Yahoo!ニュース

大学授業を「対面とオンラインの併用」とする難しさと無責任

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
キャンパスライフいまだ遠し(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 「キャンパスライフ」が消えてはや半年。二期制を採っている大学だと後期が始まる時期です。少しずつ本来の対面授業を復活させようという動きもあるなか前途に多くの課題が横たわっているのも事実。新型コロナウイルス感染症の影響が大学教育にいかなる影響を与えたか。今までを振り返りつつ今後を見通してみます。

「ズームって何だ?」から始まった大混乱

 緊急事態宣言が出たのが4月7日でしたから「当面は対面授業を見送ろう」と大学当局が判断し、ちょうどその頃からスタートした新学期を「オンライン」「オンデマンド」「課題」の3つから選択して授業とするという方針自体は割とスムーズに決まったものの具体的にどうするかでテンヤワンヤでした。

 まず「オンライン」と「オンデマンド」は教員(=大学側)と学生双方に最低限のネット環境が整っていなければできません。学生に「即刻、パソコンとWi-Fi(ワイファイ)を用意せよ」というのも酷な話で助成金を出したり、大学の所有物を貸し出すといった措置をあわてて考案したものの態勢が整うには時間が足らず、結局は5月の大型連休までの数回を課題で補填するなどの折衷案が多く用いられたようです。

 「時間がない」は教員も同じ。対面授業に最も近い(とみなされた?)「オンライン」はWeb会議サービスのzoomやGoogle Classroomの使用が適切というところまでたどり着いて「ズームって何だ?」の教員続出。深刻なのは大学当局にも詳しい人がおらず、とりあえず「オンライン担当」とされた専任教員ですら「私もよくわかりませんが……」状態でした。情報系の学部・学科を持たない文系大学によく現れた状況です。

 では情報系の専任がいる大学ならば音頭を取ったかというと温度差がありました。他学部が頼るのをよしとしないとか、情報系学部が先頭に立ちたがらないなど大学ごとの複雑な縄張り意識が時に責任の押し付け合いと成り果てた残念なケースも。

 それでも専任はもとより非常勤も「給料をもらっているならば何とかしろ」という無言の圧力で準備はしたのですが丁寧に教えてくれる存在がないため初期は悪戦苦闘の毎日でした。招待状を送る?、ホスト権限?、ガメンのキョウユウって何だ?みたいなところから始めたのです。

 zoomの場合、大学側が契約してくれないと1対1以外は40分で落ちてしまいます。それすら彼我ともに知らぬまま早期に突撃した大学は当然ながら40分でブツッ。教員呆然。学生も声こそ聞こえないけどきっと呆然……といった悲劇に見舞われたのです。

極めて難しい出欠管理

 出欠の管理も悩ましい課題でした。中高年以上の方は信じられないかもしれませんが、今は「半期(前期または後期)15回の授業は必ず行い、5回を超える(要は6回)欠席は問答無用で回数不足で不合格(単位不授与)」という文部科学省のお達しを守るのが当然視されています。「休講ばっかり」「出席取らない」など昔の「楽勝先生」はもういません。それだけに正確な出欠確認は評価に直結し、きちんとしないと真面目な学生から「学生による授業評価アンケート」(FD活動)で厳しい意見が寄せられてしまいます。

 ゆえにコロナ禍以前の「普通の授業」ですら難問でした。少人数ならば何の問題もありませんが、1クラス60人を超えてくると「顔を見て確認」が難しくなります。代返を避けるために週ごとに異なる色の出席カードを授業中1人1人に渡すなど工夫しても学生もわかっていてどこから調達したのかカード全色を隠し持つ猛者が少なからずいるのです。

 オンライン授業では当日のキーワードを教えて大学が与えた学生メールアドレスから教員のそれへ送らせるなどさまざまな対処を施すも、途中で居眠りされたり、その場を去られても多人数だと把握が困難。可能な限り「顔が写る設定にして下さい」と依頼するも背景が映り込むのを嫌がる学生(それ自体はごもっとも)もいて強制できません。途中で落ちても機器の不具合(お気の毒)か意図的かを確認する手段も見当たらず。

まるでウォールストリート

 さまざまな機器のトラブルなどをチャットで知らせてくれるのはいいのですけど、いちいち対応していたら授業にならないという悩みも新たに抱えました。

 どうしても一方通行な授業になるというのも困りもの。近年、大学はグループワークなどアクティブラーニングを推奨しています。オンライン上でもブレイクアウトセッションは可能ながら、教員側はグループと同数の端末が必要です。何台ものパソコンを同時に走らせて見回るさまは映画『ウォールストリート』の世界。向こうからの声が聞こえる設定にしておかないと把握できませんがハウリングするは他のグループの音がうるさいと苦情が来るはでてんてこ舞いに陥ります……というか何台も用意する時点で無理。

 最近の学生は平然とスマートフォンでオンライン授業を受けています。時代は変わったなあ。あんな小さな画面でよく耐えられるものだと感心していると「字が小さい」「目が疲れる」という苦情も来るから気が抜けないのです。

オンデマンドを定時で受講?

 オンデマンドの場合は「作品の出来映え」が重要です。オンラインだと限られた時間とはいえ学生との掛け合いや発言など双方向が(特に1クラスの人数が少なければ)可能で活気もわくところオンデマンドは映像授業と同等ゆえ協力者(撮影者など)がいないと質が向上しません。1コマのために休日をつぶしてテイクを重ねる涙ぐましい努力をしている教員も。

 また「オンデマンドを決まった時間割に流す必要があるのか」という疑問も生じます。好きな時間に再生できるからオンデマンドなわけで。といって「見ました」という自己申告では前述した出欠の問題が出てくるので結局のところ相応の課題を出す必要が生じます。

 「課題だけ」という選択をする教員もいますが概して不評。そもそも通学を前提とした学びを求めている全日制の大学生にとっては自習にされたようなものです。客観テスト風にすれば採点がやさしい半面で問題作成に死ぬほど時間を取られるし「レポート提出」も不評な上に採点が大変となります。だいたいどのようにしてネット上で課題のやりとりをするかは大学がどれだけ環境を整えているかにかかっているので学校ごとに異なってくるのです。

カリキュラムの自由度も仇

 大学が小中高で行われている対面になかなか踏み切れない最大の理由が学生数と通学範囲です。大規模校だと1クラス100人超はザラ。中小規模でも珍しくありません。通学範囲は三大都市圏の私立高校とさして変わらないとはいえ、ほぼ一斉に始業し、クラスメンバーもだいたい同じで公衆衛生上の管理がしやすい高校に比して大学は通学時間もバラバラで共通科目のように誰が何の授業を取っているかも無限の組み合わせが発生します。

 「カリキュラムの自由度が高い」は近年の大学に望まれていて皮肉にもそこが評価される大学ほど陽性者が接触する人数が増えていってしまうのです。

 繁華街に立地する大学だと当然、そうした店でアルバイトする学生も一定数います。一時期目の敵にされた「夜の街」を支えている人材補給源でもあるのです。通学を前提とするとバイト先の交通費が居宅からの換算になっている場合は貴重な収入源にもなるので「通学せよ」はバイトする強い動機付けにもなってしまいます。懸念する大学によっては職種まで挙げて「禁止」を打ち出すも罰則までは踏み切れません。

二人羽織の喜劇に陥る「併用」案

 文科省は後期(9月から)から対面とオンラインの併用を推奨していて8割程度の大学がそうする予定と答えていますが、現実はそう簡単ではないのです。

 これまでも医師を養成する医学科のように実習や実験がディプロマ・ポリシー上欠かせない大学を中心に併用を試みてきました。しかしいくつもの難点が横たわります。

 例えば1限が実習Xで2限はオンライン可能な授業Yだとしましょう。その場合、2限を担当する教員もまた対面で行うしかありません。ただ2限の授業Yを取っている学生すべてが実習Xをも履修しているとは限らないのです。そうなると「何でオンラインでいいのに大学まで赴かなければならないのか」という苦情が出ます。行きたくない理由が「感染が怖い」ならば正当ですし。

 といってXもYもという学生に「Yをオンラインにする」というのも難しい。キャンパスにPCルームがあったとしても受講生全員分用意されているとは限らないし、私用ないし貸与PCで対応するにしても校舎にWi-Fi環境が整っていなければ意味なし。スマホで受けろと大学側から指示するのも無責任です。

 結局、教室で教員が対面受講生を相手としながら教卓上のPCでオンラインも行うという二人羽織を強いられます。まさに喜劇的状況。対面授業をPCカメラで映す(映る?)だけだとオンライン生は何が何だかわかりません。少なくともオンライン専用より格段に質が落ちます。といってオンライン主体で展開すれば対面授業側がチンプンカンプンで、結局教室にいながらスマホで受けるというシュールな世界が現出するのです。

 授業Yをオンデマンドに切り替えればいいという話でもありません。先述の通りオンデマンドならば何も2限に受けなければならない理由が見当たらないからです。

実家や外国で受講している学生はどうなる

 リアル授業を映像配信してどちらも満足できるレベルとするにはテレビクルーのような撮影部隊が必要となります。相当な設備投資と人件費がかかりますが、文科省がそうした補助をするという話を筆者は寡聞にして知りません。

 併用を予定する大学も、あくまで予定以上の決断は下せません、何しろ原因は新型コロナウイルスで、10月以降どのような影響を及ぼすか誰にもわからないからです。そもそもこの「わからない」が原因で対面授業を控えていたのですから。秋冬に感染の大波が襲えば「併用」方針はいやが上にも取り消されましょう。「もう大丈夫だろう」という予測で対面を前提とするのは甘すぎます。

 さらに別の問題も。4月から多くがリモート授業を展開したため、学生、とくに1年生はキャンパス所在地から遠く離れた実家から受けていて居宅もまだ引っ越していない方も多くみられます。外国人の学生は自国から受けているのです。不確実性が高いなかで対面を一部でも義務化したら家探しを余儀なくされる者も出てくるし、外国人は2週間の待機期間を余儀なくされます。

 そこまでして通い始めたら第2波、第3波が襲来して「やはりリモートに戻す」と決定されたらどうしたらいいのでしょうか。それ以前に感染したら誰が責任を取るのか。

 現状、文科省は対応を大学に丸投げし、大学は大学であいまいな決定(「なおこの決定は今後の情勢で変わるかもしれません」といった)を教員の主体的?判断に任せるといった無責任体制がまかり通っています。最大の被害者はいうまでもなく学生。ここままでいいはずがありません。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

坂東太郎の最近の記事