は7兆円を超えます。これは東京電力だけではなく、それを出来る企業などは存在しないことを表しています。

分割払い方式は、支払う側にとっては都合が良いものですが、受け取る側にとってはそれを基本とした生活設計は出来ない問題があります。また、被災地域でも問題になっているのは自立を阻害する一面もあるという点です。受け取る金額が一度で大きいほど、新しい道を選ぶ選択肢は増えます。それは原発事故でぽっかりと失ったものを埋めることにも繋がったでしょう。

例えば、平成30年には、帰還困難区域を除く避難区域が解除となることが決められていますが、原発事故から6年間、賠償はされたととるか、これが当初からの確定事項であれば6年分の一括賠なされ、それを資本とした新しい生活設計が出来たはずとも解釈出来ます。

分割払い方式は、その都度社会から被災された方が賠償を受けている事実を伝えるものにもなっています。個人の資産は測りようがありません。ですが、一般家庭の家計の苦しさからくるニュースを聞かない日がありません。そうした方々にとっては途方もない賠償に映り、時にそれは羨望やねたみへと変わり、その矛先は被災された方々へ向けられます。失ったものを加害者都合で金額的に評価される。その苦しみを思えば、向かう矛先はまた別でしょう。そういった問題も一括で済んでいれば、5年経とうとする今、無くなった問題とも言えます。

いつか身に降りかかる問題として考える

原子力発電所の再稼働は進んでいきます。将来的には無くす政府方針とはいえ原子力発電所がある以上、原発事故に対して安全要求していくことは必要ですし、原発事故の教訓として万が一起きた際の生活再建方法の確立も必要なことです。

想定外という言葉は使ってはいけない、あらゆる局面を想像し事前に対処を確立する、原発事故という二度とあってはならない事故を経験した私達にとっても想定外は使えない言葉です。そうした意味でいつかわが身をと考えた時、原子力事故賠償の在り方は福島県や原発事故による被災者の方だけの問題ではなく、社会全体の問題ではないでしょうか

原発事故賠償は私達の生活保障の観点から重要な案件です。だからこそ、矛先を間違えず有り方を議論し、そして確立していくことが重要です。残念ながら事故から5年が経とうとする今も、それはおざなりのままにあります。

一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに、一般社団法人AFWを設立。福島第一原発と隣合う暮らしの中で、福島第一原発の廃炉現場と地域(社会)とを繋ぐ取組を行っている。福島県内外の中学・高校・大学向けに廃炉現場理解講義や廃炉から社会課題を考える講義を展開。福島県双葉郡浪江町町民の視点を含め、原発事故被災地域のガイド・講話なども務める。双葉郡楢葉町で友人が運営する古民家を協働運営しながら、交流人口・関係人口拡大にも取り組む。福島県を楽しむイベント等も企画。春・夏は田んぼづくりに勤しんでいる。

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