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「めっちゃええやん」芸人はどうやって観客を自分の世界に引き込むのか

てれびのスキマライター。テレビっ子
お笑いコンビ「キュウ」のぴろ(左)と清水誠(右) (写真提供:タイタン)

【シリーズ・令和時代を闘う芸人(1)】

個性的で注目の若手芸人を紹介するシリーズ連載。第1回となる今回はタイタン所属の漫才コンビ「キュウ」。

ボケのぴろがおかしな提案をしていくのに対し、清水誠が目を見開いて「めっちゃええやん」と肯定していく独特の間を使った漫才が彼らの代名詞となっている。

「伝説のキュウ」

「“生”キュウはハンパじゃなかった」

「あの日のキュウ、面白すぎた」

ハライチの岩井勇気は、19年8月24日に行われたライブ「仁義なきネタライブ~有楽町死闘篇~」を振り返ってそう語った(『ハライチのターン』19年8月29日)。

このライブはTBSラジオの24時台にレギュラーを持つアルコ&ピース、うしろシティ、ハライチの通称「24時台三兄弟」と彼らがそれぞれ推薦した3組によるネタライブ。他の2組は宮下草薙、トム・ブラウンを、ハライチが推薦したのがキュウだった。岩井は、2018年の『M-1グランプリ』準々決勝でのキュウの漫才を見て以来、彼らのことを強く推していたのだ。

率直に言って、他の出演者と比べ知名度が一段劣るキュウ。

しかし、このライブでキュウは爆笑を起こし、大きなインパクトを与えた。

澤部佑も「神がかってたね」と絶賛。

「伝説のキュウだった」と締めくくった。

ぴろ: 結構ウケて良かったですね。岩井さんにも喜んでもらいました。その日の打ち上げで初めて一緒に呑ませていただいて。

清水: それ以降、プライベートの付き合いはないんですけど(笑)。「俺と呑んだからって売れるわけじゃないよ」っていう感じの方なので。

ぴろ: それでも、今年『M-1』の3回戦で僕らが落ちたときも、わざわざラジオでイジってくれたのも嬉しかったです。

清水: スピードワゴンの小沢さんからもメールをいただいて。

ぴろ: 「面白かったよ」とわざわざ送ってきてくれていて、「ありがとうございます。でも、こういうことが反省点ですかね」と返信したら「俺は今のままでも好きだけどね」って。それですぐ呑みに行かせてもらって、詳しく褒めてもらって(笑)。とろサーモンの久保田さんにも親身になってアドバイスをいただいたり。ネタを評価されてなければ、絶対に知り合えないような人に、ネタをがんばっていれば会えて面白いって言ってもらえる。すごくいい世界だなって最近実感しますね。

清水とぴろは、所属していた事務所・ソニー(SMA)の先輩・後輩として出会った。

それぞれ別のコンビを組んでいた2人は、同じ愛知県出身だったこともあり急速に仲良くなった。まだ賞レースだった頃の『THE MANZAI』の名古屋予選を一緒に受けに行った際、清水はその結果次第で解散を考えているとぴろに伝えた。ぴろの相方も辞めそうな雰囲気だったため、もしそうなった場合、一緒にやろうというメッセージだった。清水は予選に敗れ解散したが、ぴろのコンビはその後、1年ほど続き、単独ライブを行うことになった。

そのとき、思わぬ事態が発生する。

単独ライブのわずか1週間前に相方が「飛んだ」のだ。

ライブ直前に相方がいなくなってしまったぴろは急遽、 芸人仲間たちに声をかけたくさんの芸人が出演する「ぴろのぴっぴろぴっぴっぴー」を開催。そこで初めて2人はユニットとしてネタを行った。

ぴろ: どっちもボケてどっちもツッコむようなネタだったから、どっちもツッコまない今のスタイルとは全然違いましたね。だから、これからずっとやっていこうみないな感じではなく、本当に遊びみたいな感じ。ただただ楽しみながらつくったネタでしたね。だけど、それを見た先輩が、バランスがすごくいいって言ってくれたんです。声質もケンカしないから、2人が同時にしゃべっていても両方とも何を言っているか聞こえると。それで正式に組んでみようと。

コンビ名は「Mr.Children」のアルバム「Q」から。ぴろ「最高傑作とも問題作とも言われている アルバム。そういう賛否両論の危ういコンビになりたいなと。あと、略されるコンビ名が嫌だった」
コンビ名は「Mr.Children」のアルバム「Q」から。ぴろ「最高傑作とも問題作とも言われている アルバム。そういう賛否両論の危ういコンビになりたいなと。あと、略されるコンビ名が嫌だった」

売れ急いで解散

もともとぴろは、漫画家を目指し持ち込みなども行っていたが、25歳のときにお笑い芸人を目指し、大学の友人とコンビを組み上京した。

ぴろ: お金ももったいないし、習うことでもないような気がして養成所に行くのが嫌で、すぐに舞台に立ちたいと思っていたのでソニーがいいなって思っていたんです。そしたらその年の『R-1ぐらんぷり』で決勝に行ったAMEMIYAさんやキャプテン渡辺さんが所属しているってことも知って、お二人が好きだったんでなおさらここしかないって。

1年目で日テレの『ものまねグランプリ』のオーディションにたまたま受かったんですよ。コブクロの黒田さんの歌マネで3回くらい出ました。あの番組ってオーディションのハードルも高いんですけど、受かってからもすごく厳しいんですよ。音楽のプロがやってるから、「ここの音程が」とか、「ここ力入れすぎて」とか歌のダメ出しをされて練習して、しんどかったですね。

一方、清水は大阪NSCの28期生。同期にはアインシュタインの稲田や2019年の『M-1』ファイナリスト・すゑひろがりずらがいた。卒業後、baseよしもとなどのオーディションに参加するが、舞台に立つだけでも狭き門。一旦はお笑い芸人を諦め、役者を志し上京した。

清水: どうしてもお笑いが恋しくなるんです。そんな話を役者の先輩に話したら「俺の同級生がソニーでお笑いやってるよ」と教えてもらったんです。そこで初めて、東京ってそんなにお笑いの事務所があるんだっていうことに気づいて。吉本やと全然舞台に立てないけど、聞くところによればソニーは面接だけで入れて、すぐ毎月の事務所ライブに出られる。それで、もう一回やってみようと思ってソニーに入ったんです。役者の場合、どうやったらのし上がっていけるかまったくわからずやってましたけど、お笑いの場合は『M-1』とかわかりやすい目標があるのがいいなって。

お互い「3年で結果を出す」ことを目標にしていたが、目立った結果を出せぬまま、前述のようにそれぞれがコンビを解散し、2013年5月、「キュウ」(当時は「Q」表記)を結成した。

だが、実は彼らは一度解散している。

ぴろ: (売れるためには) 自分とはこうだとか、そういうのを貫くことはどうでもいいと思っていたので、譲って譲って、いろいろなことをやっていかなきゃなみたいな感じになって、結果、分からなくなっちゃったんです。何が自分たちの魅力なのかも、あまり関係なくいろいろやってしまっていた。だから定まらずにそのまま疲れちゃった感じで。

清水: 解散を言い出す少し前から苦しそうにしてるなって思ってたんです。混乱している感じ。続けていくのがしんどそうだったので、解散も仕方ないねって。

2014年の『THE MANZAI』で敗れ解散。この解散は先輩芸人たちから惜しまれた。

ぴろ: 錦鯉さんが飯に連れて行ってくれて、なんなら怒った口調で解散を止めてくれたり、当時まだまともに喋ったこともなかったキャプテン渡辺さんから「お、ぴろ」って話しかけてもらって。「え、『ぴろ』って呼ぶ? なかなか『ぴろ』って呼べんよ」と思って。

清水: 逆に他の呼び方を知らんよ(笑)。

ぴろ: もちろん事務所の先輩で一緒のライブにも出てたから知ってもらえてるとは思ってましたけど、そんな愛着を持って呼んでもらえるとは思ってなくて。それでキャプテンさんが「いや、もったいないなあ。どっかでいくと思ってたんだけどなあ。もう解散したんだったらしょうがないから、前に進めばいいけどさ」みたいな感じで言ってくれて、「あれ、そんなこと思ってくれてたの?」って。

「売れ急いだ」というぴろは、見るからに「ボケ」という人とコンビを組み、ポップなことをやろうとしたがうまくいかなかった。なにより、自分に合っていないから楽しくない。

一方、清水はピン芸人として活動を続けるも限界を感じ、芸人を辞めようと決意した。そんなとき先輩のロビンフットおぐから「お前と組みたいやつを集めてライブやってみたら」と提案され、半ば思い出づくりのためのライブをすることにした。そこには、現在はにゃんこスターとして活躍しているスーパー3助ら多数の芸人が集まってくれた。だが、そのライブ前日、ぴろからコンビを解散すると伝えられた。

清水: 明日どういうつもりでライブ出たらええんやってなりましたね(笑)。でも、もしそれを聞いてなかったら、舞台上で引退するって言っちゃってたかもしれない。だから改めて組むときは、もう解散するとかはないぞと。もうこれが本当に最後のつもりで組み直しました。ぴろが別の人とコンビを組んだその半年の間に、ぴろは自分の意思とは違うことを思い切りやって、死ぬほどスベってた。だから、半年後に「またやりませんか?」って言ってきたときには、もう吹っ切れたんだろうなって。

ぴろ: そう。だからあの半年は結構、大事だったかもしれない。もうキュウで何とかしようと。キュウを辞めるときに芸人も辞めようと。

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そもそも彼らは子供の頃、どのようなものに影響を受けたのだろうか。

清水: 子供の頃から志村けんさんが好きで『(加トちゃんケンちゃん)ごきげんテレビ』、『(志村けんの)だいじょうぶだぁ』、『(志村けんの)いかがでしょう』……とずっと見て、お笑いが好きになって、『笑う犬』とかもガッツリ見てました。それで『オンバト(爆笑オンエアバトル)』でルート33さんが2年連続で優勝してるのを見て漫才ってカッコいいなと思ってました。

ぴろ: 僕がお笑いってカッコいいなと思ったのは、やっぱり『M-1』。笑い飯さんが初めて決勝に出てきた2002年から見てました。そこから僕の中で『M-1』は笑い飯さんの大会。笑い飯さんを見るためにM-1をリアルタイムで見て。

清水: 当時は『M-1』でしか笑い飯さんは見れなかったもんな。

ぴろ: そう。今年はどんなことをやるんだろうとか思って、必ず面白いし、必ず決勝に出るし、それで毎回何か新しいことをしているし、すごいなと思って。オリジナルの塊だったので、めちゃくちゃカッコよくて。そこでお笑いを好きになりましたね。

清水: 僕も笑い飯さんは大好きで。結構、好きだったものが一緒やなって思います。

ぴろ:  面白いと思うもの、ニュアンス、雰囲気というところがやっぱり似ていないと、僕らは一緒にはできない

清水: 周りがあまり気にも留めないような、例えば誰かがした変な仕草とかが気になってチラッと見ると、ぴろも「そうですよね」みたいな顔をしていたり。なんかそういうのも一緒やったりしますよね。

「めっちゃええやん」の誕生

ネタ作りは、ファミレスや喫茶店などに2人で必ず会って行う。

ぴろ: 一緒にいる空間で、僕が考えているという感じですね。いろいろテーマを出して、清水さんの反応が良かったやつを作るみたいな。こういうときに何かいいボケないですかね、と色々出してもらったりしながら、僕が組み立てる。

清水: 今は何か言っても邪魔やろうなというとき僕はずっと待っていて、という感じですね。

ぴろ: 間とかは、何となく考えている時にそれ込みでネタを作っているので、そういうのを説明しながらネタ合わせをしていきます。絶妙で、微妙な、どっちでもいいと言えばどっちでもいいんじゃないかというようなところまで。アドリブはまったく入れないですね。

清水: 僕らが絶対嫌いなのは、ちょっとスベったからといって「全然ウケへんやん」とか挟むこと。

ぴろ: だったら「全然ウケないじゃん」っていうのもセリフに入れて作っておいてほしい。わざとウケないようにしているとかね。本当に作品感。これはこうと決まったものをどれだけ同じようにできるかみたいなところはある。その日によって何となく反射的に速度を変えたりとかはしますけど。そこはちょっと生な部分ですけど、でもアドリブとかは入れない。ムダになっちゃいます。

清水: そう。これが一番キレイで面白い完成されている形だと思ってやっているので。

ぴろ: もともとネタがゆっくりなので、その分、いかにムダを省くか。ムダのないネタが一番キレイだと思うので。だから余分なアドリブは入れたくない。

清水: 寄席だとか営業だとかに行ったときというのは、最初にネタとは別のツカミのようなものがどうしても必要になってくるんだろうなとは思うんですけど、僕らにグッと興味を引き込ませれば、あとはただネタがちゃんとできるんじゃないかとは思うんです。

ぴろ: 要は、ツカミってウケるかウケないかというよりは、その人に興味を持たせるというか、目を見させる、聞かせる空気にするのが目的。だからわざわざネタと関係ないツカミを入れるとかしなくてもいいはずなんです。理想は、出てきてその空気、しゃべり出しの言葉の雰囲気だけで「なに?」と聞かせることができれば、それがもうツカミになる。だから、どうやって自分の世界に引き込むかはめちゃくちゃ考えますね

清水: 登場の仕方をゆっくり行くとか工夫して。「キュウです、お願いします」からの、ちょっと一拍変に置いてしゃべり出すだとか。

ぴろ: 落語家さんが、最初ボソボソっとしゃべり出したりするのも「何て言っているの?」と聞かせる技術。無駄なことはしゃべっていないけど、いきなり食いつかせるという、集中させるように仕向ける感じは似ているような気がします。僕らなりのネタを見せるための技術を磨けば、みんなと同じことをしなくてもいいんじゃないかって。

コントより漫才のほうが好きなのは、漫才は基本的に道具を使わないで、会話だけというルールがあるから。見た目もスーツであまり情報を与えない。ボケとツッコミがあるという前提が見ている人の中にも先入観としてある。そういうルールが多いほうが破りやすい。破るのが楽しいんです。やりがいというか壊しがい、衝撃の与えがいがあるんです。

代表作「めっちゃええやん」は、一度解散する前にそのフレーズを使ったことが始まりだった。

UFOに連れ去られた話を聞いて「めっちゃええやん」とうらやましがる。銀色の台に寝そべって目が覚めて「めっちゃええやん」、オレンジ色の液体を塗られて、「めっちゃええやん。緑よりええやん」と。いわば「架空のあるあるネタ」。シュール過ぎて、まったくウケなかった。

だが、再結成後、「めっちゃええやん」と言っていること自体は面白いから、それを再利用することにした。ネタ帳を読み返し、マイナーなスポーツの名前をメモしている箇所が目に止まった。その中から「キンボール」という実際にあるスポーツを題材にすることにした。

ぴろ: 「キンボール」をちょっと調べたらツッコミどころ満載なんですよ。

清水: そもそも3チームで入り乱れて戦うっていう(笑)。

ぴろ: マイナースポーツに対し「めっちゃええやん」と言うには、スポーツを始めるという話にしようと。どうせ始めるなら、マイナーなスポーツのほうがトップを取りやすい。「おまえちょっと賢いやん」みたいなね。それなら言っていることは正しい。

清水: それで「めっちゃええやん。全然知らんやん」というのが生まれたんです。

ぴろ: 「全然知らん」という本来あまり良くないことに対して、「めっちゃええやん」と言っている形。「1986年に生まれたスポーツなんだけど」「めっちゃええやん。歴史バカ浅いやん」とか。それができてすぐ2015年の『M-1』の予選があって、1回戦がめちゃくちゃウケたんですよ。それを見たサツマカワRPGが今でも楽屋で「キンボールやりましょうよ」って言ってくる(笑)。

清水: 2回戦もウケて。でも3回戦でめちゃくちゃスベった。初めてのルミネ(theよしもと)で気持ちが負けてた。

ぴろ: 飲まれてた。だから僕らが面白く見せるパフォーマンスができていなかった。もういっぱいいっぱいになっちゃって、やることだけで精いっぱい。ウケるはずもない。それで3回戦で落ちたんですけど、そこでいろいろ学んだのはありました。僕らみたいなネタは、もう飲まれたらおしまいだって。逆に空気を飲んで染め上げないとダメなんだと。

清水: それから4年くらい「めっちゃええやん」のフォーマットを続けましたね。

ぴろ: それまで僕らは、1個のパッケージをそんなシリーズで作ることはあまりなくて、いろいろなシステムとかのネタを作ってたんですけど、「めっちゃええやん」のネタは、周りから「おまえらあのネタは続けたほうがいい」みたいに言われて、そこからどんどん進化させていったんです。それで2018年の『M-1』で準々決勝まで行きました。

清水:  お笑いの世界の中では、僕らの名前をだいぶ押し上げてくれたネタですね。

ぴろ: テレビとかではまだやりたいけど、賞レースではもういいだろうって思って今年はあえて別のネタで勝負しました。

ぴろ「言葉を聞いてもらいたいから、無駄な情報を与えないように衣装も地味すぎない紺色で揃えています」
ぴろ「言葉を聞いてもらいたいから、無駄な情報を与えないように衣装も地味すぎない紺色で揃えています」

タイタンを選んだ理由

「キュウとしては“最短ルート”でいい感じになってきてると思う」とぴろは言う。彼らは、2016年の『M-1』で3回戦敗退したのを機にソニーを退社。約1年間のフリー期間を経て、2017年11月、オフィス北野に所属した。だが、程なくしてビートたけし独立による事務所縮小を受け、2018年9月にタイタンに移籍した。

ぴろ: オフィス北野に入る条件が結構厳しくて。まず2ヶ月に1回の事務所ライブのチャレンジコーナーで3回くらい1位を取らないといけない。それで半年に1回の所属審査会というのを同じライブ内でやるんですけど、お客さん投票で80%以上必要なんです。

清水: ランジャタイでさえ82%とか結構ギリギリだったんですけど、僕ら、史上初の100%取ったんです。

ぴろ: マネージャーも引いてた(笑)。

清水: 当時は、ランジャタイ、馬鹿よ貴方は、キュウと、漫才がすごく強い事務所になるぞって歓迎されましたね。

ぴろ: でも、1年かけて入ったのに半年後には抜けざるを得なくなって(苦笑)。

清水: 北野を辞めることになったときにマネージャーから「1社、どこかに推薦状を送ることができるよ」と言われて。「ただ、送るけどそれで所属できるわけじゃないからね」と念は押されましたけど。もともと北野とタイタンで揺れていたこともあったんで、タイタンでお願いして。いきなり所属にはできないからと「TITAN LIVE Rhea」という事務所ライブのネタ見せに呼ばれたんですけど落とされてしまったんです。

ぴろ: そこから1ヶ月くらい音沙汰がなくて、僕らの中ではもうないなと思っていたら、チーフマネージャーから連絡があって、所属させてもらえると。

清水: ドッキリだと思ってましたね、本当に。僕らをドッキリにハメて、誰がその番組を見るんだという話なんですけど(笑)。

ぴろ: タイタンを選んだのは、やっぱり北野同様、所属している組数も少ないからチャンスが多いだろうし、会社の中でお互いに知らない人がいないという環境がいいと思ったんです。

清水: 北野とタイタンって共通してるところが多いんです。上にビートたけしさんや爆笑問題さんというビッグネームがいるとか。単純に僕なんかは結構ミーハーなので、憧れももちろんありましたし。あと大きいのは、どちらも社員さんが芸人をちゃんと尊敬してくれている。もう本当に奴隷みたいな扱いを受けているところもあるみたいなので。

ぴろ: めちゃくちゃ尊重してくれる。あとは、入る時に「単独ライブをやっていきたいんですけど」って一応確認したら「そういうのは是非やってほしい」って言ってもらえたからタイタンに入ろうと。

実際、キュウは2018年以降、年2回単独ライブを開催している。先の12月23日には座・高円寺2での第四回単独公演『猿の話~風は吹かぬが桶屋も儲かる~』を成功させた。

また、2020年4月10日には2人の地元・愛知県の名古屋・昭和文化小劇場でもこのライブが開催されることが決まっている。

ぴろ: ライブは絶対続けていきたいですね。最終的には単独公演で全国の会場を満員にしたいです。三谷幸喜さんとかすごい人に見に来てもらえるような評価が欲しい。テレビにも出たいですけどバラエティのひな壇とかはちょっと嫌かな。『情熱大陸』とか『プロフェッショナル』とかに出たい(笑)。

清水: 文化人やん。僕はがんがんバラエティ志向ですね。ライブももちろんやりつつ、“ザ・芸人”みたいなことをやりたくてこの世界に入ってきたので、『バカ殿』に出て墨汁をぶっかけられたりしたいですね。やっぱり大きな夢は自分らの番組を持つことですね。

ぴろ: Eテレとかね(笑)。

清水: なんで、教育番組?

ぴろ: 普通に旅番組とかもしたいね。

清水: 海外ロケには行きたい。あまり公言してないけど旅行が好きなんです。行けてないから趣味とはいえないんですけど。

ぴろ: さまぁ~ずさんとか有吉(弘行)さんがハワイとか行ってるの楽しそうだもんな。普通の芸能人が行っている映像とはちょっと違う、ランクが上の楽しさを感じる。

清水: ああいうのに憧れてこの世界に入ってきてるからね。

ぴろ: 芸人になって良かったって思いますよ。だって普通の仕事はできないですもん。大学のときから言われてました(笑)。だからまずどこかで花開かないと。今はそれをたぐり寄せる感じの活動ですね。

清水: 僕は普通のバイトも社員に誘われるくらい頑張るんですよ。お金稼ぎが趣味だから(笑)。でも、お笑いって一番思いどおりに行かなくて難しい仕事。だからやりがいがあって真剣に向き合えるんだと思いますね。

フライヤーやグッズなどのデザインもぴろが手掛けている
フライヤーやグッズなどのデザインもぴろが手掛けている

2020年4月10日(金)に開催される、キュウ第四回単独公演@名古屋『猿の話~風は吹かぬが桶屋も儲かる~』のチケット一般発売は1月18日(土)より。

詳細はこちら 

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■キュウ

2013年5月結成。タイタン所属。http://www.titan-net.co.jp/talent/q/

清水誠(@pentachansp):ツッコミ担当。1984年生まれ。愛知県出身。大阪NSC28期生。

ぴろ(@piroguramu):ボケ担当。1986年生まれ。愛知県出身。

(取材・文)てれびのスキマ (編集・撮影)大森あキ 

(取材日)2019年12月中旬

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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