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ハンセン病家族訴訟判決で出された首相談話と政府声明の二重基準

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
首相談話も政府声明も「閣議決定」(写真:ロイター/アフロ)

 いわゆる「ハンセン病家族訴訟」で賠償を命じるなど国の責任を広く認めた熊本地裁判決(6月28日)について、被告の政府は控訴を見送りました。原告団も見送りを表明したため判決が確定したのです。

 この際、安倍晋三首相が発表した談話と同時に出された「政府声明」の内容に大きな隔たりがあると指摘されています。判決内容や政府の反論の詳細もきわめて大切なニュースですが、今回は大きく略して談話と声明の齟齬とも思われる部分のみ検討してみます。

【首相談話】(ハンセン病家族国家賠償請求訴訟の判決受入れに当たっての内閣総理大臣談話)の骨子

・極めて異例の判断ではありますが、敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました

・家族の方々に対しても、社会において極めて厳しい偏見、差別が存在したことは厳然たる事実(中略)この事実を深刻に受け止め、患者・元患者とその家族の方々が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として改めて深く反省し、心からお詫び申し上げます。

・確定判決に基づく賠償を速やかに履行する

【政府声明】の骨子

判決には、次のような国家賠償法、民法の解釈の根幹に関わる法律上の問題点があることを当事者である政府の立場として明らかにする

1)厚相、法相、文相の責任について

・各大臣に偏見差別を除去する措置を講じる義務があるとした時期は、これと齟齬しているため、受け入れることができません

・人権啓発及び教育については、公益上の見地に立って行われるものであり、個々人との関係で国家賠償法の法的義務を負うものではありません

2)国会議員の責任について

・司法が法令の違憲審査権を超えて国会議員の活動を過度に制約することとなり、国家賠償法の解釈として認めることができません

3)消滅時効について

民法の消滅時効制度の趣旨及び判例に反するものであり(中略)法律論としてはこれをゆるがせにすることができません

 大要すると内閣(行政府)トップの首相は「異例の判断」として控訴しないし政府(トップ)として深く反省し、心からお詫びするが、判決は法的義務を負わないのを負わされ、国会議員の責任があるとした点も認められないなど根幹に関わる法律上の問題点があるとコテンパンに批判しているわけです。しかも内閣の意思(閣議決定)として。

司法手続き上の意味がない「大変重い意思表明」

 いわずもがなのことで恐縮ですが、日本は三権分立を採っています。裁判で国は被告として争ってきたのだから「我々が正しい」と主張する権利は当然存在し、判決に不服を抱くのも自由です。でも、だとしたら控訴すればよかっただけの話。

 「政府声明」には肯定論・否定論さまざまでしょう。ただそれが「法律上の問題点」「国家賠償法の法的義務を負」わないと訴えたければ高裁の判断を仰ぐべきです。行政府が司法府に、しかも司法判断の是非について間違っていると言い放ちながら控訴しないという状態をどう考えればいいでしょうか。

 1つは何をわめいても控訴断念もまた被告の意思(できるのにしない)だから法的には是認したも同じで遠吠えだと切り捨てる。けれど菅義偉官房長官は声明を「法的拘束力はないが(当たり前)、政府としての大変重い意思表明だ」と記者会見で述べています。どうやら切り捨てられるほど軽い(「重い」そうだから)決定ではなさそうです。

 としたら三審制の手続きを踏まなくても行政府には行政府の意思があり、それがまかり通る司法上の道があるという意味なのか。寡聞にして筆者はそうした「道」を知りません。声明に法的な能力は認められないわけです。であれば政府の意思(閣議決定)の重みを自ら貶めたのも同然ではないでしょうか。

他の国賠訴訟への牽制か

 思い通りにならぬ裁判所を恫喝したかったのかというのは勘ぐりすぎか。「あなたは私の味方ではなかったのかね」と。確かに過去の国家賠償請求訴訟で「司法は政府の味方だ」とみなされる判決が多く出されています。刑事事件なので一概には比較できませんが死刑確定後の再審で無罪を勝ち取ったにもかかわらず認められなかったケースすらありますし、ハンセン病家族訴訟に限っても別の原告が起こした裁判で地裁、高裁とも請求が退けられて現在、最高裁に上告中の係争事案も残っているのです。

 としても変。一方で地裁が国に敗訴を言い渡しながら上訴審で覆ったケースも多々あるのだから控訴すれば望んだ結果が得られる蓋然性が高いはずですから。

 もしかしたら今回の訴訟は首相の「異例の判断」に花を持たせるしかないのであきらめるにしても他の主に厚生労働省が被告となっている国賠訴訟への牽制なのかも。「異例」なのだ!(=ふつうはこうはいかないぞ)と。

 判決を確定させないと救済策を講じられないわけでもありません。「苦痛と苦難に対し、政府として改めて深く反省し、心からお詫び」(首相談話)するための方策は裁判(つまり控訴)とは別にいかようにも考えられます。それこそ三権分立なのだから行政府が補償を検討したり、必要な法案を準備して立法府(国会)に提出するのは一向に構わないはずです。

人気取りとしたら余計いらなかった「声明」

 首相談話の「筆舌に尽くしがたい経験をされた」「皆様の御労苦に思いを致し」「敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました」という判断を了としない国民はまずいそうもありません。それ自体は評価されています。三審制の建前は建前として原告側も判決確定をおおむね歓迎しているのですから。だからか、首相の人気取りだとの声もあがっていますが、そう簡単でもなさそうです。

 仮にその通りと解釈したらどうなるか。談話の「私は」は安倍首相。その「私」だからこそ「極めて異例の判断ではありますが」(私にしかできないぞ!)「敢えて」(私だからこそ)「控訴を行わない」と読んでみます。国の地裁敗訴だと当然行う「控訴せよ」の声をリーダーシップを発揮して退け、気の毒な方に寄り添う政治決着を図ったのだと。なるほど清々しい。

 でも、そうした清涼感を醸し出したいなら何故「政府声明」などという「臭いガス」まで付けたのでしょうか。そもそも「首相談話はよかったけど政府声明で本音がみえた。やはり人気取りだ」と勘ぐられるのであって無駄だったはずです。

謙虚? いらだち?

 推測してみます。さすがの「1強安倍」氏ですら無謬性をいまだ信じているふしがある霞ヶ関官僚の憤懣を完全に押さえ込めなくてガス抜きをはかったというのはどうでしょうか。何しろさまざまな訴訟で国を被告とする裁判の1審判決に不服な時に控訴するのは当然というのがこれまでの流れでした。基本的にそれは評判が悪くとも、です。

 社労(厚労)族としてスタートした安倍首相はハンセン病問題にかねてから心を痛めており、01年、同じ熊本地裁が元患者への賠償を命じた判決にあたって控訴を断念した小泉純一郎首相のそば(官房副長官)にいた安倍首相だからこそ、どうしても救済の道を開きたかった。ゆえに大きな決断を下したものの仕える者のプライドをズタズタにするのも忍びなく法的には何の意味もない声明でなだめたのだと。

 いやいや。史上最長の首相在任も間近い絶対王者が「自分を」でなく「自分が」下々を忖度するわけがないと正反対の読みも可能でしょう。地裁判決は不愉快である。当然控訴して争いたいところだが時節がら国民感情を逆なでしたくはない。考えてみれば小泉政権時の控訴断念で内閣支持率は上がった。ここはひそみに倣うのが賢明だ。しかし、やっぱり不愉快の念は収まらない(逆らいやがって!)。その結果としての本音を政府声明として示したのだと。思い出してみると「非を認めて謝る安倍さん」って結構珍しいではないですか。

 

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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