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「上島も喜んでおります」――『紅白』で歌った有吉弘行と上島竜兵の絆「だって一番カッコいいんだから」

てれびのスキマライター。テレビっ子
「ショートショート・フィルムフェスティバル&アジア2016」での上島竜兵(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

2022年大晦日に放送された『紅白歌合戦』(NHK)では、純烈×ダチョウ倶楽部のコラボに有吉弘行が参加し「白い雲のように」を歌った。

歌う前、なぜ今回出ることになったのかを聞かれ、同曲をリリースした25年前には『紅白』に出れず「こんなチャンスを逃すわけにはいかない」と語った有吉だが、2022年5月11日に上島竜兵が亡くなったという悲しい出来事がなければ、きっと有吉が出ることはなかっただろう。

歌った後、「有吉さん、ステージからのペンライトが星のように綺麗でしたけれども、そちらからの景色いかがでしたでしょうか」と櫻井翔に聞かれ、「上島も喜んでおります」と笑った。

「竜兵会」という拠り所

よく知られているように上島竜兵と有吉弘行の関係は深く強い。

「吉本に入って立派な漫才師になるのが夢だった」(『ナツメのオミミ』2012年9月8日)という有吉は、オール巨人の弟子になったが、半年余りで弟子失格を言い渡された。「次は立派なコント師になろうと思った」(同前)ところ『電波少年』のヒッチハイク企画に参加することになったことで、猿岩石はコント師としてではなくアイドル的な存在として認知されてしまう。開き直って「立派なタレントになろうと思ったら2年で出れなくなった」(同前)。

よく猿岩石で大ブレイクして人気が凋落した有吉を「天国と地獄」などと評されることが多い。だが、違う。有吉はまったく肌の合わない巨人の弟子時代に地獄を味わい、『電波少年』で地獄のように過酷な旅をし、「猿岩石ブーム」でも自分の中にまったくない「感動」要素を強いられる地獄に否応なく巻き込まれた。そして一方的に「つまらない」という烙印で何をやっても芸人としての仕事につながらない地獄でもがいていた。

有吉と猿岩石に「天国」なんてなかった。ずっと違う種類の「地獄」ばかりを見ていたのだ。

そんな地獄の中にいた有吉の数少ない拠り所になっていたのが、「竜兵会」だった。

「竜兵会」結成はダチョウ倶楽部の上島竜兵が吉本興業などのように後輩が先輩に悩みを相談したいと思っているという話を聞きつけて、後輩たちを集めて飲み始めたのがきっかけだった。だが、1時間もしないうちに上島本人がベロンベロンに酔い「俺はこれからどうしたらいいんだろう」と泣きながら後輩たちに相談を始めてしまったという。

そのメンバーは後に「太陽さま」と呼ばれる上島竜兵、肥後克広、土田晃之、デンジャラス、インスタントジョンソン、劇団ひとり、ヤマザキモータース、そして有吉弘行ら。

上島と肥後は中でも有吉を寵愛した。ほとんど毎日、多い時は10日連続で飲みに誘った。

「(竜兵会は)みんなにとってはただの飲み会なんですけど、僕にとってはちょっと特別なもので。そこがなかったら、もうとっくに芸能界辞めてると思います」

(『m9』Vol.3)

収入がほとんどなかった有吉は彼らに芸人を辞めようかという相談もしているが、どうしても家賃や生活費が払えなくなったらみんなでカンパしてやるからと引き止められギリギリ辞めずに踏みとどまった。

そしてこの頃から居酒屋で一緒に飲んでいる人にあだ名をつけていた。

「そんなことをしているうちに、何となく地肩が強くなったのかもしれませんね」

(『m9』Vol.3)

ダチョウ倶楽部や土田晃之、劇団ひとり……。テレビで活躍する芸人たちと間近に接することができたのも大きな利点だった。

「そこで何となく加減がわかってくるんです。ああ、これぐらいやればいいのか、とか。そこで技術を教えてもらったというのは大きいですね。ああ、これぐらいの悪口を言ったら芸人でもひくんだな、とか(笑)。昔は本当にどぎついとこがあったんで」

(『m9』Vol.3)

実際に竜兵会の噂を聞きつけて、雑誌『笑芸人』の企画でその様子を見ようと“潜入取材”に入った高田文夫は、有吉が再ブレイクを果たす数年前の2005年にいち早くその才気を見出し高く評価している。

「中でも土田と有吉のツッコミは的確で、爆笑させられたことを報告。有吉のおもしろさを再確認。ひょっとしたらもうひと山、有吉が来るかもしれない」(『笑味期限はいつ切れる?―高田文夫の笑芸ノート』)と予言していた。

リアクション芸の極意

「当時の明確なビジョンとしては上島さんみたいなリアクション芸人になるっていうのがあった」(『ロンドンハーツ』2013年11月19日)と言うように『内村プロデュース』(テレビ朝日)での「猫男爵」の成功を受けて、有吉は「リアクション芸人」を目指した。

リアクションの現場で、やはり上島竜兵は凄かった。

「上島さんやダチョウさんばっかりと仕事していた時期があったんですよ。ホント、スゴいんですよ、リアクションの現場において。それでカッコいいなって」

(『アメトーーク!』2013年11月21日)

上島は「俺にとって、“笑わせる”とか“笑われる”とかは関係ないこと。“笑い”があったらOKなんですよ」(『これが俺の芸風だ!!―上島竜兵伝記&写真集!!』)と言う。

リアクションで大切なのは最後のひと言だ。

「例えば、裸になってたけしさんにどんなことを言うのか。そのひと言が面白ければそこでポンと終わるし、リアクション自体はそれほど大したことなくても、そのひと言でポンとハマったら面白く見える。だから、俺の中で最後のひと言には結構こだわる。これが、なかなか出てこないんだけど。考えて言うより、意外と素で思った事がポンと出たほうがよかったりね。“訴えてやる”なんかもそうやって出た言葉だから」

(『これが俺の芸風だ!!―上島竜兵伝記&写真集!!』)

上島がやればすべてが「笑い」に変わる。ウケればもちろん爆笑が待っているし、面白くないことが面白くなる。失笑も大きくなればそれは笑いだ。上島竜兵の心から出た最後のひと言とその時の可愛げな表情に見る側は笑うしかないのだ。

「みんながドンズベリの状況でも、最後あの人に任せてしまえば、スベるにしろウケるにしろ、それで大団円を迎えられる」(『m9』Vol.3)と有吉は上島に絶大な信頼を寄せていた。

仕事ないとき世話になってて上島さんみたいな芸人になりたいなって思って」

(『アナザースカイ』2012年7月28日)

狩野「有吉さんが飲む時に言ってくれるのは『竜兵さんとか出川さんとかイジられてとかリアクションする芸人に俺もなりたかったんだよ』って」

有吉「それはそうよ。だって一番カッコいいんだから、この人たちが」

(『THE夜会』2021年5月27日)

今では体を張る仕事はほとんどなくなった有吉。だが、有吉のトーク術や番組での立ち振る舞いは上島から教わった「リアクション芸」のノウハウがふんだんに使われている。

たとえば、最後のひと言、つまりとどめを刺すことを忘れない。

やっぱり大事なのはとどめを刺すことだからね。のらりくらりやってとどめだけバシッと刺さないといけないから」

(『怒り新党』2013年8月28日)

さらにその後は、上島が最後に可愛げのある表情で笑いを誘うように、必ず「笑顔」を見せるのだ。有吉は自らの武器を「毒舌と笑顔のバランス」(『キカナイト』2012年8月24日)と言う。

今でも有吉はリアクション芸人の心と技を受け継いでいるのだ。

「我々はファンだから」

上島は生前、自分の葬式についてこんな風に理想を語っていた。

俺の葬式はみんなで笑えばいいんだよ。わーって宴会すればいいんだよ。一番楽しいもん。俺は、顔ひげで豆しぼりの格好で棺桶に入って、みんなで担ぎ出される時に一回落とす。リアクションないから、次におでんを食べさせたりね。『熱い熱い』ってリアクションがないから、やっとみんなが“竜ちゃんが死んだんだ”って分かったり(笑)。俺の葬式はこんな風にやってほしいよ」

(『これが俺の芸風だ!!―上島竜兵伝記&写真集!!』)

その上島の葬式についてのエピソードを真っ先にテレビで語ったのも有吉だった。彼の葬式で「松村(邦洋)さんがお焼香の回数がわからないって葬式中みんなに聞いてるの」「お坊さんのお経をずっとマネたり(略)みんな泣いてるのに(松村は)お坊さんに夢中なの」(『かりそめ天国』2022年6月3日)などと笑い話に昇華したのだ。

早くから「竜兵会」に注目し、長年にわたりダチョウ倶楽部を重用してきた『アメトーーク!』(テレビ朝日)は、上島の死後、ゴールデン2時間SPで「ダチョウ倶楽部を考えよう」という企画を放送した。もちろん有吉も出演し、彼らの名場面を観ながら「我々はファンだから1時間でも見てられる」としみじみ語っていた。

また有吉は同番組の「上島竜兵祝還暦SP」(2021年8月19日)にも出演し、「先輩と友達の微妙な感じなんですよ。親友なような感じもするし尊敬する先輩だとも思ってる」とその関係性を語っていた。数少ない「怒りスイッチ」も「僕の場合、上島さん」と答えている。「一緒にご飯食べてる時に上島さんの事をバカにされると入っちゃうの」(『かりそめ天国』2020年12月18日)と。

『アメトーーク』の「竜兵会」企画でテレビの露出が増え、同番組でのいわゆる「おしゃクソ事変」に繋がり再ブレイクを果たした有吉は、2022年、全曜日のゴールデン・プライム帯で冠番組を持つ偉業を成し遂げた。その功績を称えられ、2022年の「アメトーーク大賞」が贈られた。

「今年ちょっとやっぱり、出川さんも、みなさんもアレなんですけど、なかなかツラいことが、ありましたんで…。ちょっとねぇ、あのー、なんか、なかなかちょっと引きずってて…。まぁちょっと、思うところいろいろあったんですけども……」

涙を堪えるような表情で受賞のコメントをする有吉。

「そういうなかなかツラい思いも吹っ切って、2023年も、皆さんの協力もいただきながら、頑張っていきたいと思います」という感動的なスピーチを「あのー、何より、天国の、ジモンさんに感謝したいと思います」と上島の教えどおり、最後の一言でオトして締めて笑顔を見せた。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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