Yahoo!ニュース

タブーを作っているのは誰か?―禁止用語とテーマについて考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

障害者スポーツなどを取材していると、「それはちょっと掲載出来ません」という返事を戴くことがよくあります。パラリンピックでの金メダルなど華やかなものは多少扱われますが、いつまでもリアルな部分が報道されず諦めてしまっている関係者も多いようです。理由はだいたい2つの内のどちらかで「読者のニーズに合っていない」あるいは「メディア的に扱いにくいテーマだから」というものです。確かにマスメディアは受け手が欲しがる情報やコンテンツを発信することで成り立っています。ですから「伝える意義があるから伝えるべきだ」という正論が通らないことがあるのは理解出来ます。しかし「扱いにくいテーマだから」という曖昧な壁のようなものに阻まれて発信されない情報があることに問題は無いでしょうか?

◆いつの間にか出来てしまったルール

以前あるFM局で番組コーナーを担当していたときのことです。放送終了後「大変です、今日の放送について局長が怒っているので始末書を書いて貰えませんか?」という連絡が入りました。僕は問題のありそうなことを言った覚えがなかったので理由を聞いてみると、「番組の中で“丸大豆醤油”って仰ったじゃないですか。それを局長が聞いていて具体的な商品名を出すのはNGだって感じになってるんです」とのことでした。

僕は唖然として、“丸大豆醤油”というのは商品名ではなくて製造法による醤油の種類だと説明したのですが「いや、もしかしたらそうかも知れませんが、とりあえず謝った方が良いのでお願いします」の一点張りで、それは謝るわけにはいかないから直接説明させて欲しい、とお願いしたのですが、結局うやむやにされてしまいました。

同じ放送局で、もう一つ記憶に残っているエピソードがあります。生放送に出演させて頂いた際に、リスナーの方からFAXを戴いたんですね。僕はとてもありがたく思い、そのFAXを記念に戴きたいと申し出たのですが、「個人情報保護の観点からそれは出来ません」と言うんですね。すでに放送中見ているにもかかわらずです。では、個人情報の部分は切り取ってしまって構わないと言いましたが取り合って頂けませんでした。理由は前例がないからとのことでした。

◆理由無き禁止

「タブー」というのは「理由は分からないが禁止されている空気」というような意味があります。つまり、一般的な判断や法的な判断ではなく、誰かが勝手に思い込みや憶測で始めたことが定着して広く波及し、また似たようなケースが共鳴した結果、社会的な暗黙のルールになってしまったケースが多いのではないかと思います。

そもそも放送禁止用語というのも明確な基準があるわけではなくて、「クレームが来ると面倒だから」という理由で自主規制しているだけです。もちろんスポンサーに配慮することや、差別語を悪意を持って使うことなどは避けるべきだと思いますが、「片手落ち」などの言葉のように本来は「片・手落ち」という公平な判断をしていない状況を指す言葉を「片手・落ち」のように差別的な意味を連想させるというネガティヴな解釈をしだすとキリがないですし、それこそ表現が片手落ちになってしまいます。とはいえ、その言葉で本当に傷つく人が居る可能性もあります。

また、使っている言葉は問題ないのに、主張していることは差別的であったりするケースもありますから、文脈で判断することも大事です。

◆自覚と覚悟をもって発信する

「障害者」という言葉を「障がい者」「障碍者」という風に書き換えるメディアも多くなってきました。「子供」を「子ども」と書くべきだと主張する教育者も散見します。しかし、どの言葉を使うかではなく、どういうつもりなのか、どのように受け取られるかを意識すること自体が大事なのだと思います。

放送禁止用語的なタブーは、インターネットの普及によってマスメディアだけの問題ではなくなってきました。誰もが自分の発したメッセージが、価値観の違うかもしれない未知の誰かに届く可能性があるわけです。

結局のところ伝えようとするテーマや主張に悪意がないことはもちろん、受け手がどんな言葉で傷つく可能性があるかを想像することが大事で、言い換えられる他の言葉はないかを吟味し、その上で覚悟を持って言葉を使おうという自覚が、現代のあらゆるコミュニケーションにおいて必要なのではないでしょうか? (矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

矢萩邦彦の最近の記事