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「全員悪人」で打開のメドさえ立たないスーダン情勢。誰がどう悪いのかを検証

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
多くの市民が退避(写真:ロイター/アフロ)

 今年4月からスーダンでは国軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が戦闘中で在留外国人が次々と逃げ出した時点で国内でも大きなニュースとなりました。今でも継続中で数千人の国民が命を落としているなど悲惨な状況です。

 ただ「軍と準軍事組織の抗争」といわれても何が何やらサッパリわかりません。内戦とも民主化とも異なるし権力闘争にしては血が流れすぎです。

 国連など国際組織はことの重大性を認識しながら何をどうしたらいいか困っています。というのも争いの当事者がいわば「全員悪人」で片方に助力しにくいから。なるべくわかりやすくひもといてみます。

内戦のさなか成立したバシル政権

 スーダンは1956年、植民地支配(イギリスとエジプトの共同統治)から脱して独立しました。当時の版図は世界10位、アフリカ最大という広さです。ただ以前の恣意的な植民地政策(これこそ諸悪の根源ともいえるが今回は除外)で初手から内紛含みの不安定な政治が続きます。

 今日に至る原因を生んだのが、ようやく成った民政を89年に軍事クーデターで覆して元首となったバシル政権。93年に大統領へ就任するも軍服をスーツに着替えただけで長期独裁を敷いていくのです。

 当時、スーダンは大まかに「アラブ系ムスリムの北部」「黒人が多くキリスト教徒や現地宗教を信じる南部」「非アラブ系ムスリムの多い西部」に分けられ南北による内戦のさなかでした。バシル政権は典型的な北部でイスラム主義を掲げて南部と継戦。国際的にはイラク、リビア、イエメンなどと親しい。

サダム・フセインとウサマ・ビンラーディン

 そのイラクが90年にクウェートに侵攻して翌年、湾岸戦争が始まるとサダム・フセイン大統領と近いバシル政権は自国を「親イラク・中立」に位置付けました。イラクを攻撃する多国籍軍の中心たる米軍の国内展開を認めた母国サウジアラビアから追い出されたウサマ・ビンラーディンを匿い、彼が率いる国際テロ組織アルカイーダは93年、米ニューヨークの世界貿易センター地下駐車場の爆破に関与したとしてスーダンはテロ支援国家に指定されます。

 ビンラーディンは96年に追放されるも98年に引き起こしたケニアとタンザニアの米大使館爆破事件へのバシル政権の関与を疑われて首都ハルツーム郊外を米軍に空爆されたのです。

「世界最悪の人道危機」ダルフール紛争

 バシル大統領は選挙で何度も再選され独裁を正当化するも、お決まりの野党弾圧や報道統制、それに抗議するボイコット運動のなかでの当選で正統性に疑問を残したまま強権支配を続けました。

 89年からの内戦は2005年にやっと終結。南部は11年に分離独立したのです。長すぎた戦禍と飢餓の招来などで何百万人も死去。ニューヨーク・タイムズが取り上げて物議を醸した写真「ハゲワシと少女」(93年)も現在の南スーダンの光景となります。

 南北融和の陰で険悪化したのが西部ダルフール地方。03年、非アラブ系ムスリムの蜂起を発端として現地のアラブ系民兵組織「ジャンジャウィード」が応戦。国軍も加担して国連が「世界最悪の人道危機」と呼ぶ大惨事「ダルフール紛争」へと発展したのです。

 米メディアはバシル大統領を3年連続で「世界最悪の独裁者」と認定。009年3月に国際刑事裁判所は09年、バシル大統領をダルフールにおける「人道に対する罪」「戦争犯罪」などで逮捕状を発付するに至りました。

 この「ジャンジャウィード」こそ冒頭に挙げた「即応支援部隊」の前身です。

「ジャンジャウィード」が「即応支援部隊」へと改組

 バシル大統領を最高権力者に押し上げたのは言うまでもなく最大の実力組織である国軍。ただ軍事クーデターで地位を得た者は往々にして出身母体たる軍が同じように今度は自らを放逐しようともくろむはずと警戒する心境に陥ります。バシル長期政権下でもクーデター未遂が疑われて何人もが拘束されてきたのです。

 ゆえに独裁者は国家でなく自身のみに忠誠を誓う私兵を親衛隊のように養う傾向があります。バシル大統領にとって「ジャンジャウィード」がそれに該当したのです。

 13年、「ジャンジャウィード」が「即応支援部隊」へと改組され、影の存在から大統領より正式な地位や給与を受ける「準軍事組織」へと格上げされました。遅くともこの時点から部隊を率いていたのがダガロという人物です。当然、正規軍は面白くありません。ダルフールを泥沼化した民兵を優遇し、南スーダンを分離独立という形で失った大統領への不信も芽生えてくるのです。

ブルハンのクーデターとダガロの裏切り

 国内経済はどん底のまま。18年に入るとインフレ昂進を批判するデモが頻発します。大統領は国軍に鎮圧を命令し、翌年には1年間の非常事態宣言を発令したのです。国軍は徴兵制なので庶民の憤懣は一定程度内部でも共有され、19年遂にクーデターへと発展。国軍がバシル大統領を解任した上で身柄も拘束しました。

 このタイミングでバシル大統領を裏切ったのがダガロ将軍。新たな「暫定軍事評議会」議長には軍を実質的に率いたブルハン司令官が議長、ダガロ将軍が副議長に就任。絵に描いたような呉越同舟です。デモを率いた勢力とは早期の民政移管を約束しました。

プリゴジンの影

 その民政移管の経緯を巡る合意で即応支援部隊の国軍への統合が示されるも「いつか」でいさかいが発生します。早期の統合を迫る国軍に即応支援部隊が反発。ついに戦闘状態に入ったのです。

 勢力を比較すれば国軍が圧倒的でブルハン政権は権力を握るや一転して民政を求める勢力を弾圧し始めます。一説にはラクダ商人から成り上がったダガロ将軍を厚遇するのを軍エリートが難色を示したのが抗争の元凶とも。

 劣勢のはずの即応支援部隊が国軍と伍していられるのは地元ダルフールの金鉱を支配していて「カネがある」からと伝わります。

 バシル大統領がまだ健在で「タガロは忠実な家来」であった頃、鉱山から金を採掘したり、盗掘などの難から逃れるのは共通の利益でした。ここで食い込んできたとみられるのが最近、プーチン露大統領に反旗を翻したプリゴジン氏率いる傭兵組織「ワグネル」。ボスを裏切った後の今日も台頭してきた経緯がソックリで親近感が湧くのか「ダガロとプリゴジンは親しい」との観測しきり。

「悪人」同士を握手させても……

 この構図が国際社会の平和実現活動を難しくしているのです。当事者のブルハン議長は民政移管を圧殺して新たな独裁者になろうとしているやもしれず、といってもう一方のダガロ将軍は「世界最悪の人道危機」の首謀者のみならずワグネルとの関係まで浮上する始末。

 当地での平和は「ブルハンかダガロか」の片方を支持して他方を駆逐する方法があるものの、どちらも「悪人」で信頼できない。といって「ブルハンとダガロの握手」を目指して仮に上手くいったとしても「悪人」同士の握手を手助けしただけで肝心要の民政移管というデモ参加者らの願望を排除する悪手となってしまいます。

 かくして紛争打開のメドすら立たないで今日に至っているのです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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