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「スケートボード=ダメなこと」で通報、今も… パーク施設の課題山積み

吉田佳央フリーランスフォトグラファー/スケートボードジャーナリスト
この糀谷駅高架下スケートパーク事業の中止は、日本の社会的な問題だ。撮影:吉田佳央

東京オリンピックでの相次ぐメダル獲得によって競技性が広く知れ渡っただけでなく、元来持っているカルチャーが生んだ瀬尻稜プロの「ゴン攻め / ビッタビタ」が今年の流行語大賞にノミネートされるなど、「新しいスポーツ」として一躍社会の脚光を浴びるようになったスケートボード。

現在は全国各地のスクールも盛況で、スケートパーク建設の話も各地で話題にあがっています。今後さらなる環境整備が行われていくことは間違いありません。

しかし、一方で建設へ向けた課題も山積みとなっています。

そこで長年環境改善に尽力し、日本スケートボード協会やアジア大会の競技委員を務める冨田誠さんのお話から、五輪後のスケートボード界が抱える課題に目を向けていきましょう。(全2回の後半)

※前編はこちらをクリック!

パーク建設を推し進める本当の理由

大田区役所へ懇願書を提出する冨田さん。20年以上にわたりこのような活動を継続し続けている。撮影:吉田佳央
大田区役所へ懇願書を提出する冨田さん。20年以上にわたりこのような活動を継続し続けている。撮影:吉田佳央

ー現在冨田さんは糀谷駅にある自身のショップとパークから羽田空港方面へ3駅進んだ天空橋駅にも世界規模のコンテスト開催が可能なスケートパークの建設運動を行なっていますが、これは糀谷のパーク閉鎖と関わりがあるのでしょうか?

 いえ、糀谷の方は本来タイミングとしてはもう終わっているはずだったので、全くの別物です。天空橋の方は駅前のおよそ2万平米の土地に公園の建設を予定しており、こちらは現在進行形で動いているプロジェクトで、来年には実際に動き出すというところまで来ているのです。

 本来は先に完成していたものですし、糀谷の方も署名活動などをしながら、今一度オープンへ向けたご協力をお願いしたいとは思っているのですが、そちらを先にやってしまうと、今度は天空橋の方がタイムリミットになってしまいます。そのためまずはタイミングとして適切な方で活動をしています。そんなに何でもかんでもやればいい、お願いすればいいと言うものではないので、まずは順序だって行うべきことをやらせていただいております。

 やはりニーズとして、今はオリンピックの効果もありスケートボードをする人が増えている中、それらを受け入れる場所が圧倒的に足りないのは事実であって、それは糀谷でも天空橋でも同じだと思っています。そのため、せめてどちらかだけでも認められれば、ニーズはきちんと受け取ってもらえるということではないでしょうか。どちらを切り出しても、スケートボードをする場所が必要なんだよということは、しっかり伝わると思います。

ーそれに同じ大田区でわずか3駅しか離れていない場所とはいえ、糀谷と天空橋では立地も全く違いますしね。

 その通りで、これは実際にオリンピック後に金メダルを獲得した堀米雄斗選手の地元である、江東区役所にお邪魔させていただいた時にもお伝えしたことであり、私自身も本気で思ってることなので、ぜひこの場で伝えさせてください。

 2018年にアジア版のオリンピック、アジア競技大会のジャッジに行かせてもらったのですが、その時に中国やタイ、台湾と言った国々の協会の方とお話しする機会やコミュニケーションの機会があって、その後もメールなどでやりとりさせてもらっています。

 それらのやり取りでは、アジア諸国でもオリンピック競技への採用によってブームに向かいはじめ、競技人口がどんどん増えていることと、それに加えてそういった国民のニーズを捉えた政府が、インフラ整備でスケートパーク建設をどんどん進めていると言う話をしてくれました。実際に東京オリンピックでも、前評判は決して高くなかった中国のソウ・ブンケイ選手が6位入賞を果たしています。これはそう言った環境整備のひとつの成果ではないかと思っています。

スケートパーク建設へ向けて製作した建設運動の詳細を伝えるためのパンフレット。冨田さん提供
スケートパーク建設へ向けて製作した建設運動の詳細を伝えるためのパンフレット。冨田さん提供

スケートパークが建設可能な土地とは!?

川に挟まれ、奥には空港が見える天空橋駅前にある約2万平米の公園建設予定地。ここは都内で最もスケートパーク建設に適した土地だと冨田さんは話す。撮影:吉田佳央
川に挟まれ、奥には空港が見える天空橋駅前にある約2万平米の公園建設予定地。ここは都内で最もスケートパーク建設に適した土地だと冨田さんは話す。撮影:吉田佳央

ーそれと比べ、あれだけオリンピックでメダルを獲得した日本では、地方では動きが活発になってきたものの、東京では先ほどお話しいただいた江東区の夢の島総合運動場に来年11月、代々木公園に2024年にできるというお話が出たくらいでしょうか。

 その通りです。日本の首都であり、最も選手レベルの高い東京でもようやく動き始めました。ただ自分がアジア競技大会でジャッジをしてから3年以上が経過しているのにもかかわらず、この現状は他国と比べても動きが早いとは言えません。

 そのため羽田にスケートパークを造ろう! と言う話を客観的に聞くと、糀谷がダメだったから、そこに近い所があるからやってるだけでしょ!? と言った聞こえになるかもしれませんが、実際はそんな安易な理由ではないんです。

 ただ今の東京にはない! だからパークを造ってほしい!! といくら声を上げたところで、やっぱり僕も東京生まれ東京育ちですし、騒音やいろんな問題があって、糀谷のスケートパークの閉鎖に直面している事実もあり、本当に難しいんだということは身をもって実感しています。

 でもいくら難しいとはいえ、葛飾区や墨田区、江戸川や隅田川がある地域を見ると、川を隔てて渡った先は規制が緩和され、スケートパーク建設も含めてやれることが増えるんです。有明アーバンスポーツパークが五輪会場となったのも、江東区の夢の島総合運動場に建設が決まったのも、まさにこの条件に合致しているからなんですよね。この事例は運河に対しても同じことが言えて、大田区を流れる京浜運河を渡った先の土地になると、騒音に対して寛容になるので、パーク建設に関しても実行に移せる余地が増えるんですよ。

ーただそう言った土地は、アクセスが不便なところが多いです。現に大田区に実在する城南島海浜公園のスケートパークはトラックターミナルの先にあり、埋め立て地で市街地から非常に遠く、小学生が自転車で行けるようなところではありません。

 実はそう言った要素も全てクリアしているのが、現在公園建設を進めている天空橋エリアなんです。実は田町の運河や江戸川の脇、その逆側など、都内で最も東側に位置する葛飾から西側まで東京の港湾エリアを全て見渡しても、実は羽田が一番河川が短くて幅が狭いのにもかかわらず、人々の居住エリアにも近いんです。それでいながら川を渡ると騒音などの規制も緩和される点は他地域と変わりません。

 詳しく説明すると、この場所は羽田空港線と京浜急行の天空橋駅の目の前でバス停からも近く、市街地からも川を隔てているだけで歩いて行ける距離なのです。小さな子供でも自転車で来れる距離ですし、隣は羽田空港なので、地方の方でも外国の方でもすぐに来ることができる、世界的に見てもアクセスが抜群の土地なんです。

 なのでそれらの点から広く東京を見ても、この天空橋が最もやりやすくて最もアクセスが良く、一番良い場所であると思っていますし、東京の西側の湾岸部にも絶対に必要だと思っています。そのタイミングが来たから活動しているんですよ。

必要なのは”子供も遊べるスケートパーク”

現在都内最大面積を誇り、プラネットパークの愛称で親しまれる八王子の戸吹スポーツ公園スケートパーク。これだけの広さがあれば老若男女、上級者から初心者まで様々な層が楽しめる。撮影:吉田佳央
現在都内最大面積を誇り、プラネットパークの愛称で親しまれる八王子の戸吹スポーツ公園スケートパーク。これだけの広さがあれば老若男女、上級者から初心者まで様々な層が楽しめる。撮影:吉田佳央

ーただ川幅が狭いと言うことは、それだけ騒音が漏れてしまう可能性も高くなるのではないでしょうか?

 確かにおっしゃるとおり、市街地を隔てている海老取川の川幅は狭く、その先は民家が密接・隣接しているので、全く音が聞こえないかと言われたら、申し訳ありませんが保証はできかねます。ただその裏にあるのは空港で、常日頃もっと大きな音が出ているのは事実ですし、皆さんがそれらに対応した住宅で暮らしていらっしゃいます。これは「だから、いいじゃん」ということではなくて、歴史上騒音には耐性がある地域であり、寛容な土地柄なのです。それにこれらのことは羽田地区町会の会長様にも相談済みであり、事情を丁寧に説明したところ「応援したい」という力強いお言葉もいただいています。

ー地区町会長からの直々のお言葉は本当に頼もしいですね。

 はい。しかもそれだけではなく、実は2005年に城南島海浜公園にスケートパークを造っていただいた時も、大田区に採択をしてもらい、「可能な限り概要に沿う」という正式な文書をもらっているんです。そこで当時は大田区が造ってくれることを期待して待っていたのですが、この時もやはり内陸では造れないという判断の回答をされてしまい、私はそれを港湾に持っていき、東京都に造っていただいたという過去があるんです。

 その城南島も’98年に署名を始めて7年がかりで完成させたものなのですが、その時から生まれ育った場所である大田区に造ってほしいという気持ちは一切変わっていません。大田区には将来有望な若手もたくさんいますし、必要な施設であると考えています。

ー糀谷のスケートパーク以上に熱い気持ちと長い歴史を感じます。

 はい。でも伝えたいことはそれだけではないんです。天空橋の羽田空港跡地の署名には世界大会ができるようなパークが欲しい! と書かせていただいたのですが、それにもしっかりとした意図があります。一般の方々から見たら、「糀谷がダメだったからって、すぐ近所に今度は世界大会規模だって!? いい加減にしろ!!」と思われるかもしれませんが、私は決して”世界大会規模だけ”を前面に押し出したいわけではないんです。こういうと語弊があるように聞こえるかもしれませんが、もちろん世界大会ができるに越したことはありません。

 ただ行政への要望を出すにあたり、懇願書などにはよく公園の片隅のスペースが欲しいと言った形の望み方をすることがあるのですが、こういったものは望んだものよりも大きくなることはまずありません。大半が小さくなってしまいます。かといってオリンピックの開会式や閉会式を行なった国立競技場のような施設は国の所有物であり、あくまでも競技場なので近所の子供達が気軽に楽しめるものではありません。

 でもここで言わせていただいた世界大会ができるような場所を造れば、必ず少年が遊べる所が含まれるのです。

 というのも現在の公園建設予定地はおよそ2万平米の土地があります。合わせて現在日本最大級と言われている三重県の松坂のスケートパークが約5000平米、都内では八王子に約4100平米の施設があります。そういった施設は初心者から上級者まで幅広い層の方が来ているんですよね。よく初心者の方からはスケートパークは上手な人たちばかりで行きづらいと言った声が聞こえますが、これくらい大きな施設があればそう言った問題も解決できます。

 ただこのような公共の土地は皆で共有しなければならないので、私はそこで出しゃばるつもりはありません。それでも”子供たちも皆が楽しめる”というところを念頭に置くと、やはり3000平米くらいの施設は造ってあげたいんですよ。

スケートボード ≠ スポーツ!?

個人の出来事でも皆で楽しみ、喜びあい、高めあう。スケートボードに昔から根付いている文化は、昔ながらのスポ根文化とは一線を画している。撮影:吉田佳央
個人の出来事でも皆で楽しみ、喜びあい、高めあう。スケートボードに昔から根付いている文化は、昔ながらのスポ根文化とは一線を画している。撮影:吉田佳央

ーではそういった現在の社会情勢を踏まえたうえでスポーツとしてのスケートボードはどうなっていくと思いますか?

 どうなっていくという以前に、私はまずスポーツとして括る必要はないと思っています。スポーツだ! 遊びだ!! というのは個人が決めればいいことであって、どちらも自分を磨くことに変わりはありません。それにやったことがある人はわかると思いますが、皆さんが思う以上にスケートボードは難しいんです。

 努力が必要だということは愛好者の皆さんは当然理解していて、楽しもうと思ったら自己鍛錬を怠ってはいけないのです。そうやってどんどんやれることを増やした時に楽しいんだということを愛好者の方々は皆さん分かってます。

 オリンピックでは選手達が事あるごとに”楽しむ”や”仲間”と言う言葉を発していましたが、スケートボードにはお互いが讃えあって楽しみながら自分超えをすると言う文化が根付いています。それらの姿に多くの方が感銘を受けていらっしゃいましたが、選手たちはもちろん、スケートボードをしてる人はほとんどが「私はスポーツしてます」とか「私は遊んでます」とはあまりくくっていなくて、ただ単に楽しんでるだけなんですよね。

 一般の方々は括ろうとする方が多いですが、こういった考え方も広く認めてもらえるような世の中になってくれたら嬉しいなと思います。

ーそのあたりがカルチャーとして発展してきたスケートボードの特色なのでしょうね。

 そうです。スポーツなのか遊びなのかというのは自由でいいと思います。スケートボードは歴史を重ねていく中でスポーツ分野が確立していき、オリンピックの競技にまでなって、立派なひとつのスポーツと呼べるようになり、スポーツというチャンネルは増えましたが、それはあくまでチャンネルが増えただけで、スポーツとして置き換えてはいけないと思います。

 専門店を運営していても、やはりスポーツではない「単なる遊び」「ただ単に楽しい」「ただ単にやりたいだけなんです」という人もたくさんいます。なのであまりジャンルは気にしていないというか、気にならないですね。

 ただ世間一般にスポーツと認められるようになれば、環境改善に力が注がれる反面、遊びならば援助されないということもあると思います。それこそ「いや、遊びだよ!」とずっと言っていたら、競技場もできないですし、応援もありません。だからそこは何を目指すかだと思います。「毎日を楽しく過ごしたい」という目指し方もありますし「世界一になるために俺は技を毎日がっちり磨くんだ」という人もいます。ただどちらにも根底には楽しいという気持ちがあるので、「スケボーは楽しいんだ」というだけで、カテゴライズされるものではないと思います。そういった良い意味での自由な風潮と愛好者のマインドが、スケートボードの大きな魅力であると思います。

今後のスケートボード界の課題

オリンピックでの盛り上がりからしばらく経ち、新たに浮かび上がった課題解決に向け、冨田さんはこれからも真摯に取り組んでいくと語ってくれた。撮影:吉田佳央
オリンピックでの盛り上がりからしばらく経ち、新たに浮かび上がった課題解決に向け、冨田さんはこれからも真摯に取り組んでいくと語ってくれた。撮影:吉田佳央

ーそのようなスケートボード文化が、オリンピックで賞賛されたところのひとつでもありますからね。では最後にオリンピック後のスケートボード業界の課題ですが、これからはどうやって日本の社会にうまく溶け込んで共存していくかになりそうですね。

 間違いないと思います。社会や地域との共存はこれからの課題になっていくと思います。私は老若男女いろいろな人に見てもらって、「わー、すごい!」とか「カッコいい!!」とか喜んでもらえる世の中になったら嬉しいなとずっと思ってきましたし、活動してきましたが、高い壁に何度もぶつかっています。

 それに五輪での解説が話題となった瀬尻稜選手も、人にもぶつからず、騒音もなく、誰の迷惑にもならないような場所でも、スケートボード=ダメなことだから通報しなきゃいけないという気持ちから、通りすがりの人に通報されてしまう現状を話していますし、そういうところが変わってほしいと話しています。

 そしてこれは彼だけでなく、スケートボード愛好者の方々の共通の切実な気持ちでもあると思います。公園内でスケートボードをしている人もいれば、遊具やボールで遊んでいる人もいる。それぞれが思い思いに楽しく過ごせる世界になってくれたら嬉しいですね。

 オリンピック競技に採用されてスポーツとしてのチャンネルが確立してきた今は、塀に囲まれて、ここでやりなさいという競技場のようなスケートパークも必要ですし、それも造りたいですが、その一方では公園でボール遊びをする感覚で、いろんな層の人が分け隔てなくいつでも遊べるような場所も造っていけたら良いですね。

 天空橋エリアはそういった部分でも可能性がある土地だと思うので、時間はかかると思いますが「街との共存」に向けて私はチャレンジし続けていきたいと思っています。

ーこの糀谷駅と天空橋駅の行く末は、今後の日本のスケートボード環境を占う上で、ものすごく重要な事例になりそうですね。今後日本社会とスケートボードがどのような道を歩んでいくのかすごく興味深いです。

 私も同じように今後どうなっていくのかがすごく楽しみです。そもそも10年前にスケートボードがオリンピック競技に採用され、そこで日本人がメダルラッシュになるということを予想できた人は、まずいないと思います。それに現在当たり前になったものの中には、過去では非常識だったものも多くあります。もちろんその逆もありますが。

 そう言った過去の事例を見ると、スケートボードの世界にも徐々に変化の波は起きています。まだ変わってはいないですが、可能性は感じているところです。私は人々の気持ちが、どのように変わっていくのか、動いていくのかを見たいですし、そのための努力は惜しみません。そうやった先の未来に、世の中の変化を感じていたいですね。

将来、このような笑顔が見れる日が待ち遠しい。撮影:吉田佳央
将来、このような笑顔が見れる日が待ち遠しい。撮影:吉田佳央

冨田誠(とみた・まこと)

まだ中学生だった1980年代にスケートボードに出会い、ひたすら滑り続ける学生時代を経たのち、2000年よりスケートシューズブランドのGLOBE輸入代理店の日本支社で働く。その後夢であった自らのショップ、fiftyfifty Skateboard Shopを2003年地元大森にオープン。現在も切り盛りする傍ら、日本スケートボード協会やアジア大会の競技委員を務め、毎月第三日曜日は城南島海浜公園にてスクールも開講し、長年シーンの発展に尽力し続けている。

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※こちらは「文春オンライン」にて制作した記事を、新たにインタビュー形式にした上で、加筆修正した記事となります。

フリーランスフォトグラファー/スケートボードジャーナリスト

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。Instagram:@yoshio_y_

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