現在の衆議院議員の任期(4年)は10月21日で満了。残り半年をいよいよ切ります。もし菅義偉内閣が解散しなければ最終で11月28日投開票の任期満了選挙。過去に一度しかありません。

 任期3年超えでの解散は現憲法下で11回。自民党結成(1955年)後で10回。残期6カ月前後だと55年以降で4回です。こうした「遅い解散・総選挙」ないし任期満了選挙が過去どのような経緯と結果をたどったかを振り返ってみます。

83年は大敗、90年は減少

 まずは自民党結成後の残期6カ月前後の解散から。

 83年(中曽根康弘内閣)【1回目】90年(海部俊樹内閣)【2回目】はいずれも前回が衆参同日選挙で自民圧勝でした。政治的パワーを引き延ばしつつ落としどころを探って解散したのです。

 83年は前年末に就任した中曽根首相が約1年後に解散を打ちました。中曽根内閣は隠然たる勢力を保つ田中角栄元首相(および田中派)の助力で誕生し、「田中曽根内閣」などとからかわれていました。その角栄氏がロッキード事件の刑事被告人として1審で実刑判決を受けた後に総選挙へなだれ込みます。結果は自民過半数割れの大敗。

 内閣も危機に瀕するも選挙後に「いわゆる田中氏の政治的な影響力を一切排除する」との総裁声明を発表。得意の風見鶏ぶりを発揮するとともに小政党の新自由クラブと連立してかろうじて乗り切りました。

 90年の海部首相も前年就任。田中派を簒奪した竹下登元首相派の実力者、金丸信氏と小沢一郎氏のいわゆる「金竹小」に担がれていました。クリーンなイメージが奏功して自民は過半数を大きく超える議席を確保しました。ただ前回よりは減少。

 この2回と今回は以下の点で似通っています。

総理・総裁に就任して1年程度

首相の党内基盤が弱く、他派閥や有力者の支援で推戴された

前回選挙で自民圧勝

2000年は自民単独過半数割れ

 2000年(森喜朗内閣)【3回目】は非自民勢力の目まぐるしい合従連衡を巧みに利用した橋本龍太郎、小渕恵三両政権が、それゆえになかなか解散のタイミングをつかめなかったところ小渕氏が病に倒れ(直後に死亡)森氏が他派閥の実力者と結んで首班指名されてまもなくの解散総選挙でした。

 森首相は「天皇を中心としている神の国である」などの失言が問題視され、選挙戦のさなかにも「無党派層は寝ていてくれればいい」と放言。現有議席を減らして単独過半数割れし、連立与党の公明党と保守党の議席を加えて何とか政権を維持したのです。別名「神の国解散」。

 今回とは以下の点で似通います。

総理・総裁に就任して1年程度

首相が前政権を長期間支える側にいた(森氏は幹事長。菅義偉氏は内閣官房長官)

前任者が唐突に去って総裁残余期間を引き継いだ

前任者の組閣の枠組みを踏襲した

派閥の領袖(ボス)などが総裁選前に話し合って推戴した

怖い幹事長がいる(森政権は野中広務氏。現政権は二階俊博氏)

「森の影」が射している

09年は政権陥落

 09年(麻生太郎内閣)【4回目】は前年に就任した時点で任期満了が近いのがわかっていて党内から「選挙の顔」として期待されていました。本人も『文藝春秋』08年11月号に「国会の冒頭、(中略)国民に信を問おうと思う」と記した手記を発表。誰もが早々に打って出ると見立てたのです。

 ところが折からの世界金融危機(リーマンショック)への対応を後回しにして政治空白を作るのかという批判と自民党独自の情勢調査が大敗も予想されると結論したのが解散をためらわせます。前回の郵政解散が自民圧勝であったので目減りの大小を計りかねました。結局「景気対策など政策の実現を優先したい」と先送り。菅義偉自民党選挙対策副委員長(現首相)の強い進言もあったとされています。

 機を逸したまま限りなく任期満了に近づいての追い込まれ解散は民主党に過半数を奪われる歴史的敗北を喫して自民党は下野しました。

 今回とは似ている点は次の通り。

総理・総裁に就任して1年程度

前回が自民党圧勝

世界的な経済変動に見舞われている

「選挙の顔」と期待され超早期解散を期待されながら行わなかった

任期満了選挙は惨敗

 今回は過去一度だけの任期満了選挙の可能性も残っています。1976年、三木武夫内閣の時でした。

 任期中にロッキード事件が発覚して角栄前首相逮捕と劇的な展開。真相究明を叫んで国民の信をとりつけ、解散の端緒を見出そうとする首相と親分を持っていかれて憤激する田中派と、同調して政変を画策する他派閥が合しての猛烈な「三木おろし」の狭間で首相は倒されずに粘る半面で解散は封じられ任期満了に至ったのです。結果は惨敗。

3年超え5回のうち2回は与党が政権を失う

 3年を経て6カ月未満での解散も政権与党に芳しい結果は出ていません。1958年は自民党として初の総選挙で過半数を獲得するも前回獲得した自民党前身の保守2政党の合計より10議席減。93年は過半数を大きく割り込んで選挙後、非自民勢力が結集した連立政権が誕生して自民は結党以来初の野党暮らしを味わう羽目に陥りました。

 03年は前述の「神の国解散」以来でしたが微増に止まったのです。

 1996年2012年は前回選挙との間に非自民政権が挟まる点が共通します。96年は自民が前回より復調するも単独過半数割れ。12年は民主党政権下での解散で自民が圧勝して政権を奪還しましたが与党の民主党は大敗です。

勝算なき解散を強いられる与党とまとまるしかない野党

 こうしてみると3年超での解散総選挙は与党(うち1回は民主党政権)に芳しい結果は出ず、満了から半年を切るタイミングおよび任期満了選挙は良くて苦戦。多くが惨敗・大敗しています。

 そもそも内閣不信任決議可決にともなう憲法69条解散以外の「天皇の国事行為」たる7条解散は実質的に首相が「やる」と思い定めれば誰にも止められません。ではいつ「やる」かというと与党(首相の味方)勝利が計算できるタイミングでしょう。裏返せば野党(首相の味方以外)に不利な状況下を選べるのです。

 この専権を振るわない手はありません。第2次安倍晋三政権がさほどの争点がないと批判もされたなか14年と17年に仕掛けて勝利し、長期政権を実現させたのが象徴的といえます。

 今回も相変わらず野党第1党の立憲民主党の支持率が冴えず、かつ野党がバラバラでどこと組むとか組めないとか言い争っている呈で時期的に追い込まれても与党は勝てるとの楽観論が一部に聞かれますが「政界は一寸先は闇」。満了までの日程が窮屈になれば勝算がなくとも解散を打つしかなくなるし、野党は満了が近づくほど「ウダウダ言ってないで団結しよう」との求心力が強まるからです。