ドクター・中松氏、雪中の街頭演説 -有権者のメディアリテラシーについて考える
東京都知事選挙を明日に控える渋谷駅、ハチ公横ではドクター・中松氏が雪の中有権者に、自身の研究成果を利用しエネルギーの具体的な活用が急務であると、災害や環境問題から都民を守るため「理系知事」の必要性を訴えました。
◆報道と現実、候補者ごとの温度差
中松氏の街頭演説は、報道陣や関係者を含めて常時15人程度、と淋しいものでした。雪の中であることを考慮してもかなりの人通りがあり、すぐ近くの喫煙コーナーには人が群がっていました。「あっ、ドクターだ!」と声を上げて近寄って来る若者も、ケータイで写真を撮るとすぐに立ち去ってしまいます。これでは政策や熱意を判断するための材料すら伝わりません。名前だけが有名になっても、付随する印象次第で人々は内容を聞くかどうかを判断してしまっているのかも知れません。メディアがこれだけ国民の注目を煽っている都知事選挙前日の一幕とはにわかに信じがたい光景でした。
◆メディアの印象操作
一部大手メディアの報道がフェアではない、とネットを中心に問題視されています。先日、銀座での細川氏の街頭演説に約2万人の聴衆が集まっていましたが、あたかも桝添氏の街頭演説であるかのごとく報道されたことが話題になりました。噂されている一定の候補者に有利な報道規制などの存在は、一般の有権者には真偽が分かりません。ただ、そういう可能性があることを前提に考える必要があるのではないでしょうか。
当然ながら、テレビや新聞等の報道は編集されています。特に、客観的事実というのは編集がしやすいものです。たとえば、10人にインタビューして8人がAを選んだとしても、そちらを報道せずに残りの2人を報道することは嘘というわけではありません。選挙に限らず、メディアを介して二次的な情報に触れる際は、フラットで公平であるかどうか、偏っている可能性がないかを自問しつつ判断することが必要です。
◆本当に各候補者の主張を知っているのか
メディアを介した情報で良くない印象を持ってしまうと、その先の情報を知ろうという興味が生じにくくなります。中松氏というと、ジャンピングシューズで跳ねていたり、豪邸に住んでいたりという情報が先に立ってしまい、おもしろおかしく受け取られるような報道が多い中、掲げている政策に関しては殆ど知られていないのではないでしょうか。中松氏に限らず、センセーショナルな話題性が完全に先行している候補者も見受けられます。有権者がそれぞれの候補者の意見をしっかり聞いた上で判断出来ているかを自問し、そのためにメディアに何を求めるのかを明確にすることで、ようやく有権者と大手メディアに民主主義的自覚が生じるのではないでしょうか。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)
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