キングコング西野騒動とトランプ騒動の共通点に感じるモヤモヤした違和感

キングコング西野さんの絵本無料公開が話題になっています(写真:MANTAN/アフロ)

キングコング西野さんの絵本「えんとつ町のプペル」の無料公開に始まった騒動が続いています。

騒動の概要については中川淳一郎さんのこちらの記事が冷静にまとまっていると思いますので、そちらを読んでいただければと思いますが。

キンコン西野「絵本無料公開」騒動 文句を言うのではなく、対価を取れるクリエーターになれ

要は、キングコング西野さんが従来2000円で販売していた絵本を、オンライン上で無料公開に踏み切った際に、「お金の奴隷解放宣言」という挑戦的な記事を書いたことが物議を醸し、議論が長続きしているようです。

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お金の奴隷解放宣言

有料コンテンツのネット無料公開は珍しいことではない

既にいろんなところでまとめられていますし、本人もその後ブログで種明かしをしているように、物理的に有料のコンテンツをオンライン上では無料で公開することは、もはや珍しいことではありません。

フリーミアムという言葉も一時期話題になりましたが、2000円の絵本を購入してページをめくりながら絵本を読むのと、オンライン上の画像とテキストで絵本を読むのでは体験も全く異なりますから、こういったコンテンツの無料公開で話題を作って有料の冊子の販売に繋げる、というのは良くある手法。

昨年彗星のごとく登場したピコ太郎のPPAPも、有料アルバムより先にYouTubeに無料でPPAPを公開したことで世界的に認知度を高め、その後有料で販売しデイリーチャートで10冠を達成したり、アルバムを販売したらオリコントップ3に入ったり。ついには武道館ライブまで決まってしまいました。

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ピコ太郎(PIKOTARO)オフィシャルサイト

無料でYouTubeに公開してる楽曲を、こうやって有料で購入する人がたくさんいることは、すでに世界レベルで証明されてる話。

西野さんの本については既に20万部も売れた後に無料公開に踏み切っていますから、ある意味十分最初の投資の集金が確定した後であって、PPAPほどの目新しさはありません。

もちろん、実際に西野さんの絵本は発売から3ヶ月たっているというのに無料公開をすることでAmazonランキングで1位を獲得したそうですから、そういう意味では、西野さんはある意味非常にネットやフリーミアムの構造を良く理解しているクレバーな人と言うことができると思うのですが。

個人的にどうしても気になってしまうのは、その西野さんをしてこういうあおるやり方をしないと人の注目を集められないのだろうかというモヤモヤした思いです。

並行して週末にトランプ大統領の就任式が話題になっていましたが、西野さんとトランプ大統領のアプローチには明らかに共通点が多いと感じます。

いわゆる「アジテーター」と呼ぶのが正しいのでしょうか。

参考:貴族だったトランプがアジテーターに転向した理由

「アジテーター」とは「扇動者」のことで、「アジテーション」をする人。

「アジテーション」とは、要は「煽る」ことなんですが、はてなキーワードでは「強い調子の文章や演説などによって人々の気持ちを煽り、ある行動を起こすようにしむけること。」と定義されています。

「アジテーター」という立場の議論における強さ

そういう視点で、今回のキングコング西野さんの絵本無料公開騒動の流れを振り返って見てみると、多くの人たちが見事に煽られていることが分かります。

絵本という有料のコンテンツを無料で公開する行為自体に反発してみたり、西野さんのものの言い方に反発してみたり、ツイッター上での一つ一つの発言に反発してみたり。

で、当然ながら西野さんに賛同する声だったり、こうした反発している意見に対してさらに反論する意見が出てきて、議論が盛り上がる形になります。

でも、おそらく最初から確信犯で煽っている西野さんからすると、実はこうした反応は、多分全て思うツボなんですよね。

・提示した一つ一つの問題提起に、賛同してくれる人が増えればそれはもちろんOK

・想定された反論をしてくれれば、それに対する答えを種明かしすることでOK

・想定外の反論をされていたとしても、それで注目が集まるから、まぁOK

というスタンスなんだろうな、と思います。

批判の声が増えようがケチつけられようが、最終的に注目さえ増せば損することはないわけです。

トランプの選挙期間中の爆弾発言も、おそらく似たような立ち位置です。

実際に発言した内容を実現できるかどうかは、おそらく本人は結構どうでも良いと思っていて、あくまで聴衆を煽り、議論を巻き起こすためのネタとして、あえて物議を醸す発言を投入し続けている印象が強くあります。

ヒラリーを刑務所にぶち込むと行ってみたり、メキシコとの国境に壁を作ると言ってみたり。

経済対策についても、トランプが発言している目標の実現にはかなり悲観的な意見が主流です。 

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トランプ大統領の経済政策はほぼ実現不可能か

実際にやるかどうかは別として、それぐらいの覚悟があるということを表明することが大事なわけです。

細かいことは人間覚えてられないですが、インパクトのある発言が記憶に残れば、何だか良く分からないけどすごいな、という印象が残り得るんですよね。

西野さんの「ウォルト・ディズニーを倒す」も似たような文脈でしょう。

でも、多分、トランプ大統領本人は、経済目標が達成できなかったらできなかったで、きっと周囲の何かのせいにしてまた派手なことをぶち上げれば良いと思ってるような印象が強くあります。

こういうアジテーター的な立ち位置で議論する人って、その瞬間瞬間の議論にはメチャメチャ強いんですよね。

その瞬間瞬間の議論を煽るために強い言葉を選んでいるわけで、多分それほど深く細かく考えているわけではないんです。

致命的な突っ込みをされたら、素直にスタンスを変えて違う煽りをすれば良いわけで。

本人が負けだと思わない限り永遠に負けないわけです。

仮に心の中で負けだと思っても、外向けに負けたと認めない限り永遠に負けない、と言った方がいいでしょうか。

脱・お金の奴隷解放宣言をあっさり予告する西野氏

西野さんも今回は、絵本の無料解放時に「お金の奴隷解放宣言」という非常に強い言葉を使ったことで、各方面から様々な反論を受ける形になりました。

ただ、この記事では「僕は、『10万部売れるコト』よりも、『1億人が知っているコト』の方が遥かに価値があると考えます。」と明確に宣言されていたのですが。

翌日には「『えんとつ町のプペル』を無料公開したらAmazonランキングが1位になった。と言う記事で、「僕らは無料公開が損失だとは考えていません。お金を取ることを辞めたからといって、売り上げが下がるとは思っていません。」と、お金を諦めていないことを明言されていますし。

週末には「ウーマンラッシュアワー村本君の指摘」という記事で、「『えんとつ町のプペル』は「100万部売る」と決めた。」と部数にこだわることを明言。

さらには「そのうち、「脱・お金の奴隷解放宣言!」とか言い出して、「っざけんな西野!お金の奴隷解放宣言しろや!」と世間の皆様から怒られるシナリオもいいと思っています。」と、あっさり、いつか真逆の宣言をするであろうことを予告しています。

要はそれほど「お金の奴隷解放宣言」という言葉に思い入れがあったわけではなく、発売から3ヶ月たって23万部売れている絵本を、さらにたくさん売るためのテクニックだったことを自ら明らかにしてしまっているわけです。

西野さんを批判したい人たちからすると、実に腹立たしい状況でしょう。

トランプ大統領の選挙戦においても、対立候補は、ことごとくトランプ大統領の発言の一つ一つに一喜一憂したり、反論したりしていたわけですが、結局論理的な議論に持ち込めることはなく、とにかく対立軸が明確になって議論が平行線になる一方でした。

アンチが増えることがファンを作ることにつながる

で、こういう議論が平行線の状態になると、面白い現象が起こります。

西野さんとかトランプ大統領をバッシングしている人がいる場合、その人を嫌いな人たちがバッシングされている西野さんやトランプ大統領を応援するようになるんですよね。

最近、「プラットフォームブランディング」という書籍が再度脚光を浴びているみたいですが、その本に「アンチ勝間が生まれたことは、逆に勝間和代のブランドの価値を生み出し、カツマーを増やす効果を生み出すことに貢献した。」というくだりがあります。

要は、勝間さんが大企業の管理職をイラッとさせる発言をすることで、その管理職がアンチ勝間になると、その管理職の部下の人たちが自分が嫌いな上司の敵である勝間さんのファンになるという構造があったというんです。

西野さんを巡る騒動においても、トランプ大統領を巡る騒動においても、同じ構造があることが見て取れます。

西野さんのフリーミアムモデルの主張に対する批判が増えるほど、フリーミアムは当然だという反論が増えていましたし。

トランプ大統領においては、大手メディアを相手に自らのツイッターでメディア批判を繰り返すことで、既存マスメディアを信じない層を支持者として取り込んでしまったわけで、見事としか言うほどありません。

アジテーションが強い時代で良いのだろうか

そういう意味では、西野さんもトランプ大統領も、現在のソーシャルメディア時代を良く理解している見事なアジテーターということができるわけですが。

個人的にどうしてもモヤモヤしてしまうのが、西野さんのようなある程度テレビにも出て認知も取れている芸人の方でも、憎しみを煽るアジテーションの手法を使わないと注目を集められないんだろうかという視点。

ソーシャルメディア上で、感動や笑いよりも憎しみや怒りの方が明らかに伝播力が強く、騒動を大きく長続きさせる効果があるのは、残念ながら数々の炎上事例が証明しています。

象徴的だったのは、アメリカにおける警察官による黒人射殺事件でおこった憎しみの連鎖でしょう。

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黒人射殺事件の連鎖を生む元凶は

もちろん震災対応の良い話とか、感動する話もバイラルして広まりはするんですが、別に物議は醸さないので、一巡すると自然と話題が落ち着いてしまうんですよね。

それがいわゆる炎上系の騒動だと、今回のようにアジテーター本人が燃料を次々に投下すれば、確信犯的に話題を長続きさせることが可能なわけです。 

長い目で見れば、地方に移住した人が都市部のサラリーマンを批判し続けて飽きられたりするのと同様に、こういうアジテーションって、同じことを何度もやっていると、だんだん飽きられて話題にならなくなるリスクもあるとは思うんですが。

トランプ大統領は、明らかに確信犯でその繰り返しで今回大統領にまで上り詰めてしまったわけで。

現在の時代が、アジテーターが非常に強い時代になってしまっていることは否定できない現実のように思います。

先日「2017年に考えるべき「広いメディア」と「深いメディア」という二つの選択」という記事を書きましたが、西野さんのブログやトランプ大統領のツイッターって、本人しか発信できないニュースメディアという意味で、ある意味非常にユニークな「深いメディア」であって唯一無二の立ち位置なんですよね。

既存メディアはどうしても彼らの発言を一次ソースとして引用するしかできないわけで、その構造を意識してブログやツイッターを使いこなしている二人は、見事に個人メディアの時代を体現している人物と言えるんだとは思うんですが。

ソーシャルメディアの進化の先にあるのがアジテーターの時代というのは、何だか実に寂しいオチな気もします。

まぁ、実際にはオバマ元大統領も小泉元首相も橋下元府知事も見る人から見ればアジテーターだったとも言えるので、別にソーシャルメディア時代以前からアジテーターは強いでしょ、という話もあるかもしれないですし。

アジテーターに腹が立ったからといって攻撃するのは相手の思うツボなので、スルーした方が良いんじゃないですか?というのが、個人的に気になっているもう一つのテーマだったりするのですが。

えらい長い記事になってしまったので今日のところはこの辺で。

はたしてアジテーターがこのまま世界を制してしまうのか、はたまたアジテーションしなくても、笑顔とか喜びを拡げるやり方を誰かが発掘してくれるのか。

そんなことが気になって仕方が無い今日この頃です。