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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!丹波攻めで押さえたい城3選!

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
明智光秀が丹波経営の拠点とした亀山城跡(以下の写真も全て著者撮影)

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でいよいよ本格的舞台となった丹波攻め。前回の放送「月にのぼる者」では、亀山城が舞台となった。ドラマではすでに第二次丹波攻めに入っており、第一次丹波攻めでは、裏切りによって坂本城まで敗退したことを教訓として、亀山に本格的な居城をこしらえて、再度丹波攻めを行うこととなったのである。

 丹波は山城の宝庫であり、山城もお勧めしたいが、まずは亀山城福知山城という丹波経営の拠点となった二つの城を巡りたい。それぞれ城下町が色濃く残っており、例えば亀山城跡は大本教が維持管理をして往時の雰囲気を感じることができるし、外堀であった場所も古世親水公園として作り替えられ、城下町も亀岡祭が開催される際に出てくる山鉾を管理している町を中心に整備が行き届いている。何より関西唯一の大河ドラマ館が駅前にあるのでぜひ訪れておきたい。

古世親水公園(亀山城外堀跡)
古世親水公園(亀山城外堀跡)

 福知山城は光秀が丹波攻めを行う過程で、亀山城は京都よりであったため、より奥深くを統治する際に必要とした城で、もともと横山城という城であったように、交通の要所でもあった。統治にも優れていた光秀は、防波堤の効果を狙った明智藪を造って由良川の治水を大規模に行うなど、現在の福知山の基礎を築いた。こちらには片腕であった明智秀満を城代として置いて統治を行っている。

現在の福知山城。昭和の復興天守ながら石垣は光秀時代のものが現存
現在の福知山城。昭和の復興天守ながら石垣は光秀時代のものが現存

 そしてもうひとつ挙げるとしたら黒井城であろうか。こちらは丹波攻めの最大の脅威となった赤井直正(丹波の赤鬼と呼ばれる)が居城としていた山城で、第一次丹波攻めでは、この城を攻めている時に、丹波の有力武将で当初は光秀に味方していた波多野秀治の裏切りによって敗退したという苦い経験もしている。

 第二次丹波攻めではまず波多野氏が籠もる八上城を兵糧攻めで落城させ、そしてこの屈指の山城である黒井城も落とし(赤井直正はすでにその時は病死していた)、丹波攻めをほぼ完成させたのである。

山の上に残る黒井城の石垣は下から見上げてもわかる
山の上に残る黒井城の石垣は下から見上げてもわかる

 黒井城へはJR黒井駅から徒歩15分で山麓の登山口まで行くことができ、そこから45分の道のりだ。山の上に残る城跡からは360度の大展望を楽しむことができ、さらには砦なども目視できることから、城の規模、そしてここを攻め取った光秀のすごさが実感できる。

黒井城の本丸跡に建つ石碑。別名保月城と呼ばれた
黒井城の本丸跡に建つ石碑。別名保月城と呼ばれた

のどかな城下町も見下ろすことができる
のどかな城下町も見下ろすことができる

 城下町や山上にも桜が植えられていることから、お勧めは春の時期。山麓にある興禅寺はかつての下屋敷とも伝えられ、城を光秀から預かった斎藤利三が暮らしたとされる。ここで生れたのが後の春日局となるお福である。寺院の庭園は「麒麟がくる」でも活躍している近衛前久作庭なので、ぜひ訪れてみたい。

興禅寺の外観。かつての下屋敷を彷彿とさせる
興禅寺の外観。かつての下屋敷を彷彿とさせる

近衛前久作庭の庭園。奥には春日局産湯の井戸も残されている
近衛前久作庭の庭園。奥には春日局産湯の井戸も残されている

 丹波攻めの城3選ということでダイジェスト版でお届けしたが、亀山城がある亀岡と福知山城がある福知山では、もう少し詳細をこちらの過去記事に書いているので、興味ある方は、そちらの方もご参考までに。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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