【幕末こぼれ話】「るろうに剣心」のモデル・河上彦斎の処刑を命じたのは、桂小五郎だった?
映画「るろうに剣心 最終章The Beginning」(大友啓史監督)が、先日の「Final」に引き続きテレビ地上波で放送された。現状、これが「るろうに剣心」最後の実写映像化になる予定である。
「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心は、「人斬り彦斎」と呼ばれた肥後熊本藩士・河上彦斎(げんさい)がモデルになっていることは前回述べたが、「The Beginning」では長州藩との緊密な関係が描かれ、リアリティを増していた。
幕末の英雄である長州藩の桂小五郎、高杉晋作と、河上彦斎の知られざる関係について、今回は紹介してみたい。
桂小五郎の鼻をひねった彦斎
「The Beginning」では、桂小五郎に高橋一生、高杉晋作に安藤政信という絶妙なキャスティングが配され、映像を一層引き締めていた。特に桂小五郎は、緋村剣心とのからみも多く、重要な役柄に設定されている。
この桂小五郎と剣心のモデルである河上彦斎は、実際に幕末期に交流していたのだが、「河上彦斎言行録」(太田天亮著・明治25年)のなかに興味深い記述があった。要約すると次のようである。
あるときのこと。彦斎と桂は京都で時勢を語り合っていたが、談論中に桂が「攘夷は実際には無理だよ」というと、彦斎の様子が一変した。髪がざあっと逆立ち、目尻が裂けるほど目を見開き、「あなたまでそういうことを言うか」と言って立ち上がり、桂の鼻をつまんでひねりあげたというのだ。
攘夷とは外国勢力を撃退することで、幕末の志士のほとんどはこの攘夷思想のもとに行動していた。彦斎と桂ももちろん例外ではなかったが、時勢が進むにつれて、現状の日本の武力では外国と戦うのは無謀であると冷静に判断する者も増えていた。
あくまでも攘夷にこだわる彦斎としては、信頼する桂までもがそういう軟弱な説に傾いていると知り、怒り心頭に発したのである。
また、同じ「河上彦斎言行録」には、高杉晋作との決裂についても記されている。長州藩は外国船を下関海峡で砲撃する攘夷を実行したが、英米仏蘭の四か国連合艦隊に反撃を受けると、戦闘継続をあきらめて和睦するに至った。
当時長州に滞在していた彦斎は、この弱腰に怒り、和睦を受け入れた高杉に対して、「君は傑物だと思っていたが、どこが傑物か。秦檜王のような売国奴と変わらないではないか。拙者はもはや君とは事をともにできない」と言って長州を去ったのだった。
処刑を指示する桂小五郎
攘夷にかける彦斎の思いの強さは、およそこのようなものだった。しかし、その頑なな態度は、明治維新政府の樹立後に問題視されるようになる。
木戸孝允と改名した桂小五郎は、明治4年(1971)11月に岩倉使節団に加わって海外渡航する直前、裁判官の玉乃世履(たまのせいり)を呼び、「河上彦斎言行録」によれば大約このように告げたという。
「河上彦斎は一世の豪傑ではあるが、いまだに攘夷論を頑迷に唱え続けている。いずれ国家に害毒をなし、文明の妨げとなることだろう。願わくば君、私が帰国する前に河上を始末しておいてくれ」
新生日本を守るためとはいえ、木戸の処断は非情なものだった。このときすでに彦斎は、参議広沢真臣殺害の疑いをかけられて獄中にあったが、玉乃は彦斎を死刑にするのはしのびなかったので、攘夷論を捨てるよう彦斎に最後の説得をこころみた。
しかし、彦斎はついに首を縦に振らなかった。結局、翌12月4日、彦斎は最後まで攘夷志士のまま、小伝馬町の刑場の露と消えたのだった。