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救急救命士の葛藤 〜心肺蘇生をしないはずの人を救急搬送している実態〜

薬師寺泰匡救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長
(写真:イメージマート)

心肺蘇生をして欲しくないと願う人が、心肺蘇生されながら救急搬送されることがあり、そのことが救急隊員の精神的負担となっている。先日そんな研究結果が報告されました[1]。

目の前で人が倒れた時、呼びかけに反応がなければ、人を集め、救急要請し、AED(自動体外式除細動器)を装着して、心肺蘇生を試みる…。そんな命のバトンが我々に引き継がれ、一度心臓が止まったにもかかわらず社会復帰にまでたどり着けるということを度々経験するようになってきました。一方で、心停止患者さんの社会復帰率はそこまで高くなく、人工心肺を用いながらの心肺蘇生を試みても救命に至らない場合もあります。高い侵襲を与えつつ結果が得られなければ、ただ体を傷つけているだけとなることもあり、その線引きの間で我々は揺れ動き続けています。

予期しない心停止に対しては、全力で医療資源を投入して命のバトンを引き継いでいくことになりますが、高齢であったり、なんらかの疾患を抱えていたりで、近々心停止に至ることが想定される場合には侵襲を控える場合もあります。

DNARとは

DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)という言葉があります。これは「心停止時に蘇生を行わない」という指示を表します。心臓マッサージや人工呼吸を行い、電気ショックや強心薬を用いてなんとか心臓を動かしても、心停止直前の状態になるだけです。心停止に至った原因を解除しないことには、根本的な解決になりません。心停止が予期される状況においては、安らかに最期を迎えたいという願いを持つ人もおり、そうした場合には患者さん本人の希望を汲み取り、医師がDNARの指示を出します。どのように最期を迎えたいかというのは究極の生き様と言って良いと思います。救命の努力をしつづける一方で、その思いは最大限尊重をしたいと考えています。そうは思うのですが、DNAR指示がありながら、救急搬送されてしまう人もいます。

DNAR指示がある中での救急搬送

DNAR指示が出ていても、共有が行き届いていなかったり、心停止かどうかの判断に難渋したりする場合、救急要請されて蘇生が行われる場面があります。

日本の救急救命士は、明らかな死亡例(頭部離断、腐乱、焼却、死後硬直など)を除く全ての院外心停止患者に対して、救急要請されたら蘇生を開始する義務があり、現場で一度開始した蘇生を勝手に終了することは許されていません。ですからDNAR患者であっても、救急要請されて現場に到着して心停止状態であれば蘇生を行います。実はこれがかなり救急救命士にとってストレスになっているのではないかという疑問がありました。患者を救おうとしているのか、ただ傷つけているのか分からなくなってしまうからです。こうした状況の中、救急救命士が実際にどれほどのストレスにさらされているかということを調査した結果が、先日蘇生関連のトップジャーナルである「Resuscitation誌」で報告されました[1]。筆頭著者は岡山大学の大学院生です。

DNAR患者に心肺蘇生をする実態

岡山市の救急搬送のデータベースには、DNARオーダーの有無や搬送した救急隊員のデータが記録されています。これを用いて、2015年から2019年の5年間に岡山市で救急搬送された院外心停止患者を対象とし、DNAR指示と救急隊のストレスの関係についてアンケートを用いつつ調査がなされました。

5年間のうちに岡山県消防庁のデータベースに登録された院外心停止患者から、明らかな死亡で搬送されなかった2026人と、主治医による死亡診断がなされ搬送されなかった6人、18歳未満の42人を除外したところ、3079例が対象となりました。DNAR指示があると認められたのは122例(4%)であったということです。

DNAR例は非DNAR例よりも高齢で(平均年齢はそれぞれ89歳、80歳)、男性の割合が低く(45%、57%)、がん(15%、9%)、脳血管障害(19%、11%)、呼吸器疾患(12%、7%)などの併存疾患を有する割合が高かったようです。そして切ないことに、目撃者や周囲の人による心肺蘇生は、DNAR例の方で多く実施されていました(86%、61%)。また、いずれも非DNAR例より頻度は低いものの、DNAR例であっても、デバイスを用いた気道確保、静脈点滴、強心薬投与、電気ショックといった侵襲的介入が行われていました。

搬送に関わった救急隊員のアンケートでは、救急救命士243人中73人(30%)が業務に対して高いストレスを感じており、統計解析を行ったところ、特に高ストレスとなる要素として、主治医からDNAR搬送の指示を受けることと、電気ショックを実施することが関連しているということでした。これは、現在の救急医療体制が抱える課題を如実に表したものだと実感します。

命を救いたい一方で

DNARの指示を出しておきながら、いざ心停止となったときに搬送を指示するのはいかがなものかと思いますが、その時にかかりつけ医が対応しきれなかったり、家族や周囲の人がパニックになってしまったりという背景があるのかもしれません。どこかの救急病院への搬送を行うということは、蘇生を行うということを意味します。傷つけたくないという気持ちから、形だけの心臓マッサージを行う場合もあります。スローコードと呼び、蘇生しないわけにはいかないけど、肋骨が折れるほどの侵襲を加えたくはないという医療従事者の気持ちから生まれた、あまり望ましくない状況です。しかしそれを行うことがまた救急救命士のストレスになっているかもしれません。地域の消防とかかりつけ医、救急病院などで意見交換の場を設けるなど、問題解決に向けてのなんからの取り組みが必要です。

電気ショックに関しては、致死性不整脈に対する治療の成功率は高く、DNAR患者であっても予期せぬタイミングで起こった不整脈は治療すべきなのではないかという悩ましい問題があります。とはいえ、心停止時に侵襲的なことを避けて安らかに最期を迎えたいと望む、その人の人生の最後のお願いみたいなものを反故にすることになります。AEDの装着自体が高いストレスにつながることは想像に難くありません。現場の救急救命士に決定権がなく、矢面に立たせているだけとなっている状況はどうにか改善をしたいところです。

自分らしく生きるために

この研究は、救急救命士が心肺蘇生時に抱えるストレス要因を解明したというだけでなく、DNAR指示がある患者さんの蘇生の実態を明らかにしたという点でもとても意義深いものと考えます。コロナ禍で、高齢者施設での感染も広がり、誤嚥性肺炎の悪化なども含めて、救急搬送件数も昨年同時期より増え、搬送先の選定は困難になっております。もともとDNAR指示があっても、予期しない感染症で心停止に至った場合には周囲が受け入れきれずに救急要請し、蘇生を開始して長時間搬送先の選定を行いつつ心肺蘇生をする場面も出てきていることと思われます。

「看取る方針にしよう」と考えていても、いざというときには病院へ搬送を!となることはよくあります。目の前で息を引き取る、その瞬間を見守るというのは並大抵の覚悟ではできないことかもしれません。ただ、こんな時期だからこそ、一人一人の人生をどのように全うさせてあげるのか、自分自身どのように人生を全うしていくのか、じっくり考える機会となればと思うのです。

参考文献

[1] Tanabe R, et al. Emotional Work Stress Reactions of Emergency Medical Technicians Involved in Transporting Out-of-Hospital Cardiac Arrest Patients with "Do Not Attempt Resuscitation" Orders. Resuscitation. 2022;S0300-9572(22)00030-2.

救急科専門医/薬師寺慈恵病院 院長

やくしじひろまさ/Yakushiji Hiromasa。救急科専門医。空気と水と米と酒と魚がおいしい富山で医学を学び、岸和田徳洲会病院、福岡徳洲会病院で救急医療に従事。2020年から家業の病院に勤務しつつ、岡山大学病院高度救命救急センターで救急医療にのめり込んでいる。ER診療全般、特に敗血症(感染症)、中毒、血管性浮腫の診療が得意。著書に「やっくん先生の そこが知りたかった中毒診療(金芳堂)」、「@ER×ICU めざせギラギラ救急医(日本医事新報社)」など。※記事は個人としての発信であり、組織の意見を代表するものではありません。

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