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【幕末こぼれ話】長生きした新選組の永倉新八は、自分の姿を映画で観た?

山村竜也歴史作家、時代考証家
永倉新八(小樽新聞より筆者複写)

 新選組二番隊隊長として活躍した永倉新八は、明治維新後も長寿を保ち、大正4年(1915)77歳まで生きた。命知らずで知られた永倉が、それほど長生きすることになるとは、自分でも信じられない思いだったのではないだろうか。

 そんな永倉の、晩年の趣味は映画鑑賞だった。当時はまだ活動写真と呼ばれていた映画だが、写真が動くという不思議さに、日本人の誰もが魅せられた。

「わしも長生きをしたおかげで、こんな文明の不思議を見ることができた。なんとも嬉しいことだ」

 永倉はそういって、同じ映画を何度も観に、劇場に足を運んだものだった。

日本初の映画は明治30年

 日本で初めて映画がスクリーンに映し出されたのは、明治30年(1897)のこと。これはもちろん外国映画だったが、早くも同年のうちに日本の監督による作品も製作されている。日本人の適応力には驚かされるばかりだ。

 永倉は晩年、長男の義太郎夫婦とともに北海道の小樽に住んだ。それで小樽の劇場で映画が上映されると、よく孫の道男を連れて観に行った。そして、

「近藤や土方が、この活動写真というしろものを見たら、どんな顔をするかなあ・・・」

 そういって、往時に思いをはせたという。

 新選組局長の近藤勇や、副長の土方歳三は、写真技術の伝来にぎりぎり間に合った世代なので、2人とも写真は残している。しかし、まさか写真が動き出してそれを見ることができる時代が来るとは、誰も思っていなかっただろう。

 幸いに永倉は、彼らより40年余りも長く生き、映画という先端科学にふれることができた。幕末の頃は仲違いもした近藤たちだが、時がたってみると懐かしさで胸が一杯になる。

 自分がいま見ている科学の奇跡を、近藤たちにもひと目見せてやりたかったと、しみじみ思う永倉だった。

初めて作られた新選組の映画

 現在、私たちは新選組の姿を映画で見ることができる。もちろんそれは俳優が扮した時代劇のなかでのことだが、多くの場合、当時の新選組がかなり忠実に再現されている。これはありがたいことだ。

 そこでふと思うのだが、晩年の永倉新八が観た映画のなかに、新選組を描いた作品はなかったのだろうか。もしそういうものがあったとすれば、夢のような話である。

 調べてみると、新選組を描いた最古の映画は、大正3年(1914)1月に公開された「近藤勇」という作品とわかった。製作会社は日活で、近藤役は森三之助、坂本龍馬役に関根達発ということまでは判明した。もちろんフィルムは残っていない。

 ただ、大正3年という公開年が注目される。なんと、永倉が没する大正4年の1年前ではないか。そうであれば、存命中の永倉が観た可能性は十分にある。

 たとえ小樽で公開されてなかったとしても、新選組が映画になったと知れば、ある程度の遠方までは足を運んだに違いない。

 最晩年の永倉が、映画館のスクリーンで、自分たちを描いた作品を観た――。そういう記録は残念ながら残っていないが、もしもそんな状況があったなら、永倉は感極まって涙を落としたことだろう。

歴史作家、時代考証家

1961年東京都生まれ。中央大学卒業。歴史作家、時代考証家。幕末維新史を中心に著書の執筆、時代劇の考証、講演活動などを積極的に展開する。著書に『幕末維新 解剖図鑑』(エクスナレッジ)、『世界一よくわかる幕末維新』『世界一よくわかる新選組』『世界一よくわかる坂本龍馬』(祥伝社)、『幕末武士の京都グルメ日記』(幻冬舎)など多数。時代考証および資料提供作品にNHK大河ドラマ「新選組!」「龍馬伝」「八重の桜」「西鄕どん」、NHK時代劇「新選組血風録」「小吉の女房」「雲霧仁左衛門6」、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」、映画「燃えよ剣」「HOKUSAI」、アニメ「活撃 刀剣乱舞」など多数がある。

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