世界第一級の活断層「中央構造線」:300万年前に活動を再開し香川をうどん県にした

(写真:アフロ)

 中央構造線は、九州から関東地方まで総延長1000キロメートルに及ぶ長大な活断層帯だ。過去に幾度となく直下型地震を引き起こし、2016年の熊本地震もこの断層帯に関連した運動が原因と言われている。

300万年前、古傷の断層帯が動きだす

 中央構造線はまた、その南北で異なる地層や岩石が分布する地質境界でもある。恐竜が闊歩していた頃、おおよそ1億年前に作られたこの地層境界は、いわば地盤内にある古傷のようなもので、この地域に働くプレート力によって断層運動を繰り返したようだ。そして現在の中央構造線の断層活動が始まったのは、今から300万年前。それまでほぼ真北、西南日本に対して垂直方向に沈み込んでいたフィリピン海プレートが、現在の方向、つまり北西へと運動方向を変えたのだ。この大事件は、沈み込むフィリピン海プレートの東端が太平洋プレートと衝突したために北向きに進めなくなったのが原因だ。

 フィリピン海プレートの運動による力は北向き成分と西向き成分からなり(図)、前者は西南日本を圧縮し、後者は西南日本を西方向へ引きずるように働く。中央構造線という古傷が存在する状況で西向きに引きずる力が働くと、この大断層帯の活動が再開し、南側の地塊が西方向へ移動することになる。こうして、今から300万年前に中央構造線は「活断層化」した。

讃岐うどんを生んだ中央構造線の活動と吉野川の流路。(巽原図)
讃岐うどんを生んだ中央構造線の活動と吉野川の流路。(巽原図)

「古吉野川」は讃岐平野に流れ込んでいた

 讃岐平野の南部、讃岐山脈の北麓には約400~100万年前に河川や湖沼に堆積した地層が分布している。この地層の古い部分には中央構造線の南側の四国山地を形作る三波川変成岩の礫が含まれている。一方で新しい地層にはこの岩石は全く含まれず、讃岐山脈を作る砂岩などの礫が堆積している。つまり、フィリピン海プレートの運動が変化した300万年前には讃岐山脈は存在せず、当時の古吉野川(現在の吉野川)は四国山地から讃岐平野へと流れ込んでいたのだ。古吉野川の流路は、変成岩を含む地層の分布などから、図に示すように現在の美馬付近から北上していたものと考えられる。しかしその後フィリピン海プレートの北向き成分の運動によって讃岐山脈が隆起したことによって、古吉野川は山地に遮られて東向きに流路を変えざるをえなかったのだ。

 もしそうならば、現在吉野川が大きく方向転換する池田と、かつての北側への流路の起点であった美馬との約25キロメートルの隔たりが、300万年間の断層運動でずれた距離となる。年間1センチメートル弱の猛烈な変位量だが、この値は、過去1~2万年間に起きた地形の変化から求められた変位速度とほぼ一致する。

 

香川が「うどん県」となった理由

 讃岐うどんの特徴は、良質の小麦と塩と水を使った手打が生み出す「こし」(硬さではなく弾力)と、適度な湯がきによる「滑らかさ」にある。科学的には、前者はグルテン化、後者は糊化と呼ぶ。また、瀬戸内海産のいりこ出汁も特徴だ。では、なぜ香川でこれほどまでのうどん文化が育まれたのか? ご存知のように瀬戸内海は雨量が少なく、かつては塩の一大産地だった。そして、小麦の栽培が盛んになった背景こそが、300万年前に起きた吉野川の方向転換なのだ。

 讃岐平野に流れ込んでいた古吉野川が300万年前に東向きに流れるようになったために、讃岐平野には大河は存在せず、それ以降渇水に悩まされ続けた。平野のあちこちに作られた溜池が、人々の水不足との戦いを物語る。その結果、多量の水を必要とする米よりは小麦の栽培が盛んになったのだ。つまり、中央構造線の活動が香川の小麦文化を生み出したのである。

 また香川大学教授の長谷川修一さんによると、「うどんの聖地」と呼ばれる製麺所付近では讃岐山脈からの湧水が豊かで、その清水がうどん作りに利用されるという(図)。

 世界一の変動帯である日本列島では、プレート運動によって断層運動、そして地震が引き起こされる。その典型例が中央構造線だ。幾度となく災害をもたらしてきたこの断層帯だが、一方で私たちに讃岐うどんという素敵な恩恵も与えてくれた。