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中学受験「するべきか?やめるべきか?」直前期にもう一度考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

首都圏中学受験まで、あと1ヶ月を切った。12月の模擬試験で結果が出ていないと本人も保護者も志望校を変えたり、中学受験自体を断念してしまうというケースも散見する。今回は相談の多い直前期の選択について考えてみる。

●本人が主体的に決めているか

大学受験であれば、ある程度本人任せになっているので、たとえこの時期に悩み、選択に失敗しても、それを学びとして成長することができる。しかし、中学受験の場合、その決定権は圧倒的に保護者にある。いくら保護者が「自分で決めなさい」と言ったって、子どもは親の顔色を窺うし、安易に変更を提言できるほどの情報も論理的な判断力も持たない場合がほとんどだと言える。もしそれらが主体的にできる程度に成熟していれば、そもそもこの時期になって悩んだりはしない。

しかし、たとえ主体的であっても、自信がない・不合格したくないという気持ちが勝ってしまい、及び腰になる受験生も多い。それはなぜだろうか。

●なぜ中学受験をしようと思ったのか

この時期に悩んでいる受験生にはある程度共通する特徴がある。「そもそもなぜ中学受験をしようと思ったのか?」この問いに理路整然と答えられないのだ。答えを持っていたとしても「制服がカワイイから」「親にやってみろと言われたから」「高校・大学受験をしたくないから」「友達が受けると言ったから」など非常に弱い、あるいは受け身の理由に終始しがちだ。

逆に、この時期にたとえ成績が思うように上がっていなくても、悩まずにやりきるタイプの受験生は「将来科学者になりたい」や「地元の中学には絶対に行きたくない」などポジティブであれ、ネガティブであれ、強い思いがある。一番最初にどのような思いで始めたのか。それが明確にあれば、それを思い出すだけでもモチベーションをキープできる。

●ある程度続けたのならばやりきった方がいい

中学受験の意義の1つに、小学生のうちに合格・不合格というシビアな結果が出る経験ができるというものがある。しかも高校や大学受験と違いチャンスは1度しかない。合格という目先の価値だけに囚われがちだが、失敗するという経験は人生において重要な意味を持つ。中学受験での失敗経験を糧に、高校受験・大学受験で大逆転した受験生の例は枚挙にいとまがない。

受験をゴールではなくプロセスとして考えるならば、合格するという経験と同じか、それ以上に不合格の経験も意義がある。失敗したくない・させたくないという理由で中学受験を断念してしまうことは、貴重な経験のチャンスを逃すだけでなく、逃げ癖を付けてしまいかねない。もちろん断念することが必要である場合もあるが、ある程度受験勉強を続けてきたのならば、途中でやめてしまうことで後ろめたさを残してしまうだけでなく、打たれ弱く、前向きになりにくくなってしまう可能性もある。

大事なのは、残った時間でできる限りの努力をして、失敗してもいいから挑戦してみようと思えるように、まわりの大人がサポートすることだと考える。実際、中学受験生は入試直前まで実力は伸びる。1つ覚えれば1つ分成長している。そういうテストでは見えない成長を認めてあげることで、本質的で内的なモチベーションを育てることができる。受験はプロセスであり、将来に続く切っ掛けの1つと捉えて、長い目で見守ってあげる余裕を持ちたいところだ。(矢萩邦彦/知窓学舎教養の未来研究所

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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