山川高校日本史教科書の「日韓関係」の扱いは増加・厳格化(約半世紀の推移)

韓国側は怒るのだけれども(写真:ロイター/アフロ)

 日韓関係がギクシャクする理由の1つとして日本を批判する側からしばしば「日本人は近代の日韓関係を正しく学んでいない」が提示されます。果たして本当でしょうか。今回は主要大学合格を目指すには事実上の標準となっている山川出版社の『詳説 日本史B』(以前は『詳説 日本史』)を1975年版から2019年版まで計10冊を比較してみました(年数は末尾に列挙)。

 通称「山川の日本史」は受験科目とする高校生らが「教科書レベル」(=当然覚えている)とする代表格で受験生はなめるように暗記します。したがってここでの記載は「学んでいる」かどうかの指標にはなるはず。

 以下詳述しますが、読むのが面倒くさい方にはまず結論から。「近代日韓関係の記述は一貫して増えている。おおむね日本に厳しい方向で」でした。

征韓論から江華島事件・日朝修好条規締結まで

 1975年版には「日本は朝鮮にせまって日朝修好条規をむすばせて朝鮮を開国させ、大陸に進出する足場をつくった」とあっさり。89年版は「大陸に進出する足場をつくった」を削除する一方で、これまで「朝鮮の江華島付近で示威行動をおこなってきた日本の軍艦が砲撃される」とだけ説明されていた江華島事件が注釈に移り「江華島事件は、朝鮮沿岸を測量中の日本の軍艦が薪水をえるためとして江華島に接近したので朝鮮側がこれを迎撃し、日本側も応戦して同島砲台を破壊した事件」と詳述。日朝修好条規の内容も注釈で「釜山ほか2港(仁川・元山)をひらかせ、また日本の領事裁判権や関税免除を認めさせるなどの不平等条約であった」と非常に詳しくなっています。

 94年版はさらに細かく「1875年4月、朝鮮との開港交渉にあたっていた日本の施設は、朝鮮政府に圧力を加えるために海路測量を名目とする軍艦の派遣を日本政府に求めた。同年9月朝鮮からの清国にかけての航路研究の任にあった日本の軍艦雲揚の艦長は、飲料水を求めるとして通告なしに艦のボートで江華島砲台に上陸しようとした。朝鮮側はこのボートを砲撃したので艦長は帰艦後、両砲台を砲撃し、ついで近くの島に上陸して永宗城を攻略した」となるのです。抑えた記載ながら日本の強引さを暗示しています。

 2014年版だと江華島事件の説明がいくぶんコンパクトに。事件そのものは「日本の軍艦雲揚が首都漢城近くの江華島で朝鮮側を挑発して戦闘に発展した事件」と「挑発」という言葉を使っています。

壬午・甲申事変

 2014年版で初めてこのポイントで福沢諭吉の「脱亜論」を紹介。さらに福沢の「日支韓三国の関係」ほ引いた「日韓両国民の歴史認識の総意」というコラムが生まれました。「日支韓……」は「韓人が日本人を恐れ、日本人を悪(にく)む」「原因」として豊臣秀吉の朝鮮出兵を挙げます。山川は福沢の記事を「歴史認識の相違があることに気がついていた日本人」の例として取り上げ、その福沢をして事変が「福沢の期待していた同国の親日改革派が政権を追われた時」「脱亜論を発表した」とみなし「福沢をして親日改革派の援助からアジア分割論に転換させた」とするのです。

第二次日韓協約から併合条約まで

 まずは1975年版。「1905年に第二次日韓協約をむすんで保護国とし、京城に統監府を設置した。さらに1907年第三次日韓協約で内政権をも獲得したが、これにたいし韓国民ははげしく抵抗した。1909年、前統監の伊藤博文が韓国青年にハルビン駅頭で暗殺されたのをきっかけに、日本は翌年日韓併合条約をむすび、韓国を日本の領土に編入し、新たに朝鮮総督府を設置し、土地調査や鉄道網の整備につとめて植民地支配をすすめた」とあります。しばらく改訂されてもほぼ同文が続きますが、89年版には「まず1905年、アメリカとの間に非公式の協定をむすび、ついでイギリスとは日英同盟を改定(第2次)して、両国の日本の韓国保護国化を承認させた」と周辺情勢を加筆。「アメリカとの間」は94年度版で「桂・タフト協定」と明示されました。

 89年度版からは新たに「韓国は、1907年にハーグでひらかれた第2次万国平和会議に皇帝の密使をおくって抗議したがいれられず、日本もこの事件をきっかけに第3次日韓協約をむすび」と明記され、94年版から「ハーグ密使事件」と固有名詞を使用。

 2014年版はハーグ密使事件を「抗議したがいれられず」から「列国に無視された」と踏み込む。「事件をきっかけに第3次日韓協約をむすび」も「韓国皇帝高宗を退位させ」を加えたのです。

 89年版はさらに「朝鮮の民衆は義兵闘争をおこして抵抗した」と注釈で義兵闘争に触れました。94年版には本文表記に格上げされ、第3次日韓協約が「韓国の軍隊を解散した。それまで散発的におこっていた義兵闘争は、解散された軍隊の参加を得て本格化した。日本政府は1909年に軍隊を増派して義兵運動を鎮圧したが、そのさなかに伊藤博文がハルビン駅頭で韓国の民族運動家安重根に暗殺される事件がおこると、憲兵隊を常駐させて韓国の警察権をも奪った。こうした準備の上に立って、日本政府は翌1910年に韓国併合を行って植民地とし朝鮮総督府をおいた」と改めるのです。

 なお「京城」は89年版から「漢城」に変更。京城が主に植民地支配下で用いられた言葉だからと推察されます。

 94年版の大きな特長は初めて総督府による支配の実像が本文に記された点でしょう。「総督は当初武官にかぎられ、総督府のもとにおかれ、警察の要職は日本の憲兵隊が兼任した。総督府はまた、地税の整理と日本人地主の土地所有の拡大をめざして土地調査事業に着手し、1918年に完了した」と。その注釈として「これによって小農民の没落が進み、その一部の人びとは仕事をもとめて日本に移住するようになった」と加えます。「韓国併合を行って」は「韓国併合条約を強要して」と変更。

 2014年版は「初代総督に寺内正毅陸相を任命」を追加。「土地調査事業」は「地税賦課の基礎となる土地の測量、所有権の確認を朝鮮全土で実施」と具体化し「所有権の不明確などを理由に広大な農地・山林が没収され、その一部は東洋拓殖会社や日本人地主などに払い下げられた」とまで詳記。注釈での「小農民の没落が進み」も「多くの朝鮮農民が土地を奪われて困窮し」と改められます。

 いわゆる「東拓」は「満鉄」(南満州鉄道株式会社)とともに植民地支配を担う著名な国策会社でしたが、満鉄はずっと前から紹介されていたのに対し、東拓は最近です。

三・一独立運動

 1975年版は注釈レベルで(パリ講和会議に)日本は人種平等案を提出したが、採択されなかった。ちょうどその時期に三・一事件(万歳事件)とよばれる朝鮮独立運動が爆発したのは皮肉な事態であった」と主が人種平等案で「三・一事件」は同時期に起きたアイロニカルな現象という位置づけです。それが89年版になると本文へと格上げされ「人種平等案」の記載がなくなった上「三・一運動」を「民族自決の国際世論にはげまされ」て発生し「朝鮮独立宣言が発表され、運動は全土に拡大した」と正面から記載されます。98年度版は呼称が「三・一独立運動」へ変更。

 94年版だとさらにくわしくなり「独立を求める運動が学生や各種の宗教団体をふくめてもりあがり、1919年3月1日のソウルのパゴタ公園での独立宣言の朗読集会」が書き込まれ「日本の現地支配者は憲兵・警察・軍隊を動員してこれらの独立運動を弾圧した」と日本側の関与も描かれたのです。

 他方、「朝鮮総督資格者を現役軍人から文官まで拡大し、憲兵警察を廃止するなどの部分的な譲歩もなされた」と記載。「拡大」については注釈で「これにより総督の軍隊指揮権はなくなった。ただし、陸海軍人出身者以外の総督が任命されたことはなかった」と述べます。限定的に融和的な政策がなされたという感じでしょうか。

 2014年版は「三・一独立運動」は「おおむね平和的・非暴力的なものであった」のに総督府が「きびしく弾圧」と強調する一方、「原敬内閣は、国際世論へ配慮」とも。「部分的な譲歩」は「若干の改善」へ変更されました。

関東大震災

 1975年版では洋画家・鹿子木孟郎の作品の説明の一部で「多くの朝鮮人や社会運動家が殺される事件もおこった」と簡単に紹介するのみ。

 89年版は鹿子木作品は用いられるも「関東大震災の混乱」という名のコラムのイラスト的役割に変化したのです。「『朝鮮人が暴動をおこした、放火した』といった流言がとびかい、政府も戒厳令を公布して軍隊・警察を動員したほか、住民に自警団をつくらせた。関東全域で徹底的な『朝鮮人狩り』が行われ、恐怖心にかられた民衆や一部の官憲によって、数千人の朝鮮人と約200人の中国人が殺害された」とくわしく語られています。

 以後しばらく同程度の記述に収まってきましたが、2014年版には鹿子木作品が消え、殺傷事件を「自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に類をみない」と踏み込んで評論したのです。自警団や朝鮮人狩り、数千人という記載がなくなったかわりに「背景としては、日本の植民地支配に対する抵抗運動への恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる」と書かれました。

第2次世界大戦中の動員

 1975年版の「多数の朝鮮人・中国人を鉱山などで働かせた」が80年版では「日本に連行し」が加わり94年版は新たに「朝鮮では1943年に徴兵制がしかれた。また女性の場合、戦地の軍の慰安施設で働かされたものがあった」と「慰安」の言葉がみられます。

 これらは注釈で扱われてきたのを2002年版では「数十万人の朝鮮人や占領下の中国人を日本に連行し、鉱山などで働かせた」が本文に昇格しています。14年版からは「強制連行」と明記。注釈に慰安施設に集められた女性を「いわゆる従軍慰安婦」と紹介しました。

日韓基本条約

 1975年版は本文と注釈で「難航していた日韓会談の妥結をいそぎ、1965年大韓民国の朴正煕政権とのあいだに日韓基本条約および諸協定を成立させた」「1952年以来、日韓会談は断続的にひらかれ、植民地時代の事後処理・漁業問題などで両者は大きく対立したが、1964年末からの第7次会談で合意が成立した」と書かれました。

 以後大きな変更はみられません。89年版で「難航していた日本と大韓民国との間の国交の正常化をはかるために、会談の妥結を急ぎ」とややていねいな記載と変わったほか98年版で条約に韓国を「朝鮮半島にある唯一の合法的な政府」と認めたと明示。「諸協定」も「漁業、請求権・経済協力、在日韓国人の法的地位、文化協力の4協定が結ばれた」とハッキリさせました。2014年版は「1910年に韓国を併合した以前の条約および協定の無効を確認し」が加わります。

その後の日韓関係

 1989と91年版に注釈で「第2次中曽根(康弘)内閣は、1983年韓国を訪問し日韓関係改善につとめ、翌年には韓国大統領全斗煥の初の訪日を実現した」が加わりましたがやがて消滅。2014年版で注釈に「小泉(純一郎)首相は、2002年9月に国交正常化を求めて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問したが、金正日総書記との会談の中で日本人拉致問題をはじめ、解決すべき多くの課題が明らかになった」が新たに記されました。

「山川の教科書」自体への評価は

 もちろん「山川の教科書」に載っているから必ず教えられているとは限りません。高校の授業で「近現代を吹っ飛ばす」傾向も指摘されていますし。しかも教科書を徹底暗記するのは受験で日本史を選択した者にほぼ限られ、世界史など他の地歴公民科目を選択したら事実上関係なし。理系の生徒は大学入試センター試験で5教科7科目を課されても「日本史B」はまず選びません。3教科受験ならばなおさら。

 それでもなお「山川の日本史」が年を重ねるごとに日韓関係を詳しく、かつ植民地支配をおおよそ批判的に扱っている傾向であるのは見逃せない事実ではないでしょうか。例えば今回考察した最も古い1975年版を高3で学習した60歳代と今とでは大きく内容が異なっているのです。

 日本は対韓関係を正しく学んでいないと批判する状況は国史としてどうしても非対称になってしまうという宿命もありましょう。特に重要な1910年の併合から45年まで、日本史における朝鮮半島の支配は誤解を恐れずにいえば「日本史の一部」です。対して韓国では「韓国史の全部」を否応なく指します。

 「山川の日本史」自体が偏向しているという批判もなされているのですが、現に圧倒的なシェアを占めているし、受験生にとっては右だ左だ関係なく、あるのは合格か不合格なので丸暗記=覚えるであるとすれば、仮に偏向していたとしても表記が増えている事実は無視できないし、もし「親韓反日」の教科書だとしても「親韓反日」の記載が増えているという結果になるわけで「学んでいない」批判の1点に限れば反論の材料になるはずです。

※参考文献

山川出版社『詳説 日本史』(1975年3月発行)

山川出版社『詳説 日本史(新版)』(1976年3月発行)

山川出版社『詳説 日本史(改訂版)』(1980年3月発行)

山川出版社『新詳説 日本史』(1989年3月発行)

山川出版社『新詳説 日本史』(1991年3月発行)

山川出版社『詳説 日本史』(1994年3月発行)日本史B

山川出版社『詳説 日本史(改訂版)』(1998年3月発行)日本史B

山川出版社『詳説 日本史(改訂版)』(2002年3月発行)日本史B

山川出版社『詳説 日本史』(2014年3月発行)日本史B

山川出版社『詳説 日本史(改訂版)』(2019年3月発行)日本史B