Yahoo!ニュース

袴田事件を左右した「5点の衣類」を巡るあまりに数奇な運命

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
「5点の衣類」を示して再審を求める会見(写真:つのだよしお/アフロ)

 1966年6月に発生した、静岡県清水市(当時)のみそ製造会社専務およびその家族計4人が全焼した家屋から遺体で発見された事件の犯人として死刑判決が確定している袴田巌さん(当時は社員。30歳)の再審(裁判のやり直し)請求審で東京高裁が再審開始を決定しました。

 このニュースはすでに多く報道されていますので本稿では66年段階から証拠として注目され今回の決定でも大きな意味を持った「5点の衣類」に絞って考察します。

「血の付いたパジャマ」と否定された自白の任意性

 66年に始まった1審(静岡地裁)では、袴田さんが起訴(裁判にかける)される前に警察・検察の取り調べで取られた自白調書45通のうち44通を「違法な取り調べの結果」として証拠採用されませんでした。裁判が始まってからは一貫して袴田さんは容疑を否認しています。

 たった1つだけ採用された検察官の自白調書で犯行時の着衣は「パジャマ」とされていました。この「パジャマ」は事件発生直後に警察が袴田さんの寝具入れから押収したもの。しかし検察側の鑑定ですら立証は難しく、確定判決も「犯行時に着ていたのはパジャマではない」と断じているのです。

 要するに唯一採用された自白調書ですら前提となる「パジャマを着ていた」が崩れ去っており今回の高裁決定でも「証拠価値は乏しい」と断定。有効と裁判所が認めた自白は結局ありません。

事件から1年2カ月も経って突如登場

 にも関わらず確定判決まで「自白がなくても有罪は明らか」とした最大の証拠が検察側が出してきた「5点の衣類」なのです。

 既に裁判は始まっていて「5点の衣類」が出てきたのは事件から1年2カ月も経ってから。検察側は当初のパジャマ説を引っ込めて、現場近くのみそ工場タンク底から出てきた「5点の衣類」へと変更しました。確定判決はこの「5点の衣類」に

・被害者の返り血(4人のうち3人)と袴田さんの血(B型)が付いている

・ズボンの共布(端切れ)が袴田さん告の実家から見つかった

として「最重要の物的証拠」とみなしたのです。ただし血液型による個人の特定はできません。ここが今回の再審請求のキーとなっていきます。

「切り札」のDNA型鑑定は証拠価値を失う

 再審請求審で請求人側は「5点の衣類」のうち白半袖シャツ右肩についた「B型」の血液が袴田さんのものと一致しないという主張を展開します。81年から始まった第1次再審請求審では「鑑定不能」とされたDNA型鑑定が08年からの2次請求審で弁護側推薦の鑑定人が「一致しない」と判定。検察側推薦の鑑定人も「完全一致するDNA型は認められない」としたのです。

 弁護側推薦の鑑定人は「5点の衣類」にある被害者のDNA型も「一致しない」と主張。検察側は「試料の経年劣化」を理由に個人の特定までできないと主張しました。「5点の衣類」の血液が「被害者の返り血」でもなく「袴田さんの血」でもないとすれば一体何だったのかと。

 2014年、請求審で静岡地裁は「一致しない」との鑑定を信用して再審開始を決定しました。検察は東京高裁へ即時抗告。正反対に「信用できない」と決定を取り消したのです。弁護側の特別抗告を受けた最高裁も高裁の判断を維持。請求側の「切り札」は失われました。

補充証拠に過ぎなかった「血の色の変化」で大逆転

 ところが最高裁は高裁決定(再審開始取り消し)を取り消し、高裁へと差し戻しました。理由は「切り札」のDNA型鑑定ではなく弁護団ですら強い自信を持てないまま新証拠として示していた血痕の色変化への疑いについて「即時抗告審で審理が尽くされていない」のを問題視したからです。

 「5点の衣類」は事件から1年余り過ぎて唐突に現れたのは確定判決に至るまででも「捜査活動とは全く無関係に発見される事態」を批判されていました。袴田さんが逮捕(66年8月)された時点で「5点の衣類」が袴田さんのものであるならば約1年間タンク内のみそに漬かっていたはず。弁護団は実験を繰り返して同一条件であれば黒くなるはずなのに「5点の衣類」が赤みを帯びていた(※注)のは変だと訴えたのです。

 再審開始を決めた地裁はこの点も「不自然」と新証拠を信用したものの即時抗告審は補充証拠として提出した実験報告書および科学者の意見書にあった化学反応による色変化の可能性などについて「審理を尽くしておらず、違法」と認めました。

捜査関係者がタンクに隠匿した証拠ねつ造か

 今回の差し戻し審は科学者の見解を「信用できる」としたのです。要するに1年みそ漬けされていたら赤みは残らないと。袴田さんは身柄拘束されているため、「5点の衣類」を黒褐色化する前に捜査側の発見までタンクに入れるのは不可能であり、よってそれを袴田さんの着衣とみなしての確定判決には合理的な疑いが生じると。

 では赤みを帯びた「5点の衣類」は何だったのか。袴田さんが身柄拘束されている間に第三者がタンクに隠匿した可能性が浮上します。さような行動をする理由がある第三者とは捜査関係者ぐらいしか思い当たらないため、今回の決定も「その可能性が極めて高い」と「ねつ造」の疑いまで言及したのです。

※注:発見時の実況見分調書に「濃赤色」などの記載がある。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

坂東太郎の最近の記事