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アギーレが語る日本代表のワールドカップと、あるJクラブからのオファー

豊福晋ライター
アギーレが高く評価した柴崎岳は3年後に日本の中心となった(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 元日本代表監督のハビエル・アギーレはモスクワにいた。

 今回のワールドカップはTV解説者として、母国メキシコを中心に現場で試合を見ている。

 気になったのはメキシコの戦いと、かつて代表監督を務めた日本のことだという。

 日本の試合は欠かさずにチェックした。生で試合を見られない時も録画とハイライトで確認した。3年前の春、日本代表監督を解任された後から、ずっとそうしてきたように。

 ワールドカップについて話を振ると、アギーレは嬉しそうに語り始めた。

「日本にはおめでとうと伝えたい。大会前の予想を覆し、日本はベスト16入りを果たした。西野監督はあの短期間で素晴らしい仕事をしたと思う。日本人が喜んでいる姿を想像すると嬉しくなるものだ。当時私が率いた代表選手がこのチームに大勢いたのも、個人的な喜びのひとつだね。ピッチに立っていた選手の9人が私と戦った選手たちだった。この3年で彼らが順調に成長してくれたことを嬉しく思う。私の誇りだし、この日本代表は私の一部だとも感じている」

アギーレ世代が見せた急成長

 今大会の代表メンバーを見てみると、たしかにアギーレ時代の選手が軸になっている。

 ザッケローニ時代のベースだった香川、長谷部、長友、本田、吉田、川島らはもちろんのこと、柴崎や昌子、武藤らアギーレが初招集した当時の若手が成長し、現代表で躍動した。

 日本の4試合を見て、アギーレは彼らの逞しさを感じたという。

「柴崎は素晴らしかった。昔からセンスは抜きん出ていたが、今大会では攻守の中心にまで成長していた。スペインに移籍して経験を積んだことが大きかったのだろう。コロンビア戦の長友へのロングパスと、ベルギー戦のスルーパスはパーフェクトなパスだった。今ではボール奪取の場面で激しさも身についた。まちがいなく、さらに伸びていく選手だ。そして昌子。世界屈指のFWを抑えられるまでに成長した。ファルカオやルカクを前に、多くの局面では勝っていたくらいだ」

 大会を通じて見せた日本のスタイルは、アギーレがやりたかったものにも近かったという。

「どの相手にも恐れることなくボールをつなぎ、局面で激しく戦うこともできていた。魅力的な試合をしてくれたのは見事だった。攻撃では、乾には驚いたね。個人的に好きな選手でアジアカップでも先発起用したのだが、さらに武器が増え、怖さが増した。得点力が上がり、彼の左サイドからの仕掛け、隣の香川との連携は日本の最大の武器だった」

昌子に伝えたいこと

 世界で日本の戦いぶりが評価されている。

 ロシアを歩いていても、サッカーファンは必ずと言っていいほど日本の戦いをねぎらってくる。ベルギー戦のインパクトはそれほどに大きかった。

 しかし忘れてはならないのは、2002年、2010年、そして2018年も超えられなかった壁が、確かにそこにあるということだ。ロシアでの日本には、何が足りなかったのか。

 様々な議論がある。ベルギー戦の最後のCKの場面のリスク管理。高さという脅威に対する対処策の欠如。

 アギーレは指摘する。

「必要なのは何かひとつではない。すべての面を少しずつ上げることだ。ベルギー戦の最後の失点は防ぐ事ができたし、高さの問題は今に始まった事ではない。まずは全員が欧州の厳しい環境で個のレベルを上げていくことだ。だから昌子には言いたい。早く海外に行くべきだ、とね。数年前、スペインのあるクラブに聞かれたことがあった。“即戦力の日本人を教えてくれ”と。私は柴崎、武藤、昌子の名をあげた。彼にはその能力があるんだ。欧州では今大会で感じたようなことを日常として体験できる。それこそが、日本代表の進歩に繋がる」

 そう話すと、彼はひと息ついて言った。

「ただ、ベスト8というものは簡単なものじゃない」

 まあ焦るな、そう言い聞かせるように。

「メキシコも、ずっとこのベスト8の壁に悩まされている。日本がワールドカップに出たこともなかった1994年からだ。そして残念ながら今大会もベスト8には手が届かなかった。急ぎすぎず、少しずつ歩んでいくしかないんだ。ただ、日本に関しては少し気になることがある。それが日本サッカー協会の監督に対する姿勢だ。3年前に私は解任され、ハリルホジッチ監督も大会直前に解任された。彼は素晴らしい仕事をしていたのに、だ。日本が本気でベスト8を目指すのであれば継続性は必須になる。監督を信頼し、チームと歩んでいく4年間。その時間の積み重ねが、勝負の究極の場面における重要な要素になると私は考えている。日本は素晴らしい道の途上にいる。ぜひ、次の代表監督は中途半端な形で解任するのではなく、4年間を全うさせてほしい」

横浜Fマリノスのオファーといつかの日本での指揮

 アギーレが日本を去り、早くも3年以上が経った。

 1年に満たない日本滞在だったが、家族ともども日本という国に魅せられたそうだ。東京に住んだ記憶は今も鮮やかに残っている。日本で見たもの、食べたもの、人とのふれあいを話すとき、その強面はいつも柔らかになる。「次はゆっくりと地方も旅してみたい」と願っている。

 この1年はパリに居を構えて過ごした。いつかパリに住まわせてあげるという、ずいぶん昔にかわした夫人との約束だった。

 フランスの生活を楽しみ、英気を養った彼は、新シーズンは現場に戻ることを考えている。

 ふと思った。いつか彼が日本で指揮をとることはあるのだろうか。

 もちろんだ、とアギーレは言う。

「去年のことだが、横浜Fマリノスから監督就任の話があった。興味深いものだったし、彼らには心から感謝している。ただ、私はその頃UAEでの仕事が終わり、1年間休むことをすでに決めていたんだ。残念ながら断らせてもらったが、Jリーグで指揮をとりたいという気持ちは今もある。家族も日本という国が好きになったし、より深く知りたいとも思う。タイミングが合えば、いつか日本に戻って仕事をしたい」

 ロシアの地でワールドカップを戦ったのは、アギーレ、ハリルホジッチ、そして西野という3人の手で作りあげた代表チームだ。

 ベンチにその姿はない。しかしそこには前任者たちが残していったもの、その影が確かにあった。

 引き継いだ遺産を西野監督が絶妙なバランス感覚で仕上げ、日本はベスト16進出を手にした。アギーレ自身も、この日本代表の一部だったのだ。

 いつかJリーグの舞台でその姿を見ることはあるだろうか。

 日本にはまだアギーレから学べるものがある。

ライター

1979年福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経て、ライターとしてのキャリアをスタート。イタリア、スコットランド、スペインと移り住み、現在はバルセロナ在住。伊、西、英を中心に5ヶ国語を駆使し、欧州を回りサッカーとその周辺を取材する。「欧州 旅するフットボール」がサッカー本大賞2020を受賞。

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