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常任理事国の拒否権は万能でない。「平和的解決」での当事国棄権条項や団結を目的とした権利付与の本質

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
「ニエット!」。ロシア拒否権行使の様子(写真:ロイター/アフロ)

 先に公開した「ウクライナ情勢で機能不全の安保理。常任理事国5カ国はどのように決まったか。なぜ中国とフランスが?」(以下「前稿」)というタイトルの記事で述べたように国連安保理で拒否権を持つ5カ国(米英露中仏)も先の大戦での戦勝国と明らかに言えるのは米英露(ソ連を継承)の3カ国。他の中仏は国連の枠組み作りに実質的に関与していません。

 常に話題となる拒否権はいかなる経緯で付与されたのでしょうか。考察しつつ戦後約80年を経てなお有効であるのかにも迫ってみます。

拒否権の根拠と2条4項との矛盾

 国連憲章2条4項加盟国すべてに「武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも」「他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と戦争禁止を大原則とする一方で「国際の平和及び安全の維持」(23条)を担う安保理は「手続事項」以外=実質事項「に関する」「決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる」(27条)と規定。

 つまり「常任理事国の同意投票を含」まない決定はできません。これが拒否権です。

 誰でも気づく矛盾は「常任理事国」が当事者となった「武力による威嚇又は武力の行使」がなされた場合、当事国が拒否権を行使したら2条4項違反をとがめられないという点。常任理事国のロシア(ソ連から継承)が仕掛けたウクライナ戦争がまさに該当します。実はこうした欠陥は国連発足に至る過程で既に露呈していました。以下にみていきます。

ソ連の「あらゆる場面で行使できる」拒否権の主張

 拒否権の付与が現実の課題として顕在化したのは1944年のダンバートン・オークス会議。主導権はあくまで「米英ソ」にありました。米の思惑で中国が、英の要請でフランスが加わって5大国となったのです。

 先の大戦が経緯はともあれ結果的に「米英ソ」3大国が結束したからこそ勝てたし、ゆえに戦後の「国際機構」もまたそれを維持すべき、までは共通認識でした。同時に「国際機構」を「地球連邦」のような超国家組織にする意図はなく、であれば現実問題として大国の団結こそ特に集団的安全保障を実効ならしめるに欠かせないというのもわかっています。

 問題は大国=米英ソ自身が当事者となった紛争が発生した場合にどうするか。ダンバートン・オークス会議でイギリスは常任理事国=米英ソはその場合、安保理での投票権を持たないと主張。対してソ連は大国は拒否権を持ち、あらゆる場面で行使できるようにすべきと真っ向から対立します。アメリカは英支持に回るも内心はいかに。

 もっとも広く知られているのは同会議で大国に加えられた中国(中華民国)とフランスの計4国(米英中仏)が自由主義陣営で唯一の共産主義国家で数的に劣勢のソ連が対抗カードとしてどうしても拒否権を欲したという説。

米英ソ三者三様の「国際連盟の反省」

 でもそれだけでもなさそう。米英ソが立場を異にしながら共通して頭に浮かんでいたのが国際連盟(20年発足)が目的とした集団安全保障が機能しなかったとい反省点です。連盟が全会一致でまとまらなかったというあたりでイギリスが重大局面での拒否権(≒全会一致原則)に及び腰となった。ソ連はフィンランド戦争で除名を食らった苦い体験から「国際機構」で決定的な権利を有したかったと。

 アメリカは自国の大統領が主導しながら議会の反対で連盟に入れなかった過去の二の舞は避けたかったはずです。盟友の英と同調し、ソ連の脅威も感じたから拒否権付与を反対したものの仮に自国が当事者になった紛争で棄権を強いられるとなると議会の民主・共和2大政党どちらにも根強い伝統的な孤立主義の観点から「そんな国際機構に縛られるのは嫌だ」と再び否決の憂き目に遭いかねない懸念がありました

 結局、会議で拒否権の問題は落着せず、45年のヤルタ会談へと持ち越されたのです。

米英ソ同床異夢の「ヤルタ方式」妥結

 ヤルタ会談(米英ソ)では大国の拒否権は認められるとはいえ「平和的解決に関する決定」については「行使しえない」との妥協案(ヤルタ方式)で決着します。

 アメリカは前記のような本音を抱いていたのに加えてソ連を対日参戦させたいという強い思惑がソ連の主張を相当認める動機となったようです。

 拒否権に反対していたイギリスも、よくよく考えてみれば香港やスエズ運河という自国が紛争当事者になりかねない利権を抱えており、かつ米ソが反植民地主義では一致しているとの現実から拒否権も悪くないと方針転換。

 ソ連が「平和的解決」の場面での棄権を飲んだのは戦況の好転が背景にありそう。すでにドイツ軍を自国から追い出し独占領下の東欧諸国を次々と「解放」してベルリンに迫っていました。当面、自身が当事者となる紛争発生の可能性は薄まり、頑迷に「いかなる場面でも拒否権を行使させろ」と突っ張って大国同士の団結にヒビを入れるより協調した方が得策。ヤルタでは対日参戦や中国への利権確保といった秘密協定も結ばれていて蹴飛ばすには惜しくもあったはずです。

大国の団結なくして強力な国際機構は作れず

 拒否権を巡る論争は最終的に米英ソ3大国の団結を最優先するという一点で落着しました。それなくして強力な国際機構は作れず、であれば表決方法で決裂したら本末転倒であると。同時に新たな国際機構発足後、大国の拒否権がなければないで、あったらあったで結局何らかの対立が起きるのは十分に予見でき、ならばヤルタ方式でまとめても当面問題あるまいという判断ともみなせます。

 ヤルタで妥結した原案は連合国の代表が集ったサンフランシスコ会議で討議されて45年6月に国連憲章採択・調印。10月に発足したのです。

「平和的解決」案にロシアは拒否権を行使できない

 ここまでの経緯から現在のウクライナ戦争を展望してみましょう。

 まずヤルタ方式で決まった「平和的解決に関する決定」(憲章6章)における当事国の棄権条項(27条3項)。具体的には「交渉、審査、仲介、調停」(33条)など。ウクライナが安保理に求めている決定方法です。紛争当事国の一方がロシアであるのは疑いないので、6章に関する表決を行えばロシアは棄権しなければいけません。中国外交部(外務省)も表明しているアイデアです。

 問題はもう一方はどこか。「ウクライナに決まっている」といえない事情があります。

下手すると中国だけが漁夫の利を得る構造

 プーチン露大統領は侵攻直前に「NATOがロシアを敵と見なしてウクライナを支援している」と断定。仲介や調停は双方の言い分を汲んで合意に持ち込む方法だからロシア側の「一方は私。他方はNATO」も審議するはずです。中国も「冷戦思考の放棄」との言葉で暗にNATOの拡大を批判。

 これらの主張を汲むとNATO加盟国の米英仏も義務的棄権を強いられる可能性があり、常任理事国で当事国にならないのは中国だけ。さすが中国4000年。計算高い「漁夫の利」作戦ともいえそう。

 それを嫌ってか安保理でのアメリカはあえて拒否権が使える7章で起案した決議案をかけていて案の定ロシアが拒否権発動。ロシアの頑迷さを浮き立たせているのです。

 この事実はあまり伝わっていない気がします。過去にも27条3項に該当しそうな提案で当事国として棄権すべき常任理事国が何度も拒否権を発動しているから。

「そもそもヤルタの時に……」

 ウクライナが訴える「『ロシア』は国連における『ソ連』の継承国か疑問だ」という主張も一理あります。確かに常任理事国を定めた憲章23条の表記はいまだ「ソ連」のまま。国連で正式にソ連崩壊(91年)後の継承国はロシアだと決めてもいません。

 ただし92年の安保理サミットでロシア大統領が当然のように旧ソ連の席に座り、他からの特段の疑義も呈されないまま今日に至っている以上、今さら蒸し返せるテーマかというと難しいでしょう。

 むしろ前述の2条4項で課された加盟国すべての「武力による威嚇又は武力の行使」禁止の実現を「国際の平和及び安全の維持」を担う安保理が果たせないという矛盾の方が論じるに値しそう。

 拒否権は大国が一致してこそ国際平和に実効性をもたらすという建て付けで付与されています。ロシアの拒否権で戦争が続く現状は、この建て前を揺るがしているのです。歴史的な経緯を踏まえれば米英首脳が「そもそもヤルタの時にアンタの言い分(=拒否権付与)を認める譲歩をしたのは大国の団結を優先したからじゃん!」とプーチン大統領に迫るべきです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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