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フィリピン地震から1ヶ月、その被害状況と減災について考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
塔が崩落したフィリピン最古の教会サントニーニョ教会。

現在台風の被害が報じられているフィリピンは、立て続けに天災に見舞われています。ちょうど一ヶ月前になる10月15日9時13分頃、フィリピン付近を震源とするM7.2の地震があり、歴史的建造物の幾つかが甚大な被害を受けました。台風直前の史跡の被害状況と、その復興めども立たないうちの今回の台風にフィリピンの人々はどう対応しているのか、取材しました。

◆地震によるサントニーニョ教会とサンペドロ要塞の被害

崩落した塔の上部。珊瑚石で作られている。
崩落した塔の上部。珊瑚石で作られている。

フィリピン最古の教会サントニーニョ教会(Santo Nio Curch)はこの地震で崩れ、現在立ち入り禁止になっています。しかし地震後、台風被害の直前も教会は人々で賑わい、周囲のマーケットやファストフード店も盛況でした。この教会には、同盟を記念してマゼランからセブ初のキリスト教信者となった王族に贈られたというサントニーニョ像がまつられています。サントニーニョとは幼きイエスのことで、折々に作られ纏っていた小さな衣装の数々や、子供であるが故に参拝客に供えられた多くのおもちゃが併設のミュージアムに展示されています。ミュージアムの案内係にお話を伺ったところ、地震の影響について「地震の前は外国人客が1日150人ほど来ていたが、地震後は20人ほどに減ってしまった」といいます、また「地震についてはよく分からない。フィリピン人達は今も地震を怖がっている」「修復には最低でも1年はかかるだろうが、ここはシヌログ祭の中心地だし、観光客が来ないと困るので早く直して欲しい」と困惑しつつも笑顔で応じてくれました。シヌログ祭というのはこのサントニーニョを記念して毎年1月の第三週に開催される踊りの祭りです。

立ち入り禁止になっているサンペドロ要塞の上部。取材時作業員はたった一人だった。
立ち入り禁止になっているサンペドロ要塞の上部。取材時作業員はたった一人だった。

1700年代統治下で海賊から町を守るために珊瑚石で作られ、太平洋戦争時には日本兵の捕虜収容施設として使用されたセブ島のサンペドロ要塞(Fort San Pedro)は、要塞上部が崩れ、立ち入り禁止のテープが道をふさいでいました。それでも一応営業中で入場料を払って中に入ると、元々保守もしていないらしく地震とは関係なく雨漏りなどで展示がボロボロの状態でした。守衛さんに訪ねてみたところ、修復にどれくらいかかるか調査中で、その調査に1年ほどかかるとのことでした。気の長い話な気もしますが、そもそもこの壁を作るのに700年かかっているという話もあり、のんきに構えているようでした。

◆知らないことの恐怖から被災の先の支援へ

先の教会案内係氏の話でもありましたが、地震がどういうものなのかあまり認識されていないのだと考えられます。フィリピンで地震について取材したジャーナリスト市川亮氏によれば、被災して営業停止になったホテルのオーナー氏は「テレビでしか見たことがないような地震の被害に合い、困惑している。こういうときに誰に、どのように助けを求めたりとか、何を一番始めにどうすればいいのかとか、本当に何もかもが初めて過ぎて分からない」と。また、2012年の2月のネグロス島沖地震では現地の人が「揺れた瞬間は大きな爆発が連続して何処かで起きたのかと思った。地震なんて考え自体がなかった」と話されていたとのことです。

津波どころか、地震自体について何も知らない人が多かったようです。災害は起こってから支援をするのものだという先入観がありますが、減災の観点から災害について知識が少ない国や地域を探し、災害の知識や経験をシェアするという活動がもっと増えても良いのかも知れません。

◆災害をきっかけに考え、改善すること

そんな中で起きた台風による災害ですが、現地の英語学校を経営する先生に話を伺ったところ、レイテ島などの被害が深刻で、「親戚がレイテ島いるので帰った先生と連絡が取れなくなってしまった。携帯はつながらないようだ」とのことでした。病院などもちゃんと機能しておらず、薬不足が続いているようです。商品の不足や急激な値上げが原因で略奪などの事件も起きているようです。日本語で得られる情報が少なく心配な状況が続いていますが、「台風自体はみなとても怖がっているが、一人で過ごすことが多い日本人と違い、フィリピン人はいつも誰かと一緒に過ごしているから、そういう意味での恐怖感は少ない」と話して下さいました。

それはとても心強い環境のようにも思えますが、開放的で、人々が繋がっているからこその油断もあったのかも知れません。災害が起こった際に出来ることはボランティアや募金だけではありません。現地でも離れた土地でも、多くの人が減災のために出来ることを真剣に考え、少しでも行動や習慣を改善していくことが大事なのではないでしょうか? 一刻も早く被害が治まることを願います。 (矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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