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参院選低投票率の「容疑者」に浮かび上がる「改選2人区激減」「非拘束名簿式」「特定枠」に迫る

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
「6人区」の東京こそ盛り上がったが(写真:つのだよしお/アフロ)

 今年の参議院議員通常選挙の投票率は52.05%でした。前回(19年)の48.80%よりはアップ。しかし低水準から脱してはいません。

 そこで本稿では戦後の投票率の傾向を分析しつつ、低迷する理由を主に選挙制度から探っていきます。

衆参いずれにも見られる1990年代の「ボックス圏」の右下移動

 参議院議員通常選挙の投票率推移を戦後初の1947年から眺めると、1989年までは「上が70%前半」「下が50%後半」のボックス内に収まっていました。ところが92年に50.72%と過去に記録していない「50%前半」の最低(当時)率を残すや、以後は「上が50%後半」「下が40%台」という新たなボックスに移行しています。

 この「ボックスの移動」と強い相関を示すような選挙制度の改革は見当たりません。ただ衆議院には同時期にそうと推測される事態が起きているのです。

 93年以前の総選挙では「上が70%後半」「下が60%後半」のボックス圏で推移していたのが96年以降、それまで下限であった「60%後半」が上限となり、下限は5割台へと箱が右下に落ち込んだよう。96年は、それまでの「中選挙区制」から「小選挙区比例代表並立制」へと制度が大きく変わっているので相関している可能性大です。

 熱狂のイメージがある2005年の「小泉郵政解散・総選挙」も09年の「政権交代選挙」も6割後半で93年以前の下限に過ぎません。

衆参の相関関係

 衆議院は最終的に首相を決められる権限を持つため「政権選択」の重要性を帯びるのに対して参議院は仮に与党少数の「ねじれ」となっても手放す必然までには至らない。その意味で補完の(例えば政権の「中間テスト」的な)役割を果たしているともいえます。

 「主」である衆院総選挙の投票率が96年以降に落下し、補完的な参院も92年から同様の動きをしているのは正の相関とみなしていいのかもしれません。

11から4にまで激減した「参院改選2人区」の意味

 ただ参院独自の変更で「選挙がつまらなくなった」理由も推測できます。まずは「選挙区での改選2人区激減」から。

 参院の選挙区は47都道府県単位が原則で1票の格差是正の観点から現在は45選挙区(「徳島・高知」と「島根・鳥取」は合区されているため47-2=45)のうち「改選1」のいわば「小選挙区」が32と実に70%以上を占めるのです。

 では投票率が高かった89年以前はというと「改選1」は26。全体に占める割合(26÷47)は55%と相当に低い。

 ではこの間に何が起きたのか。それは「改選2人区」の劇的縮小でした。89年以前に15もあったのが今や4。15-4で導かれる11選挙区のうち8県が1減(=改選1へ)、1県が1増(改選3)、2県が2増(改選4)と変化したのです。

 参議院は前述のように選挙区が原則都道府県単位だから、その範囲内で今は改選1~6(6は東京)まで広がっています。

 2人区は多くの場合、与野党で分け合います。しばしば無風選挙区などと呼ばれますが有権者からしたら死票が出にくい典型的な仕組みで投票所に行こうかという動機付けにもなります。与党(優勢な時)にとっては痛み分けで野党には安全な指定席でした。

 つまり、かつての2人区15は、与野党とも主に第1党が15議席ずつ確保できると見通せたのです。これはデカイ。今年の参院選で野党第1党の立憲民主党は全ての選挙区で10議席しか獲得できなかったのと比較するとよくわかります。

 対して増加した改選1人区は最大与党・自民が28勝4敗と圧勝。「野党がバラバラだから」という批判もさして当たりません。野党統一で臨んだ19年と16年も10勝程度に止まるからです。

「2人から1人へ」の変化が与える影響

 かつて2人区の存在は「自民を圧勝させない仕組み」とみなされてきました。その多くが体力勝負の1人区となれば自民が勝ちやすくなるのは当然です。元々強いから最大与党なわけで。

 1人区は衆参とも死票が出やすい制度です。大激戦の結果、得票率51%対49で終えたら49%が死票。対して2人区は両者とも当選なので明らかに自身の1票が当選に結びつく可能性が高まります。おそらく「投票しよう」という気にさせる理由となります。

 今回最も盛り上がったのが改選6人の東京選挙区です。与党が3人、政党要件を満たした(選挙前)野党が7人を立候補させたのです。こうなると、いかに与党でも安閑と全員当選が見込めず、野党支持者は「せめて6人目へ投じたい」と事前の予測に興味を持ちましょう。選挙をゲームに例えれば複数以上の候補が当選する方が面白いのです。

わかりにくすぎる「非拘束名簿式比例代表制」の実態

 比例区はどうでしょうか。本来、選挙制度はわかりやすくあるべきです。ところが現在は「特定枠を認めた非拘束名簿式」という謎めいた難解な仕組み。これも投票に足が遠のく一因ではないでしょうか。

 以下、いかに難解かを略述します。「面倒くさい」という方は字面だけ追って「やっぱり面倒だ」と確認して下されば結構です。

 非拘束名簿式とは各政党の名簿に立候補者の名前だけ書いてあって順位が付いていない制度。有権者は政党名か名簿に記載されている候補者名のどちらかを書いて(面倒1)投票します。各党の総獲得数は「政党名+その政党に属する候補者名を書いた票」で計算され(面倒2)、ドント式(面倒3。説明略)を用いて定数50人を配分します。与えられた議席を得るのは候補者名での得票の多い順(面倒4)。

 これが「拘束名簿式」であれば話はずっと簡単。投票は政党名のみで当選者は名簿順位の高い者から、だから。2001年から非拘束へ移行したのは主に自民党の都合でした。

 自民の候補者の多くは各々の支持母体を持ちます。順位があらかじめ決まっていると「選挙前から当選確実」の順位(1位とか2位とか)の候補者の支持母体は安心し切って緩んでしまいます。反対に落選確実な順位にされると支持母体が今度は諦めてしまうのです。どちらも政党名をかき集めるのに不利となるから非拘束にしようとなりました。

混沌に拍車をかける「特定枠」導入

 ここに19年から「特定枠」が導入して事態はさらに混沌。この制度は政党が優先的に当選させたい候補を順位をつけて名簿の上位に置いていいというもの。言い換えると拘束名簿式です。現制度は「非拘束名簿式の一部に拘束名簿式を加えた」といっていいでしょう。

 意味不明ですよね。現実に取り入れたケースでみてみましょう。

 今年の参院選で自民は比例で18人を当選させました。当選者はまず特定枠(2人)が1人目と2人目で3人目から非拘束名簿式での結果が反映されます。特定枠候補が獲得した候補者名票は約1万4000票と3000票。3位当選(非拘束トップ)が53万票です。

 19年選挙では2議席を得た「れいわ新選組」が特定枠2人を立てたために非拘束で全候補者最多の約99万票を集めた山本太郎代表が落選しました。

 政党というより候補者個人を応援していて候補者名で投票した有権者にとっては割り切れない思いでしょう。もやもやした気分は低投票率を惹起しかねません。

 特定枠もまた自民の発想です。前述の通り4県が2選挙区に合区された(改選は1人)ため1つの選挙区で片方の「我が県代表」が出せなくなりました。厳密にいえば出せないでもないのですが同じ党の2人が1枠をめぐって死闘を演じるさまとなるためやりません。そこで救済策として生まれたのが特定枠でした。

 れいわのように党が優先的に当選させたいけど知名度に欠く候補を戦略的に国会へ送り込むという肯定的な評価も可能ですが、現状では面倒に拍車をかけています。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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